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〇狭い畳部屋
  パリラリラ。
  パリラリラリ。
  目覚ましが私のパンのような耳を焦がす。
  昨日も天井のシミを数えている途中で寝てしまった。
  私はカビ臭い万年床から立ち上がり、
  隣で寝ている裸の夫に紅葉の手型を打ちつけた。
夫「・・・なんだ、もう朝か」
  1LDK和室9畳。
  部屋は狭っ苦しくロクな家じゃない。
  夏は暑く、冬は寒い。
  室内に洗濯機も置けず、よく虫が出る。
  まさに平成初期に建てられたような家で、
  よく言えば昭和の香りが残っている。
  なぜそんな家に住んでいるのか。
  二度寝を始めた夫をにらむ。
  新婚の勢いとは恐ろしいものだ。
「あんた 今度遅刻したらまたクビになるよ」
夫「うーん・・・ そしたらまた探せばいいだろ」
  お高くとまった人間様なら、
  この会話でどんな生活を送っているかわかることだろう。
  私は心の中でツバを吐き、
  夫の寝顔に中指を立て、
  のそのそと動くカバのようにキッチンへと向かった。

〇L字キッチン
  狭い。
  キッチンが、ひたすら狭い。
  ただでさえ料理が下手なのに、
  段取り組めないってレベルじゃない。
  コンロはひと口、シンクは真四角。
  どちらも何かを置いた時点で枠が埋まってゲームオーバー。
  それでも私は夫のために、お弁当を作る。
  全てはヤツに主婦の鑑と言われるために。
「さあ、やっちゃいますか!」
  私はシンク下から、
  卵焼き用のフライパンを取り出した。
  安物を買ったせいで焦げとサビだらけ。
  形も熱で歪んでいて、平らなところに置くとガタガタする。
  要約すると、
  卵を割って入れると偏るのだ。
  こんな道具で美味しいご飯が作れますか?
「答えはイエス。 私は私にノーなんて言わせない」
夫「あー、なんだって?」
  私は夫の返事を無視した。
  そしていつものルーティンに入る。
  目をつむり、心の中でヘビメタを流す。
  瞑想の静寂からボリュームをゆっくり上げていく。
  曲の始まりはどこでもいい。
  200を超えるBPMを心音で打ち鳴らすのだ。
  ──ハートに火をつけろ。

  ジャカジャカジャカジャカ
  ジャカジャカジャカジャカ
  ドゥンドゥンベベベン
  ドゥンドゥンベベベン
  ドコドコドコドコドコドコドコドコ
  ドコドコドカドカドコドコドカドカ
  デケドゥン!!!!
  ──来た。
「ワン、ツー、スリー、フォァー!」

