〇城門沿い
　　私は、馬車に揺られていた。気分は重い・・・・・・それも、当然だ。
シュナイト侯爵「アリシア、すまないね。無理を言って、付いてきてもらって」
アリシア「いえ、私で良ければ喜んで同伴させて頂きます」
　　隣には、フミルもいる。
　　元々、社交界に同伴する予定は無かった。直前に、頼まれたのだ。
　　嫌な予感がする・・・・・・だけど、私に拒否権は無かった。
　　ヤンガスに、変わった様子は無い。
　　なら、この胸騒ぎは何だ。
シュナイト侯爵「本当に、助かったよ。手が空いている者が、少なくてね」
アリシア「奥様の、件ですよね」
シュナイト侯爵「ああ、本当に世話の焼ける妻だ・・・・・・だが、そこも愛おしくはあるのだがね」
アリシア「そうですか」
シュナイト侯爵「実を言うと、今日の社交界はあまり気乗りしなかったんだ」
アリシア「何故ですか」
シュナイト侯爵「いや、何だか悪い予感がしてね。当たるんだよ、私の予感は」
　　まさか、感づかれていたのだろうか・・・・・・汗が、伝うのが分かる。
　　冷たい刃を首元に当てられているような、凍えるような恐怖が胸を襲う。
シュナイト侯爵「・・・・・・ん」
　　急に、馬車が停まった。何だろう、まだ目的地には着いていないはずだが。
　　見ると、路地の真ん中に一人の女性が立っているのが見える。
マニラ「お兄様」
シュナイト侯爵「マニラか、どうしてこんなところに」
マニラ「お兄様、社交界には行かない方が良いと思います」
シュナイト侯爵「・・・・・・ほう」
マニラ「嫌な、予感がするのです」
マニラ「貴族の中には、お兄様の暗殺を企てている者もいると聞きます」
シュナイト侯爵「まあ、そうだろうな」
マニラ「どうか、今日の予定は取り消して頂けないでしょうか。お願いします」
　　マニラは、頭を下げる。
　　その様子に不審な点は無く、単に兄を心配しての言葉の様に思えた。
シュナイト侯爵「・・・・・・引き返すぞ」
シュナイト侯爵「元より、私も嫌な予感がしていたんだ。ここは、マニラの忠告に従うとしよう」
マニラ「ありがとう、ございます」
　　シュナイトの命令に、背くことは出来ない。御者に扮したヤンガスも、素直に従い馬を返す。
　　計画は失敗したことになるが、私は安堵を覚えていた。
　　シュナイトは十中八九計画に感づいていたのだろう。だから、私を連れてきた。
　　混乱に乗じて、私のことも始末しようとでも考えていたのだろう。
　　馬車は、進む。シュナイトの、邸宅に向かって。
　　今後のことを、考える。今更、引き返す訳にはいかない。
　　ミルメリスは、大丈夫だろうか。
　　とにかく、今出来ることは何も無い。大人しく、来る時を待つとしよう。

〇立派な洋館
　　やがて、馬車は邸宅に辿り着いた。
　　行って途中で引き返しただけだが、時刻はもう夕方だ。
　　馬車に差し込む光が、鋭く目に刺さる。
シュナイト侯爵「アリシア、フミル。お前たちは、仕事に戻ってくれ。私は、部屋に戻る」
アリシア「かしこまりました」
　　フミルとシュナイトは並ぶように歩き、邸宅に戻っていく。
　　当然だ。それが、彼の仕事なのだから。
　　私は、その姿に少し寂しさを覚える。
ヤンガス「おい、アリシア。これを、見ろ」
　　シュナイトの姿が見えなくなったところで、ヤンガスが声を掛けてくる。
アリシア「どうしたの」
ヤンガス「マニラから、手紙を受け取った」
アリシア「そんな、いつの間に」
　　私は、開かれた手紙に目を通す。そこには、貧民街のとある地名と時刻が書かれているだけだった。
アリシア「これは・・・・・・」
ヤンガス「ここに、来いってことかな」
アリシア「何か、伝えたいことでもあるのかしら」
ヤンガス「少なくとも、こんなやり方をするってのは普通じゃ無いな」
ヤンガス「アリシアの言う通り、邸宅では話せない重要な話でもあるんだろう」
アリシア「私は仕事があるからすぐには向かえないけど、この時間なら大丈夫そうね」
ヤンガス「俺も、大丈夫だ」
ヤンガス「あまり話し込んでいるのも、怪しまれる。そろそろ、離れよう」
アリシア「そうね、マニラの誘いには乗るつもりなのかしら」
ヤンガス「ああ、そうするしか無いだろう」
アリシア「分かったわ、それなら後で落ち合いましょう」
　　ヤンガスは、馬車を引き街へ戻っていく。
　　私も、仕事に戻らなければいけない。服の埃を払い、邸宅へ向かう。
　　マニラが何を考えているのかは分からないが、行ってみるしかないだろう。
　　私は地平線に沈みゆく夕日を背に、邸宅の扉を閉めた。

