由縁

秋の草

エピソード1(脚本)

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〇黒
  陰陽師の扱う技術の一つに、式神というものがある。
  現代においては、様々なフィクションの中で登場しており、広く認知されているところだ。
  どんな神霊を式神として召喚できるのかは、場所や依り代、術者の霊力、術者と神霊の相性等々、様々な要素が絡むとされている。
  そんな式神の召喚は、怪異を払う人材の育成を手掛ける陰陽師養成学校の生徒に要求された課題の一つであった。
  課題の期日は明日。それが達成できなかった者は、夏休みがなくなり、補習を受けなければいけなくなる。
  夏休みがなくなる。その可能性を考えただけで、まるで魂を引き裂かれるような感覚を覚える。
  全く、馬鹿げている。夏休みのない夏なんて、チーズのないピッツァだ。
  式神の強さはともかく、召喚すらできなかった生徒は今まで一人もいなかったから大丈夫だと先生は笑っていたっけな。
  今の俺は全く笑えないが。
  何度試してもどうしてか召喚できなかった。
  どうやら八百万に嫌われているらしい。捨てる神いるなら拾う神もいるんじゃなかったのだろうか・・・?
  何もSSRとか高望みしているわけでもない。Nでいいんだ。腐っても鯛。神であることに変わりはないのだから。
  とにかく、そんな心持ちで色々条件を変えて試してきた。そして──

〇古びた神社
トバリ「はぁ・・・はぁ・・・」
  人里離れた山奥に、ひっそりと佇む神社。
  道と呼べるかも怪しい山道をひた走り、やっとこたどり着いた場所。
  古ぼけた文献の片隅に乗っていた神社だ。
  いよいよ煮詰まって、来るところまで来てしまった感は、正直あるが、それはまあどうでもいい感傷だろう。
  ここでは、その昔あった、ある小さな村を救った陰陽師が奉られている、らしい。あるいは、いたらしい。
  マイナーなのは、きっとそれだけささやかな村だったのだろう。
  それでも、そこに、きっと救われた人間がいたのだ。
  今では古ぼけた文献と、ここにある、寂れた建造物だけが、それを物語っていた。
  二礼、二拍、一礼。閑散とした境内に、乾いた音が二つ。あとは僅かばかりの鳥の囀り。名も知らぬかつての陰陽師に敬意を表して。
  世界に自分以外の人間が存在しているのか曖昧になりそうな静けさだ。
トバリ「それはそれとして、とりあえず間に合ったか」
  暗くなる前に来れた。時刻は夕方。斜陽の木漏れ日は優しい橙色に染まっている。
トバリ「ふっ」
  黄昏は誰彼ともいう。誰そ、彼。日が暗くなり、姿がよく見えずに問いかける様からついた言葉。
  期せずして、詳細の分からない陰陽師を式神として呼び寄せたい自分とリンクしていた・・・。
  腰のホルダーから人形の御札を取り出し地面に置く。
  御札には自ら血で書かれた御霊の文字。これによって、御札と自分との繋がりが強固になり、霊力を込めやすくなっている。
  せっかくここまで来たのだからと、小刀で指先を切って更に新鮮な血を供給する。
  そして、深呼吸。

〇黒
「常世に在りて、現身なき八百万に連なる御霊よ」
  祝詞と共に、霊力を送る。
  生憎と、自分の持つ霊力は、陰陽師としては平凡なものだ。いや、それ以下かもしれない。
  ・・・いや、より正しくはそれ未満かもしれない。
  既に今日だけで式神の召喚を三回ほど試みている。3回目は意識が朦朧としたあたり、限界はそう遠くないはずだ。
  残っている霊力を全部費やすつもりで臨む4回目。・・・別に、切実なら上手くいくというものでもないんだろうけど。
「貴き御身を卸さんと欲す不遜たるを」
「一助を希う厚顔たるを」
「依代の粗末たるを」
「どうかどうか許し給えと」
「この声、この意思、聞き届け給えと──」
「──畏み畏みも申す」
  霊力が抜けていく。著しい脱力感も、夥しい疲労感も、意識の混濁と共に曖昧模糊としていく。
  酷く、酷く、眠い。いや、実はもう眠っているような気もする。
  いつの間にか、地面しか見えなくなっていた──
  視界が、意識が、暗転する。