〇L字キッチン
「イェェエエェぁぁぁぁァァア!!!!!!!!!!!!!!」
  発火。
  荒ぶる炎の竜巻がキッチンに舞う。
  狂喜乱舞のモーニングコール。
  さあ、タマシイのカタチを吹き込んであげる!
  私は何もない手の平から卵を生み出した。
  マジシャンの基本だ。
  もちろんシャツの袖はめくってある。
  爆炎で作らなければ卵焼きじゃない。
  その信条が私の料理をゴミにした。
「セッツ!!!!」
  まずはガタガタのフライパンを電気コンロに乗せる。
  接地面積が小さいので温まるには時間がかかる。
  鉄の熱伝導率を考慮すると、約7分半。
  本当は庭でタンポポを吹いていたいが、
  いまの私はコックさんだ。
「GET READY・・・」
  シンクの下の扉からボウルを取り出す。
  するとヤツの生霊が耳元でささやいた。
姑(奏さん・・・奏さん・・・)
姑「奏(めろでぃ)さんっ!!!!!!!!」
姑「料理を始める前から戦いは既に始まっているのよ!!!! 使う道具はその場で出さずに事前に出しておかないでどうするの!!!?」
「うるせぇクソババア!!!!!! 年寄りは三面鏡でシワの数でも数えてろ!!!!!!」
姑「なっ!? 義理の母の生霊に向かってなんたる言い草!!!!」
「鬼はぁぁ外ぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」
姑「この泥棒猫がぁぁぁあああ!!!!!!!!!!」
  姑の生霊を食塩でいなしたところで、
  私はステンレスのボウルに卵をぶちまけた。
「ヒッヒッフゥー!!!!!!」
  握力68.7kg。
  殻ごと握りつぶしてカルシウム不足を補うのが私のファイトスタイルだ。
  焼き上がる前から白と黄色のコントラストが食欲をそそる。
  白と黄色。
  あータンポポ吹きたい。
「ハゥワァーユー!?!?!?」
  ちゃっちゃっちゃっちゃっ。
  黄身と殻をドラムにあわせてかき混ぜる。
  卵さん卵さん、ご機嫌いかがですか。
「ヴォォォオオォ・・・」
  卵から伝わる生と死の狭間。
  かき混ぜられ、その混濁した色から人生とは何かを感じさせる。
「私、これでいいのかなぁ・・・」
  夫を見る。
  坊主から伸ばしっぱなしでボサボサの髪。
  今にもヨダレが落ちそうな、常時開きっぱなしの口。
  骨にしがみついた贅肉。
  決して筋肉にはならない贅沢な肉。
  くたびれたワイシャツ。
  しわしわのズボン。
  ほつれゆくのは糸か、心か。
夫「お前いつも俺のこと見てるよな。 そんなにカッコイイか?」
  アツアツのフライパンでぶん殴ってやろうか。
「あんた・・・もうちょっとシャンとしてよ」
夫「シャンとか~ シャンとな~ シャンシャンってパンダみたいで可愛くないか?」
  貴様の脳みそをシェイクしてシャンシャン言わせてやろうか。
「いいから顔洗ってきな 爽やかなツラが台無しだよ」
夫「あー愛を感じるわぁ」
  夫よ、それはLieだ。

〇L字キッチン
  夫を巧妙に操ったあと、
  私は7分半かけて温めたフライパンに目をやった。
  白い煙が異常なほど立ち上がっている。
  今日のコンロは調子が良いみたいだ。
  私はすかさずボウルを手に取った。
  14×18cmの箱庭に黄金の大洪水が押し寄せる。
「ジュー!!!!ジュー!!!!」
  擬音を叫ぶと焼けてる感じがする。
  卵が固まる速度が早い。
  ほんのり化け学でやった元素記号を思い出す。
「水平リーベ僕の船。 水平?水兵さん?」
  リーベって、なんだ。
  きっとカツラ専門店か何かの名前だろう。
「あっ」
  僕の船が焦げている。
  ななではなく鼻が曲がる。
  失敗クラークか。
  クラーク博士──あなたの教え通り私は大志を抱きました。
  その結果がこれです。
  暗黒色の表面に白いブツブツが入り混じる。
  卵の、殻だ。
  私には分かる。
  これは人が食べるものじゃない。
「今日も卵焼きがゴミになった・・・」
  唯一の救いは、夫がゴミを美味しくいただいてくれることだ。
  なんと便利なコンポストだろうか。
「せめて見栄えだけでも・・・!!」
  私は卵をかき混ぜる時に使った菜箸を構えた。
  右利き、右手を天高く構えて手首を折り曲げる。
  左手はそえるだけ。
「秘技──鶴の舞」
  料理はイメージが全てだ。
  卵焼きにチキンの旨味があると思えばあるのだ。
  空想世界で薄いピンクの花びらが散る。
  それは食べ物には凡そ似つかわしくない色味だった。
「大丈夫、まだイける」
  私は焦げた表面を隠すため、
  生焼けの中心部から新鮮な卵を掻き出した。
  それが不味かった。
  卵はみるみる固まっていき、
  歪な形に焦げていった。
「なにこれ・・・靴下・・・?」
  四角い箱庭からこんなモンスターが生まれるわけがない。
  こんなもの、この世に産み落としてはいけない。
「It's like a dream...」
  そう、これは夢だ。
  まさか私がこんなに料理が下手なわけがない。
  私は毎日、悪夢を見ているのだ。

