エピソード3(脚本)
〇シックなリビング
ショウ「──なるほど」
リュウが昼間見たという、ソラの様子。
最近の病院内で起こった出来事。
導き出されたのは、一人の看護師。
ショウ「多分、寿々木さんの四十九日が 近いからだろうね」
リュウ「寿々木?」
ショウ「看護師の一人だよ」
リュウも何度かは会っている。
しかし、覚えているとは思っていない。
ショウ「──勤務中に、亡くなったんだ」
ショウ「持病の類はなかったし、 なんだったら外部機関で健康診断を 受けたばっかりだった」
ショウ「どの数値にも異常はなかった」
変死に近い、急死だった。
ショウ「──君が動いた、記者が来た理由さ」
本来のリュウは事勿れ主義だ。
程々に働いて、
程々に生きられれば構わない
──現代人によく見られる、
無気力にも似た性質。
家事も仕事も、勉強も運動も、
不自由はしない。
身を滅ぼすような欲望もないが
──同時に、身を立てるほどの野心もない。
そんなリュウが能動的になるのは、
リュウ「・・・あー・・・」
リュウ「あの件か」
──ソラが関わる時だけ。
リュウ「そういやあの記者、首吊ったらしいな」
リュウ「会社も潰れたらしい」
ショウ「・・・君が手を出していないことを願うよ」
他人のことは言えないが──
殊ソラに関しては、
リュウの行動力は底が知れない。
ソラを害する相手が現れようものなら、
いつしか直接手をくだすかも知れない。
リュウ「出してねえよ」
リュウ「世間が勝手に尾鰭も背鰭も 腹鰭も付けただけだ」
ショウ「・・・え」
ということは──リュウが発端になるのでは。
リュウ「驚くことじゃねえだろう」
リュウ「噂なんざ、 いつの時代だって勝手に脚色される」
ショウ「そりゃ、そうだろうけど」
──確かに、それは身に染みている事実だ。
何もしていないのに、噂に振り回される
──それは今も昔も変わらない。
リュウ「テメエの道徳観の欠如が招いた結果だろう」
リュウ「他人様の不幸を餌にして、 あまつさえ入院している子どもたちを 狙ったんだ」
リュウ「入院している子どもの親がどう思うかも 判らないようなヤツだったってだけだ」
リュウ「自業自得、あるいは身から出た錆・・・ だろ」
ショウ「・・・君、記事を書いただろう」
リュウ「依頼が来るなら、そりゃ書くぜ」
リュウはフリーのライターだ。
依頼があれば、大抵のことは書く。
──多分、その中に
「例の件」に関する依頼があったのだろう。
勤務中の看護師が亡くなった件か、
その記事のために、記者が病院に不法侵入した件か。
否──件の看護師の名前には
反応しなかったところを鑑みるに、
勤務中に急死した看護師の件では
ないのだろう。
まあ、どちらにせよ。
リュウ「聞き込みで個人情報は喋ってねえぞ」
ショウ「・・・そうだろうね」
ご近所付き合いや病院関係者の中でも、
リュウはそういう人間だと知られている。
いくら無関係ではなくとも、
易々と機密保持のラインを
踏みはしないと。
リュウ「この情報社会だ」
リュウ「少し頭を使えば、 記事の中の情報から特定できる奴は珍しくない」
ショウ「そして、発信も容易だってことだろう」
──リュウは依頼通りに記事を書いた。
たとえその中に個人を特定できるような
情報はなくとも
──どんな些細な事件や事故も
地元じゃなかろうと調べられる時代だ。
手間や時間を惜しまければ、
大抵の情報は特定できるだろう。
そして──簡単に、誰でも、
発信することができる。
悪意も善意も問わず──
ほんの小さな火種は、
容易に人一人を殺す劫火にすらなる。
リュウ「まあ、それはどうでもいい」
リュウ「その寿々木って看護師は、 ソラと親しかったのか?」
ショウ「・・・まあ、ソラだしね」
ショウ「あの子が親しくしない相手は、いないと思うよ」
リュウ「・・・ま、そりゃそうだ」
病院内に限れば、ではあるが
ソラは医師や看護師、患者に留まらず
見舞いに来たことがある患者の親類や知人、
何なら警備や宅配、工事などの業者まで──
そのほとんどと顔見知りだ。
人懐っこい、というのか。
仕事の邪魔をしない、
明るく挨拶する病気の子どもを
普通は邪険にするはずもなく
同年代の子どもがいる業者や、
患者の親類たちなどは
時間が許す限り、
病院の外の話をしてあげているらしい。
リュウ「ソラはどんな話でも目ぇ輝かせるからな」
リュウ「ただの読み聞かせだろうとやり甲斐がある」