〇古びた神社
トバリ「スヤァ・・・」
???「・・・」
トバリ「・・・スヤァ」
  ペチンッ
トバリ「・・・はっ」
トバリ「え?」
???「・・・」
トバリ「いや、」
トバリ「え?」
???「・・・こんばんは」
トバリ「あ、うん。こんばんは」
???「・・・」
トバリ「えっと、今、結構酷くなかった? 起こし方」
???「ごめん。起こすつもりはなかった」
トバリ「そっか。それならよ・・・くはなくない? 起こす気がないのに寝てる人叩くのって結構やばくね?」
???「蚊が血を吸おうとしていたから、つい」
  少女が手の平を見せると、言葉の通り、潰れた蚊が乗っていた。
トバリ「あ、そういうこと? ・・・ありがと」
???「どういたしまして」
トバリ「・・・」
???「・・・」
トバリ「・・・えっと。俺の名前は一応トバリなんだけど、陰陽師養成学校の生徒で・・・」
???「・・・」
トバリ「あ、いや、もしかしたら突然聞いてもない自分語りを始めた痛いやつだと思ってるかもだけど、」
トバリ「これは他人に名を尋ねるときはまずは自分からっていう流儀に則って、失礼のないようにしたいなと思ったからであって・・・」
???「うん」
トバリ「・・・つまり、えっと、君は誰?」
ヒノコ「・・・ヒノコ」
トバリ「・・・」
ヒノコ「・・・」
トバリ(え? 以上?)
トバリ(ま、まあ、あんまり喋るのは得意じゃないタイプなのかな)
トバリ(あるいは単に俺が嫌われているだけか)
  そこでようやく、自分の置かれた境遇について思いを馳せるに至る
  スマホを出して点灯させると、22時を示していた。バッテリー残量は残り6%・・・
  ま、まあ、俺のスマホは残り3%あたりから結構こらえてくれるから・・・まだ、焦る段階じゃない、と思う
トバリ「ところで、君はなんでこんな、おおよそ辺境といって差し支えない場所に、しかも夜にいるの?」
ヒノコ「・・・あなたが召喚したから」
トバリ「えーと、それはつまり、式神の召喚はうまくいったってこと?」
ヒノコ「不完全ではあるけれど」
トバリ「というと?」
ヒノコ「・・・私の記憶が曖昧になっている」
トバリ「なんで?」
ヒノコ「分からない。霊力の供給が一度途切れたせいかもしれないし、それ以外の要因かもしれない」
トバリ「前者については本当に申し訳ない・・・」
ヒノコ「原因については今はどうでもいい。何か、もっと大事な、あなたに伝えなくちゃいけないことがあった気がする」
トバリ「大事な・・・」
ヒノコ「ずっと、それを思い出そうとしてるけれど──」
ヒノコ「!」
  突然ヒノコがこちらを押し倒してきたと思ったら、直後、白い糸状の何かが、先程まで俺が立っていた場所を迸った。
トバリ「!?」
  斜め上から勢いよく降り注いだ糸は、二本の灯籠を巻き込んで神社の境内に散らばった。
  咄嗟に糸の続いてる先の空を見上げた

〇霧の中
  糸の続く先の先──
  そいつは音もなく、夜空に浮かんでいた。
  目に入ったゴミのような、不快な異物感を伴って、中空に静止していた。
  それは、少なくとも、今、俺とヒノコが倒れている境内の5倍は越えているだろう、巨大なクモの姿をしていた。
ヒノコ「思い出した」
  傍らでヒノコが呟くように言った。
ヒノコ「あの妖怪・・・当時の人たちは空蜘蛛と呼んでいたけれど、あれは過去に私が命と引き換えに祓ったもの」
トバリ「それがどうして──」
  最後まで話せなかった。
  吐き出された糸が、引き戻され始めたのだ。
  絡まっているわけでもないのに灯籠の根本や石畳が砕け、上空に引き上げられていく。
  恐ろしい程の吸着性能に皮膚が泡立つ。
トバリ「あ、やべ」
  糸の一部が、靴の紐に引っ掛かっていた・・・。
  当然のように有無を言わせない力が、靴紐を、自分の体ごと、上に上にと引っ張りあげていく。
  靴を脱ごうにも、引っ張られた靴紐が足を潰すような力で締め上げていて脱げない。
  糸の先にはもちろん・・・
  怪異。そいつの糸をはいている下部がばっくりと開かれていた。
  糸の続いているその内部は、無数の鋭利な突起が見えた。おそらく、捕らえた獲物を食らうための、殺戮するための器官なのだろう。
ヒノコ「くっ・・・!」
  ヒノコは引き上げられていく俺にしがみついていた。
トバリ「バカッ! 早く離・・・」
  言いかけて、途中で彼女が自分の式神であることを思い出す。
  霊力の供給源である俺が死ねば、どのみち消滅することになる。
  でも、だったらどうする──!?
  そのとき、ヒノコはタロットの吊るされた男よろしく逆さになっている俺の体をよじ登り、靴紐に向かって手を伸ばした。
  突如、その手に平から炎が噴射された。
  ブツン、と軽い衝撃と共に、足を引き上げていた力が消えた。
  噴射された炎によって、靴紐は焼ききれていた。
  ばくん、と、すぐ目の前で怪異の補食器官が閉じた。
  ぐしゃっと音を立て、隙間から細かな石の欠片が溢れた。
トバリ(こ、こえぇ・・・)
  解放された俺とヒノコは、重力に引かれ落ちていく。
  急いで腰のホルダーから障壁用の御札を取り出して、下方に向かって展開した。
  本来なら、盾として運用される結界は固ければ固いほどいい。
  しかし、今回は落下の勢いを軽減させるために、あえて脆くする。
  そして、着地。

