エピソード7:愛憎(脚本)
〇荒廃した教会
女「神よ。ここにおりますか」
女「あなた様は人間を愛しておられますか」
女「その中に、私もおりますか」
女「私はちゃんと愛されていました」
女「今の私にはそれがわかりますが、かつての私にはそれがわかりませんでした」
〇明るいリビング
──というのも、私の両親は、私を愛していなかったのです。
両親は愛し合っていましたが、私はその愛の副産物であり、二人の愛の『おまけ』でしかありませんでした。
両親は互いの愛の証として、形を成した私を産むことにしたのでしょう。
幼い私には家と両親だけが世界のすべてだったというのに、二人は私に生活の保証のみを与え、褒めも叱りもしませんでした。
噂では、両親は子に笑いかけ、ときには叱りつけ、それから好意の言葉を口にすることもあるのだと聞きました。
私はどこか遠くの別の世界の話を聞いているようでした。
私の世界にそんなものはありませんでしたから。
別の世界を知っても、両親に強請りはしません。
与えられないことは知っていましたし、そもそも、甘え方を知らない私には、どうすることもできませんでした。
私は愛されない。
誰からも愛されていない。
それが私の知っている世界でした。
〇美術室
それでも私は愛を探しました。
私は私を知ってもらいたかった。
言葉にすることのできない欲求を、私は『絵』にぶつけました。
紙に、床に、壁に、砂に、柱に、肌に、至る所に絵を描きました。
何の意味があってその方法を選んだのか、自分でも理解していませんでしたが
今の私が思うに、世界に私という傷を残したかったのでしょう。
そしてその傷は、世界に届いたのです。
〇電子回路
初めに誰かが私の付けた傷に気が付き、そしてそれを拡めました。
また誰かがそれに共感し、拡散して、傷は瞬く間に知られていったのです。
傷と共に私自身が見つかるのに、そう時間はかかりませんでした。
私の傷を絶賛する声が、私のもとに届くようになりました。
私はその声に震えました。
恐ろしくて堪らなかったのです。
私はもうとっくに壊れていました。
私に届いたそれを、私は凶器としか認識できませんでした。
私の欲求が肯定されたということは、私の孤独が、愛を欲する心が、寂しさが、絶望が、人に喜ばれたということです。
【愛されない私】という作品が、世界に愛されているのです。
やはり、私は愛されるべきではないのだと、改めて実感しました。
それなのに、どういうわけか、私自身を称賛する声も上がり始めました。
怖くて怖くて仕方がありません。
私の何を知っていて、私を求めるのか。
私の何を理解して、私に愛を語るのか。
人が私に夢中になるのは可笑しくて堪りませんでしたが、私に好意を持つことは理解し難く、気持ち悪くて仕方がありませんでした。
私の両親は実の子である私を嫌い、私も私自身を愛してはいない。
こんなにも近い存在が愛さなかったというのに、赤の他人が寄ってたかって愛情を向けてくるなど、どうかしている。
同情か、憐れみか。
そうであったなら、なお、気分は良くない。
そんな気持ちの悪い輩が増えた頃、反発側も勢力を増していました。
私は、気に食わずともそちらの方が遥かに好ましく、いっそ反発側にすべて壊されてしまえばいいとさえ思っていました。
すべては、すべてです。
私を肯定するものも、私の絵も、意味も、私自身も、できれば世界のすべてが壊れてしまえばいいと思いました。
〇開けた交差点
戦争が始まりました。
どうしてそうなったのか、私のことで発生した、世界を巻き込む戦争です。
大変くだらない戦争です。
無関係の人がたくさん死にました。
無関係の私は死にませんでした。
私に愛を語る者たちが、私を勝手に護り、勝手に生かし、勝手に死んでいきました。
私は恐ろしくて、面白くて、可笑しくて、笑いすぎて、涙が止まりませんでした。
〇荒廃した街
戦争が終わりました。
私を愛した者たちが勝利しました。
世界は、私を愛し肯定する世界になりました。
こうなればもう、私は私を肯定するしかありません。
私は世界に肯定された、それはなぜか。
私は愛されていたからだ。
皆が私を愛したからだ。
そして、私は私を愛しました。
笑いました。
心の底から笑いました。
気持ち悪くて吐きました。
〇荒廃した国会議事堂の大講堂
人が争い始めました。
私を一番愛しているのは自分だと主張する人々が喧嘩を始めたのです。
私は笑ってそれを見守りました。
私は蚊帳の外です。
時々、私を殺そうとする人が来ましたが、残念ながら私は護られ続けていたので、死ぬことはありませんでした。
私は戦いに勝つための道具。
目的がすり替わってしまったようです。
私は笑ってそれを見守りました。
「私の描いた絵」も「私自身」も見向きもされない世界に、ほっとしたのです。
〇荒廃した教会
私を愛する『唯一の人』が、私の前に跪きました。
血に塗れ、深い傷を負い、体の一部を失っていましたが、私への愛は残っていたようです。
けれどもう、私にはわかりませんでした。
一度受け入れたはずの愛が、わからなくなっていました。
しかし目の前にかしずく彼も、世界中に転がる死体たちも、私への愛を証明するために戦いを始めたのだということは知っています。
だから私は──。
「私を愛していますか」
男「ええ、それはもう」
「私にはわかります。あなたたちは狂ってしまった」
「壊れている私を愛したから、私を愛したあなたたちも壊れてしまった」
男「僕にもわかります。皆がわかっていました 狂おしいほどに、あなたを愛しているのです」
「私は一度、あなたたちが作り上げた世界で愛を知ったような気がしました
けれどまた、わからなくなってしまった」
「ただ、あなたたちが私を愛するがあまり何をしたかを知っています
だから私は、それをなぞって、愛を知ろうと思います」
「受け入れてくださいますか」
男「ええ、もちろん」
彼の目は、とても純粋に私を見つめていました。
最後の瞬間まで、彼は純粋なままでした。
男「愛していますよ」
私が『唯一の人』になりました。
私は久しぶりに絵を描きました。
世界は私を讃えず、批判せず、静かに見守ってくれています。
私は心の底から笑いました。
清々しくて、寒くて、笑いが止まりませんでした。
〇荒廃した教会
女「神よ。聞いておられますか そこにおりますか」
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読後しばらく、「愛」についてで頭の中が埋め尽くされますね。愛とは何か、愛を受けない人の行く末、そして、愛に満ちた世界とは……難しいですね。。。