〇兵舎
ハル「・・・・・・ふぅ」
　　サティリシアに、ここまで連れて来られたのは何時間前だろうか。
　　貧民街の民家の一室、そこで僕は見知らぬ女性と向かい合っている。
　　サティリシアは、人形の件でやる事があると言って何処かに行ってしまった。
　　ミルメリスも、それに同行してここには居ない。
マニラ「ふふ・・・・・・」
　　気まずい。だが目の前の女性はこの空気が気にならない様子で、机の木目を指でなぞって遊んでいる。
　　とりあえず、名前だけでも聞いておくか。
ハル「あの、お名前は」
　　女性が、顔を上げる。そして、一言呟いた。
マニラ「ジェイコス、マニラよ」
ハル「ジェイコス・・・・・・まさか、ジェイコス家の」
マニラ「そうよ、私はシュナイト侯爵の妹に当たるわ」
ハル「一体、どうしてサティリシアは僕をここに連れてきたんだ」
マニラ「サティリシアとは、前々から話していたの。お兄様を、救うために」
ハル「え、救う？」
　　突然、背後で扉を叩く音が聞こえる。サティリシアだろうか
マニラ「入って」
　　ゆっくりと、扉が開く。そこに居たのは、見慣れた人物だった。
ハル「アリシア、それに・・・・・・」
ヤンガス「ヤンガスだ。お前が、何故ここに居る」
ハル「こっちが、聞きたいよ」
アリシア「ハルが居るってことは、サティリシアも来ているのね」
ハル「ミルメリスも、来ているよ」
アリシア「ミルメリス・・・・・・無事だったのね」
ヤンガス「何で、ミルメリスがお前らと一緒に行動しているんだよ」
マニラ「それも含めて、今から説明するわ」
　　アリシアとヤンガスは、無言で僕の隣に腰かける。
　　マニラは、穏やかな口調で語り始めた。
マニラ「私とサティリシアは、お兄様の暴政を止めるためにずっと前から動いてきたわ」
マニラ「でも、その糸口を長い間掴めずにいた」
マニラ「お兄様は、昔はあんな風では無かったわ。奥様が病気にかかってしまってから、変わってしまったの」
ハル「病気って、一体それはどんな病気だったんですか」
マニラ「未知の病原菌が原因らしいけど、詳しいことは分からないわ」
マニラ「全身が腐っていき苦しみ続ける奥様に、お兄様は莫大な医療費を投じ続けてきた」
マニラ「だけどいよいよお金が尽きかけてきた時、悪事に手を染めてしまったの」
マニラ「お兄様の行動は、どんどん激化していったわ」
マニラ「金と権力を手に入れて、やがては殆どの貴族がお兄様に従うようになった」
マニラ「そして、今の状況に至る。お兄様は、いつしか国王を凌ぐほどの権力を手に入れていたの」
マニラ「そんな中、今奥様は邸宅から逃げ出している」
マニラ「お兄様を止めるには、奥様の存在を消すしかない。私たちは、そう考えたわ」
ハル「そんな、悲しいことって・・・・・・」
マニラ「奥様は病原菌の力で、異常な再生能力を持っている。だけど、このまま治療が行われなければ・・・・・・」
ヤンガス「そういうことか」
マニラ「ええ、その身体は腐り落ち存在は消え失せる」
アリシア「つまり、シュナイト侯爵に先んじて奥様の身柄を確保しないといけないということですね」
マニラ「はい、そういうことです」
サティリシア「ハル、帰って来たわよ」
　　民家の外から、声が聞こえてくる。この声は、サティリシアか
　　しばらくして、扉が勢いよく開く。
サティリシア「人形の居場所が、掴めたよ。皆、急いで外に出て」
　　サティリシアに服の襟元を掴まれて、無理やり外に出される。
ハル「ちょっと、サティリシア・・・・・・痛いって」
サティリシア「さあ、戦果は早い者勝ちだよ？　ほら、早く」
　　背中を押されて、走り出す。何処に向かうのかも、分からないというのに

〇中東の街
　　しばらく走り続けると、以前人形と遭遇したところに似た暗い路地に辿り着く。
ハル「この異臭、人形か」
　　よく見ると、視界の端に屈んだ人影が見える。おそらく、あれが人形だろう。
　　警戒しながら、ゆっくりと近づく。
　　いつの間にかにサティリシアは路地の反対側に回り込んでおり、挟み込む形になった。
ハル「あれ」
　　人形の様子が、おかしい。これだけ近づいても、こちらを振り返る様子も無い。
　　すすり泣くような声が、路地に響いていた。
　　人形が、発しているのだろうか。その声は、普通の人間と変わらないようだった。
　　サティリシアはその様子を見て、無言で人形の身体を縛り上げていく。
　　どこか、苦しそうにも見える。人形に、同情したのだろうか。
　　だけど、それも無理は無い。その境遇を考えると、胸が苦しくなる。
ミルメリス「サティリシア」
　　少し遅れて、他の皆も現場に到着する。
ヤンガス「もう、終わっていたのか」
サティリシア「ええ、さっきの民家に戻りましょう。地下に、隠し部屋があるの」
　　サティリシアと共に、民家へ向かって歩き出す。
　　当然人形には布を被せ、怪しまれないように細心の注意を払う。
　　腐臭は隠せないが、ミルメリスとヤンガスが人払いをしてくれたお陰で何とか辿り着くことが出来た。