季節外れのイチゴ(脚本)
〇オフィスのフロア
広田部長「岸地君さ〜」
広田部長「もう4年目でしょ?書類の不備ぐらいちゃんとしてよ〜」
岸地厚広「すいません」
広田部長「前も同じミスしてたよね?」
岸地厚広「すぐに直します・・・」
広田部長「もういいよ。桑田に修正頼んでるから」
広田部長「ちゃんと後で桑田にお礼言っておけよ」
広田部長「はい・・・」
はっきり言って仕事は順調ではない。でも転職する勇気もない。
同期は皆何かしらの役職についていた。俺だけがまだヒラのままだった。
職場の駅から電車で1時間。駅徒歩20分のところに一軒家を買ったのは5年前。
ローンはあと35年も残っている。
〇明るいリビング
岸地厚広「ただいま〜」
岸地綾「おかえり」
岸地綾「ご飯できてる。お風呂沸いてる」
岸地厚広「ありがとう」
岸地綾「明日は家にいないでね。あの子、受験近いから集中させなきゃ」
岸地厚広「わかった」
岸地綾「じゃ、おやすみ」
中学受験を控えた息子は俺との会話が減った。俺が帰る頃には自室で勉強をしているからだ。
家族で食卓を囲んだのはずいぶんと昔の事に思える。最近は冷えたおかずと保温で固くなった白ごはんを一人で食べるのが毎日。
おかずだけじゃなく、妻も冷たくなった。俺は口座の数字を増やす為だけに存在しているのだ。
俺は食事を食べ終え、少し冷めた風呂に入った後、死ぬように眠った。
〇商店街
俺にはささやかな楽しみがある。
それは休みの日に喫茶店に行く事だった。
それも商店街に佇む昭和レトロな喫茶店。喫茶ダニオ。
俺は年期の入った重い扉を開けた。ドアに付いている小さな鈴たちは俺に「ただいま」と言わんばかりに店中に鈴音を鳴らしていた。
〇レトロ喫茶
店内に入ればコーヒーの香りが体を包み込む。
土曜日だけあって、やや混雑していた。
ウェイター「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
席を通されたのは2人掛けのテーブルだった。
ウェイター「いつもの?」
岸地厚広「はい。お願いします」
ウェイター「あいよ」
ウェイターに顔を覚えてもらったのは最近の事だった。それぐらい毎週来ていると言う事だ。
そして俺がいつも頼むのはホットコーヒーとシフォンケーキだった。
隣の席には二人の高校生が座っていた。
俺は会話に耳を傾けてしまった。
大和田純「さすが愛奈ちゃんが知ってる店は良い!特にこのコーヒーはめっちゃ美味しい」
桜堂愛奈「昔から来てるからね」
桜堂愛奈「家が近いからお父さんもよく来るんだよ」
大和田純「へぇ〜」
桜堂愛奈「私、ちょっとトイレに行ってくるね」
大和田純「うん」
なかなか良い雰囲気だが、付き合ってはないらしい。
しかしこの男子、水をガブガブ飲み始めた。
大和田純「俺、コーヒー苦手なんだよな」
なるほど。カッコつけたいためにコーヒーを飲んでたのか。
大和田純「げげっ!」
隣の男子生徒は自分の財布の中身と伝票と交互に見た後、急に青ざめた顔になった。
大和田純「足りない・・・」
大和田純「そういえば昨日漫画を買ったんだっけ・・・」
大和田純「割り勘なら足りるか・・・?」
岸地厚広「お兄ちゃん」
大和田純「はい?」
俺は財布から1000円出して男子生徒に渡した。
岸地厚広「これで彼女に奢ってやれ」
大和田純「いいんですか?」
岸地厚広「いいんだ。君、名前は?」
大和田純「大和田純です!」
岸地厚広「俺は岸地厚広。あっちゃんって呼んでくれ」
大和田純「あっちゃんさん!ありがとうございます!お金は今度必ず返しますので!」
岸地厚広「いやいやいや。返さなくて良い。これは投資だ」
岸地厚広「君たち二人にね」
ああ、らしくない事を言ってしまった。
今ここに嫁がいたらきっと吐いているだろう。自分でも少し気持ち悪かった。
桜堂愛奈「ただいま〜って、知り合い?」
大和田純「え?ああ、ちょっとね」
桜堂愛奈「さ、そろそろ出よ?」
大和田純「うん、そうだね」
桜堂愛奈「割り勘でいい?」
大和田純「いや、奢るよ」
桜堂愛奈「え?いいの?」
大和田純「もちろん」
桜堂愛奈「ありがとう」
純が支払う姿はまさに男だった。
貴重なお小遣いが減ったけど、これでいいんだ。
ウェイター「お待たせしました。いつものコーヒーとシフォンケーキでございます」
岸地厚広「ありがとう」
ウェイター「すいませんが今の一部始終見てしまいました」
ウェイター「優しいんですね」
岸地厚広「いやぁ」
ウェイター「これサービスです」
シフォンケーキには大きなイチゴが乗っていた。
岸地厚広「ありがとう」
ウェイター「ごゆっくり」
俺は一口目に大きなイチゴを頬張った。
そのイチゴはものすごく甘酸っぱかった。