〇L字キッチン
「まだ大丈夫」
  私はカリカリの卵焼きを見つめた。
  そして歌った。
  美味しくな〜れ。
  美味しくな〜れ。
「ヴヴヴヴヴ・・・」
「ヴォォォオオォォ!!!!!!!!!!!!」
  この356㌔㌍の塊に訴えかける。
  お前たちはこのままでいいのか?
  カルシウムたちを助けたくはないか?
  ただのたんばく質のままでいいのか──と。
「ビタミンD!!!!!!!!」
  卵のカラザが震えた気がした。
  黒という黒のトンネルの中から這い出よ!!
「ブルスコファァァァァ!!!!!!!!」
  私の貧乏ゆすりがビートを刻む。
  魂ごと乗っかるようなザクザクのギターが木霊する。
  この卵焼きは、ドンシャリだ。
  私の中の私がそう叫んでいる。
「そうだろLittleGirl...」

〇田舎道
  思えば私の人生は田舎のあぜ道のようなものだった。
  耕された畑の間をすり抜けては走る。
  辺りに目もくれず、ただ走り抜ける。
  採れたての芋を抱えたおばあさんを避け、
  麦わら帽子のヒモが首元に絡みつくのも
  気にせずに生きてきた。
  太陽の暑さをじっくり感じたのはいつ?
  すれ違う子供たちの笑顔に気づいたのは?
  私はただ、晴れやかな空を追いかけて、
  そこにある虹をつかもうとしていた。

〇L字キッチン
  虹をつかむと私は現実に戻っていた。
  目の前の黒い塊を見る。
「これは・・・なんだ・・・?」
  よくわからないがおどろおどろしい。
  きっとあの世のものに違いない。
「捨てるか・・・」
  そう思った。
  そして今度はヤツではない何かが話しかけてきた。
じぃじ(めろでぃ、めろでぃや・・・)
「じぃじ!?!?」
じぃじ「メタルはいつもお前と共にある・・・」
  大好きだったじぃじ。
  あの夏に天国へ旅立ってしまったじぃじ。
  私はお別れの時に言えなかった言葉を口にした。
「ふざけた名前つけやがって!!!! 楽に成仏させてたまるか!!!!」
  私はあらゆる科学の英智を使って、
  スピリチュアルじぃじを粉砕した。
じぃじ「これがめろでぃの旋律か・・・」
「毎日がエブリデイみたいなこと言いやがって・・・」
  こんな幻覚を見るくらいだ。
  私の結婚生活は既に破綻しているのかもしれない。
  これから子どもが産まれたらやっていけるか。
  現実はそれ以前の問題だった。
  キッチン。
  フライパン。
  黒くモサモサになった卵焼き。
「ほぼアスファルトじゃん・・・」
  もう耐えられない。
  夫にもだが、何よりそんな人を選んだ自分に腹が立つ。
「こんなはずじゃなかった」
  夫は優しかった。
  いや、今も優しいのかもしれない。
  優しいだけの男。
  私を受け入れてはくれる。
  だけど・・・
「私は、受け入れられない」
  こんがり焼けたゴミを見る。
  こんなものを喜んで食べる人間を愛せますか?
「・・・」
  ノーは言わない。
  私にできることは答えをはぐらかすことだけ。
  時計を見る。
  夫はアナログ時計が読めない。
「もうこんな時間・・・」
  朝食は卵焼きと味噌汁とお漬物。
  まだ何もできていない。
  再び卵焼きに視線をうつす。
「千切りにしたらひじきに見えるか・・・?」
  ヘビメタはすっかり鳴き止んだ。
  同時に私の心音も止まってしまいそうになる。
  つらい。
  ただただつらい。
  ぼーっと一刻、着実に時は進む。
  このパラパラ漫画は動かない。
  換気扇の音が聞こえた。
  カラカラカラ・・・私は静寂に包まれる。
  その環境は私に少し優しかった。
  カラカラカラ、カラカラカラ。
  ふと見上げると星を見つけた。
「わぁ・・・黒い流れ星だぁ・・・」
  ・・・・・・。
「舐めるなっ!!!!!!!! 私という成層圏が貴様を燃やし尽くしてくれるわ!!!!!!!!」
  えい、えい。
  やっつけた。
  切実に引っ越したい。
夫「おーい、朝メシまだかー?」
  私は移動して冷蔵庫を開ける。
  そして扉のポケットを探る。
  そして無言で雷神'sパンを投げつけた。
夫「Rーズンっ!?」
  理由は問うな。
  それとも昨日と同じゴミを食べたいのか。
夫「買ってきてくれたのか 今日の朝メシは豪華だな」
  全てのフェアレディたちに問う。
  この夫の発言を私はどう受け取ればいい?
  1、私が買ってきたから豪華に思える
  2、いつもの朝食が貧相である
  3、菓子パンが私の努力を否定する
「・・・出ていく」
夫「いきなりどうした?」
  そう。
  いつもいきなりだ。
  それまでのサインには気づかないくせに。
夫「どこ行くんだ!!」
  私は目の奥で涙を止めて、
  夫からのたった一言を、
  出ていくまでの8秒間に託した。
夫「おい、おい!!!!」
  私は歩みを止めずに玄関の扉に手をかけた。
夫「聞いてんのか、おい!!!!」
  スクランブル。
  頭の中で苦虫たちが這い回る。
  私の朝食には苦すぎる。
「さよなら」
  ガチャン。
夫「ったく・・・仕事行くか」