ショウ「・・・それ、 読み聞かせボランティアの人も言っていたね」
「大人にはありふれた使い古しの
物語も・・・
子どもたちには宝物なんだって
ソラちゃんを見てると実感するんです」
「何度かは同じになっちゃうのに、
いつだって初めてのように
目をきらきらさせて」
「だけど、その前を
覚えていない訳じゃない」
「語り手が違えば、
少し語り口を変えれば──
ソラちゃんは、そのちょっとした
「変化」を、楽しんでくれる」
リュウ「だろうよ」
リュウ「お前が一番知っているだろ」
ショウ「・・・」
ショウ「そうだね」
ショウ「僕はあの子の主治医だもの」
あの子──ソラが生まれたその日から、
誰よりも関わってきたという自負がある。
医師と患者としても、
大人と子どもとしても。
──だから、よく知っている。
ショウ「──あの子は、 驚異的な記憶力がある訳じゃない」
ショウ「ただ、”変化”に敏感なだけだ」
──ソラにとっての変化とは、
苦痛に他ならない。
発熱や嘔吐といった比較的ありふれたものから
──手術を要するようなそれまで。
鼓動のひとつ、呼吸のひとつ──
その度に発作、ひいては死の恐怖が潜む。
それゆえに、
あの子は自分以外の変化にも敏感になる。
ショウ「他人の変化に敏感なのは、 絶えず相手を心配しているから」
表情、声色、癖、仕草──
自分が知る人間のそれらを、
あの子は”心配している”のだ。
リュウ「──優し過ぎるんだ、あいつは」
リュウ「自分のことで手一杯だろうに、 他人ばっかり気にしやがる」
リュウ「・・・こうも、親子ってのは似るもんなんだな」
ショウ「・・・そうだね」
リュウの視線が、写真立てに向かう。
〇桜並木(提灯あり)
桜並木を背に四人で並んで撮ったそれは、
高校卒業式のものだ。
そして、
自分たちを挟んで立っている男女こそ──
今は亡きソラの両親であり、
僕らの恩師であったヒナタさんと
ヒナタさんの夫だったスザクさんだ。
二人は、僕らにとって
本当の親のような存在だった。
スザクさんは
感情が顔に出にくい人だったけれど、
底なしに優しい人だった。
当時僕らの抱えていた苦悩を
決して軽んじたりはせず、
「どうすれば良いか」「どうなりたいか」と、
時間が許す限り一緒に悩んでくれた。
──救急救命士だったスザクさんに憧れて、
僕は医師を志したくらいに。
ヒナタさんは優しい顔と笑顔、
何より楽しい授業で
他の生徒にも人気だったけれど、
プライベートの時はとんだ悪戯好きで、
僕らやスザクさんを驚かせることを
半ば生き甲斐にしているような人だった。
──ソラの妊娠を聞いたのも、
この写真を撮った時だ。
ヒナタ「もうひとつ、お知らせでーす」
ヒナタ「なんと!私お母さんになりましたー!」
〇シックなリビング
リュウ「ソラの性格がヒナタさんに似なくて良かったぜ」
ショウ「・・・あの子も 人を驚かせるのは好きみたいだけどね」
多分──本来のソラは、もっとやんちゃだ。
生まれた時から心臓に疾患があり、
病院生活だったから、
穏やかなスザクさんの性質が強く出ているだけで。
だが──
誰かが喜ぶような驚かせ方は、好んでやる。
リュウ「待合室を飾ったりしてたな」
ショウ「笑いごとじゃないよ・・・」
ショウ「朝一で見た時は本当にびっくりしたんだから」
〇病院の待合室
それは、数年前の晩冬。
その年は年明けから曇天が続き、
例年なら昼間だけでも暖かくなる
そんな時期になっても薄ら寒いままだった。
病院の中庭に植えられた梅や桃の蕾すらも、
硬く縮こまったまま──そんな年。
ソラを含めた患者さんたちも
そうだったけれど、
看護師や、僕ら医師も──
どこか、もやもやとした気分が続いていた。
そんな中。
ソラは連日、自身の病室で何かをしていた。
後になって思えば、
それが件の悪戯で使われた飾りだったのだが
──僕らはあまり、気にする余裕がなかった。
外から菌を持ち込まないために、
春終わりくらいまではリュウも
見舞いの頻度を減らすから
ソラが何をしているかは知らなかった。
──リュウのことだから、
仮に知っていたとしても
ソラがやりたいようにさせたかも知れないが。
それはさておき。
──夜が明けてもなお空が暗いある日、
僕が出勤した時は、
まだ開院前だというのに慌ただしかった。
急患か、患者の誰かに発作が出たのかもと
看護師を捕まえる前に──
受付業務の嘱託の職員さんが、僕を呼び止めたのだ。
嘱託「その・・・待合室が・・・」
──待合室?
