読切(脚本)
〇シックなバー
大手内定先を蹴り、両親の反対を押し切ってまで小説家になりたいと思ったのは、自分の可能性を過大評価した結果である。
志した当初は芥川賞を取るなどと意気込んでいたものの、実際現実は厳しく、最近いわゆるスランプという時期に入っていた。
なにを考えても筆が乗らない。自分が何をしたくてどの方向に向かっているのかももはやわからない。
半ば自暴自棄になっていった僕は、新しい発見と刺激を求め放浪することにした。
そこで行き着いた先は、普段では絶対に行かないであろう渋谷駅だった。
引っ込み思案の僕にとって、渋谷は騒がしいから嫌いだ。
そこが魅力という捉え方もあるが、駅を降りた途端心なしか酒と欲の臭いがするようだった。
真っ先に静かな場所で少しだけ飲みたいと考え、大学時代友人と1回だけ行ったことのあるバーに行くことにした。
内装は随分と変わっていた。隠れ家風なのもあって、相変わらず客は少ない。
マティーニを頼むと、目の前で大げさに作ってくれたので少し恥ずかしさを感じ周りを見渡すと、ふたつ隣の席に青白い女性がいた。
一見僕よりも若い。顔はものすごく青白いのに溌剌と笑う表情は誰もが見惚れてしまうほどだ。
明るめの茶髪ロングに、膝上丈のスカートを履いている。大学生のような服の系統だ。
青白いのにどこか神秘的な彼女をみて僕は何か思い浮かんだのか、すかさず小説のアイデアノートを開いた。
いい材料が書けそうだとペンを持った途端僕はノートの端に書かれた文字が横から流れてきた液体で滲んでいくのを確認した。
私「ごめんなさい!ノート大丈夫!?」
ふたつ隣の女性だった。席の間隔が近いせいか彼女が溢したカクテルが僕のノートの端を染めた。
ノートを濡らした代わりに一杯ご馳走すると聞かず、他愛もない話を始めた。
彼女は青森から上京し演劇学校に通っていたが、去年諸事情により退学したらしい。
私「お兄さんはさ、渋谷よく来るの?」
僕「滅多に来ないよ。静かな街の方が好きかな」
私「え〜私は大好き。一番お気に入りの街!」
僕「なんで好きなの?」
私「渋谷はね、唯一無二の舞台だから」
僕「舞台?笑」
私「そう!私の夢はね、女優になることだったの!」
私「あのね、青森から上京して初めてスクランブル交差点を見た時はね、鳥肌がたったの」
私「田舎者の私にとって、たくさんの人たちが混ざり合いながら歩く姿はまるでそれぞれの人がランウェイを歩いているようで」
僕「スクランブル交差点をそんなふうに思ったことないなあ。人混みっていうイメージ」
私「私にとっては渋谷は唯一無二の舞台なの。登場人物は主役の私たった1人」
私「ハチ公前の、スマートフォンを見ながら待ち合わせをしている人々の横を清々しく横切りショーは開幕するの」
私「渋谷を彩るネオンはまるで私だけを輝かせるスポットライトでスクランブル交差点を歩く人々はもちろん私を引き立てるエキストラで」
私「レッドカーペットが敷かれているかのようにようにセンター街に可憐に潜り抜けて、」
私「そして、大好きな渋谷スカイの最上階で東京都内を見渡しながらフィナーレを迎える」
僕「そんなに渋谷が好きなんだね 夢「だった」ってどうして過去形なの?」
私「聞いて驚かないでよ?笑」
僕「え?なに?」
私「私ね、生まれつき体が弱くてね、今年中には死んじゃうんだ」
僕「えっ・・・?」
僕「ち・・・ちょっと・・・からかってるの?え・・・?まってなんで・・・」
私「骨髄異形成症候群っていって、血液を正常に作れなくなる病気なんだって」
私「生まれつき体が弱くて長く生きられないっていうのはわかってたけど、まさかこんなに早く死んじゃうとは思ってなかったよね」
僕「え・・・」
私「びっくりだよね。こんなに若く発症するのは初めてだってお医者さんもびっくりしてた」
僕「なんで・・・今年・・・?」
私「患者の大多数は1年以内に亡くなるって言われてるの」
私「受け入れるまでにすごく時間がかかったよ。今でも大女優になってレッドカーペットを歩きたい夢は変わってないし」
僕「死ぬのに・・・なんで・・・そんなに明るくいられるの・・・?」
私「だって悩むのも時間の無駄でしょ?周りの長く生きていける子たちは時間の無駄でも、私からしたら人生の無駄だよ」
私「だからね、もう運命に抗おうとするのはやめようって」
私「みんなを妬む時間1秒1秒が、私の貴重な余命を削ることになるでしょ」
僕「そんな・・・でも・・・」
私「だからね、お兄さん」
私「今日会ったばっかりだけど、お兄さんは私の分まで楽しく生きてね。死ぬ最後の1秒まで躍動感と探究心を忘れちゃだめだよ」
私「強く願えば実現できるのが引き寄せの法則だから。私も来世は強く生まれてきて大女優になるからさ」
と曇り何一つない笑顔でそう答えた。彼女は死を恐れてるんじゃない。死と向き合い超越したのだ。
こんな若い女の子が大きな夢を諦めここまで死と向き合うことができるのだろうか。
彼女は嵐の如く鮮やかな街のネオンに消えていった。そうだ。彼女を題材にしよう。
彼女が生きた印を残すくらいが、僕にできる最大のことだ。
連絡先も知らない彼女に思いを馳せながら、僕はカクテルで濡れたノートに文字を書き始めた。
自分が長くないことを知って、なお明るくいられる彼女は強いです。
どんな人だって寿命はあるわけで、その時間を大切に生きるということを感じました。
命も時間も有限。改めて大切さが身にしみました。無駄な時間を費やしている自分がいます。残りの人生は悔いがないように生きていきます。
この話は実話なんでしょうか。リアリティがありすぎて、作られたお話とは思えない、そして心に残る作品でした。時間というのはほんとうにかけがえないものですね。普段意識していなくても余命を突きつけられた途端、それが現実味を増す。その様子がとても伝わってきました。時間を消費するということは命を消費しているということ。私自身も時間を、そして命を大切にして、毎日を生きていこうと思いました。