〇公園の砂場
  朝の公園はあまりにも清々しくて、
  ベコベコに凹んだ私の心を打ちのめす。
  卵焼きがなんだ。
  消し炭になるくらい誰でも経験してる。
  夫がダメダメなのも一般的なはずだ。
  どこにでもあるよく聞く話だ。
  みんな悲しいんだ。
  でもそれを乗り越えてるんだ。
  私はどうだろう。
  みんなと同じように乗り越えられるだろうか。
「・・・答えはイエス」
  そう、神頼みだ。
「・・・ジャカジャーン」
  口ずさんでもヘビメタの波は流れない。
  水面を静かになぞるだけのディストーション。
  低音と高音だけ。
  ドンシャリサウンドと同じ。
  私には中身がない。
  だからこんな結婚生活を送っている。
  だから表面的なものに飛びついてしまう。
「まだまだ卵だな、私・・・」
  誰かが殻を割ってくれないだろうか。
  そしたら直ぐに飛び出して行けるのに。
「それも無理か・・・」
  卵の中身は空っぽだ。
じぃじ(そんなことはない)
  やせい の じぃじ が あらわれた
姑(全てはあなたを思ってのことなのよ)
  スピリチュアルAがあらわれた
  スピリチュアルAはスピリチュアルBと
  合体する・・・!!!!!!
夫「はぁ・・・はぁ・・・」
夫「めろでぃ!!!!!!」
  何ヶ月ぶりだろう。
  夫に名前を呼ばれるのは。
夫「俺が悪かった!!!!」
  そうか。
  私は名前を呼ばれたかったんだ。
「あんた、服はどうしたの?」
夫「あんな身なりじゃ君の名前は呼べない!!!!」
  あぁ、こういうところだ。
  私が夫に惚れたのは。
夫「先にシャワー浴びてこいよ」
「好きっ!!!! 抱いてっ!!!!」
夫「愛してるぞめろでぃぃぃぃ!!!!!!!!!!」
  こうして私は夫と添い遂げた。
  私はキミを包む白味(業界用語)。
  ふたりは中途半端な温泉たまご。
  硫黄の匂いに誘われて、
  きっと鉄分はやってくる。
「。   有馬温泉へようこそ!!!!!!!!!!!!」
  この番組は近畿温泉グループの提供で
  お送りいたしました。
  ・・・      終      ・・・
         制作・著作
         ━━━━━
          ⓉⓃⓂ

コメント

  • 台詞回しが独特で癖になりますね。
    (タイトルが温泉なので色々と期待しましたが、ハズレだったのは気にしない。気にしない)
    良い暇潰しになりました。

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