呼び止めた嘱託さんを伴い、
僕がそこで見たのは──
色とりどりの折り紙で飾られた待合室と、
途方に暮れた顔の看護師、
そして──
ソファの一つで身体を丸めて眠る、
ソラの姿だった。
看護師「朝来たら既にこんな状態で・・・」
看護師「その時には既に ソラちゃんがここで寝てたんです」
夜警や当直職員の巡回時には
何もなかったという。
つまり──巡回が過ぎた深夜、
というか明け方、ソラが一人で?
──ソラが病室を飾り付けたことなら
以前にもあった。
個室だったからそれほど広くはなかったし、
子どもの背丈でも、椅子があれば
ぎりぎり天井近くまで手は届くだろう。
──だが、
待合室は広さも天井の高さも個室の比ではない。
例年、
待合室も七夕やクリスマス、正月には飾り付けをするが──
仕事の合間とはいえ二、三人がかりの作業、
天井近くまで飾ろうとするなら
大人でも高い脚立が必要だ。
病院の備品の脚立は、少し前に留め具が壊れ、
倉庫で埃を被っている。
ソラが独力でできるような範囲では
ないはずだが・・・。
──剥がすだけの時間はなかったし、
ソラはなかなか起きないしと、
仕方なく午前中はそのまま。
ソラはストレッチャーで病室まで運んだが──普段は寝ている時間に活動していた反動か、
半覚醒さえしないほど寝入っていた。
昼前くらいまで起きなかったのだから、
相当な負担だっただろう。
──当然ながら、通常、
夜間の待合室周辺の機器は火災報知機と
AED以外作動しない。
防犯カメラはあるが──
やはり、あまり重視されたことはない。
──ソラに何かがあった時、
誰もあの子を襲う危機に気付くことはできないのだ。
それは、
あまりにも恐ろしい「もしも」だった。
もしも、足場で体勢を崩していたら?
もしも、発作が起きてしまっていたら?
──巡回も終わった明け方の待合室で、
一体誰が、あの子の異変を知ることができるのだろう。
〇シックなリビング
リュウ「今のところ、あれに勝る悪戯はねえな」
偶然その日、ソラの見舞いに訪れたリュウは
顛末を聞いて──他にも人がいるというのに、爆笑した。
近年稀に見る──むしろ腐れ縁ながら初めてに近いレベルの呵々大笑だった。
ショウ「君ねえ・・・」
〇病院の待合室
──結論を言えば、
ソラの盛大な悪戯は成功に終わる。
見舞いに訪れた親類縁者も、
外来・入院を問わず患者も──関係者の多くが
大なり小なり、ソラの悪戯に癒されてしまったのだ。
無機質な白を基調とした殺風景な待合室を
埋め尽くしかねないほどの彩。
どこか重たく感じていた気分を、
無理矢理にでも塗り替えてしまうほどの装い。
──それらは細やかながらも、
そこを見るすべての人間が前向きになる
後押しとなったのだ。
その次の日から
ようやく春らしい暖かさを取り戻した気候も
あるとは思う。
だけど──
雲を風が流してしまうように、
あのどうにも拭えない靄を払ったのは──
確かにあの悪戯だったのだ。
ちなみに──
天井まで飾り付けたそのトリックは、
未だに明かされていない。
〇シックなリビング
リュウ「いやあ、あれには笑わせてもらったぜ」
リュウ「──やっぱりソラは、 あの二人の娘なんだ・・・ってな」
それは──酷く懐かしく、切なそうな声色と
大爆笑した後、まだ起きなかったソラを撫でていた時と同じ表情だった。
リュウ「・・・お前だって、悪戯そのものについては 叱れなかったんだろ」
ショウ「・・・」
ショウ「やったことは悪戯だけど・・・あれはソラが、本気で皆を案じていたからしたことだもの」
僕らがソラを嗜めたのは、
飾り付けを真夜中に──それも一人で
やったことだけ。
ショウ「・・・むしろ、本当に悪いのは 僕たち大人の方だ」
ショウ「あの子に・・・ソラに、 能動的にならなくちゃいけないと 思わせてしまった」
新年度に向けて忙しかったのは事実でも、
悪天候──雨や雪よりも、重たい曇りが
多かった──続きだとしても、
──“変化”に目敏いソラを
誤魔化せなかったとしても。
ショウ「無理矢理でも僕らは切り替えるか、 それができないなら せめて隠し通さなきゃいけなかったんだ」
〇田舎の病院の病室
他者の機敏に聡いソラは、
しかしいつも悪戯をする訳じゃない。
“変化”に敏感だからこそ、
行動すべきか否か──その判断に慎重だ。
──状況を、好転も悪転もさせると知っているから。
形振り構わず──なんて、あの子の行動は見たことがない。
〇シックなリビング
ショウ「・・・“そう”させてしまった僕らが、ソラを叱れるはずもないよ」
自身の負担を含めたあらゆるリスクを
天秤に掛けてもなお、
ソラが“悪戯”に踏み切った。
しかも、
悪戯されるまで“それ”に気付かなかった。
それだけ──僕たちは、患者を見ていなかったということだ。
ショウ「患者の子にも言われちゃったしね」
患者の青年「先生、あいつ・・・ソラに感謝しなよ」
患者の青年「先生たちがバタバタしてた間、 あいつが癇癪持ちチビの相手してたんだからさ」
──患者の中には、
心身のバランスが崩れやすい子もいる。
身体の不調から
精神が不安定になる子もいれば、
精神が不安定になることで
体調を崩す子もいる。
──だけど
リュウ「お前や看護士たちがいないところでは、 ソラが見てたんだったな」
ショウ「・・・うん」
「せんせー、あんまり、おはなしして、
くれなかった・・・けど」
「そーちゃんが、さみしくないように
って・・・いっぱい、えほん、
よんでくれたから、へいき」
「ソラねーちゃんが言ってたんだ」
「先生たち、今は少し大変なんだって」
「だから少しだけ待ってて、ってさ」
「これ?ソラちゃんがくれたの!おまもり!」
「みんなに作ったから、先生たちにもあげる!」
「・・・だから、ちゃんと笑ってよね」
ショウ「僕は、自分が恥ずかしいよ」
年度末、年度始は確かに忙しい。
だけど──それは、
患者に向き合わない理由にはならないのに。
あまつさえ──患者に気遣われるなど。
ショウ「──先生たちがどれだけ凄い人だったか、 よくわかる」
教師も救急救命士も、多忙な仕事だ。
──それでもあの夫婦は、教え子とはいえ
赤の他人である僕らのことを、ずっと見守ってくれた。
多忙を極めても──蔑ろにされたことも、
放って置かれたこともない。
僕らが反抗的で突っぱねた態度をとっても──彼らは向き合うことを辞めなかった。
(リュウは言葉にしないけれど)僕らはそんな二人に、救われた。
──そんな姿に憧れて、
ああいう大人になりたくて、
僕はこの道を選んだのに。
〇シックなリビング
──子ども相手でもないのに
饒舌だったショウが、寝落ちした。
リュウ「・・・酒は呑んでねえよな」
否、ショウは下戸だ。
呑んでたら顔に出るし呑んだらすぐさま寝落ちする。
疲れているのか。
・・・ソラに関わる人間の死が、
本人の認識以上に負荷となっているのか。
リュウ「・・・やっぱ、先生みたいにはいかねえよな」
先生たちは凄い人だった──それは事実であると同時に、遺された側の美化でもある。
そういう現実を突き付けるのもあの先生だったと、果たしてこいつは覚えているのだろうか。
棚に置かれた写真立てをテーブルに移し、
その前に酒を注いだグラスを置く。
リュウ「先生たちの好きな酒がわかれば良かったな」
スザクさんは職業柄緊急の出勤も多くて、
飲むとしてもノンアルコールばかりだった。
ヒナタさんは自身の妊娠が発覚してから、
スザクさんと同じものしか飲まなかった。
──まあ多分、元々あまり呑む方ではなかったのだろうが。
リュウ「成人の祝い酒もらってやれなくて悪かったな、スザクさん」
リュウ「事故後すぐに駆け付けられなくて悪かったな、ヒナタさん」
自分のグラスを軽くぶつけ、呷る。
──もう何度繰り返したかわからない、
自己満足の献酒。
・・・ソラが成人した時には、俺自身も純粋な気持ちで祝い酒を注げるだろうか。
リュウ「・・・いや、ソラはまずジュースか・・・」
水と茶、生理食塩水・・・後は牛乳くらいしか飲ませられないのだ。
酒は急がなくても良い。
ソラが興味を持ったものから、
ひとつずつ叶えてやれば良いのだから。
リュウ「・・・悪ぃな、お二人さん。俺も少し寝るわ」
珍しくすんなり重くなった瞼に抗うことも
なく、目を閉じた。