〇森の中
トバリ「・・・ぐえっ」
  無様に落下し、這いつくばる俺の隣で、ヒノコは危なげなく、お手本のような着地をした。
  これまでで一つ分かったことは、彼女の身体能力が俺のそれよりも遥かに優れていることだ。
  なんというか、肩身が狭い。立つ瀬に至っては、狭いどころかない。そんな具合ではあるが・・・
ヒノコ「次が来る。動き続けて」
トバリ「!」
  今、悩んでる時間はない。
  ヒノコに腕を引っ張られ、夜の森を駆ける。
  後ろで、メキメキと音を立てて、糸が樹木を根こそぎ引き上げていった。
トバリ「アレ、倒せると思う?」
ヒノコ「・・・まず、知っておいてほしい。あなたから供給される霊力でやりくりしないといけない分、今の私は弱くなっている」
トバリ「・・・」
ヒノコ「・・・でも、あの空蜘蛛も過去に戦ったときよりも遥かに弱くなっている」
トバリ(あれで弱体化してるのか・・・)
ヒノコ「故に、条件によっては私の炎で殺せると思う」
トバリ「その条件は?」
ヒノコ「一つは、私とあなたが離れすぎないこと。最大出力で炎を放ちたいから、受け取れる霊力を少しも無駄にできない」
トバリ「続けて」
ヒノコ「二つめは、頭部に直接触れるほどの超至近距離で攻撃すること」
ヒノコ「遠距離攻撃も出来るけど、それだと威力が低すぎて目眩まし程度にしかならない」
ヒノコ「以上の二つが最低でも必要な条件」
トバリ「・・・」
  走りながら、黙考する。
  俺に飛行能力はない。それはヒノコも同じだろう。
  そんな俺たちが空に浮かんでいるあの怪物の元まで辿り着く手段・・・
  正直、あるにはある。障壁結界を足場として発動すればいいだけだ。
  足場として数秒間維持するだけなら、ほとんど霊力を消費せずにすむ。
  ただ、その間に空蜘蛛の糸を避け続けなければならない。手持ちの枚数や霊力的にも、結界符を防御用に使う余裕はないだろう。
  今でこそ、生い茂る木々が遮蔽物となってくれているが、空中ではそれがなくなる。
  ヒノコの身体能力ならそれでもなんとかなるだろう。
  対して、俺は・・・
  辿り着くのに手間取って、その間に更に上へ逃げられたら詰む。
  けれど、
トバリ「あいつ、最初に見たときとほとんど場所が変わってないけど、もしかして本体の移動速度はそんなでもない?」
ヒノコ「少なくとも、私の知る限りでは」
  それなら──
トバリ「・・・結界符を足場に道をつくる」
ヒノコ「何枚あるの?」
トバリ「残り9枚。ほぼ全ての霊力を君に送る都合上、俺から君にそれ以上の支援をすることはできない」
ヒノコ「それは分かってる」
トバリ「結界も長くは持たない。最低限、3秒は続くようにする」
ヒノコ「時間はその半分あればいい。それよりも、たったの9枚で足りるの?」
ヒノコ「私なら数回のジャンプで届くけど、見た感じ、あなたの機動力は・・・」
トバリ「あー。うん。まあ、高い木で予め高度を稼げれば、多分、ぎりぎり・・・」
ヒノコ「私が背負う」
トバリ「えぇ・・・」
ヒノコ「霊力はあなたに依存しているけれど、運動能力に関しては、神格化されたおかげか生前より向上している」
ヒノコ「乗ってみて」
トバリ「・・・じゃあ、失礼して」
ヒノコ「・・・軽い。ちゃんとご飯は食べてる?」
トバリ「今聞くことじゃないだろ・・・」
トバリ「というか、大丈夫なのか?」
ヒノコ「問題ない」
トバリ「じゃあ合図を送ったら俺が足元に結界を張る・・・でいい?」
ヒノコ「分かった」
ヒノコ「・・・しっかり掴まってて」
  ヒノコが木の幹を蹴飛ばして、進行方向を180度転換させた。
  夜の森の、ひんやりとした空気が、二人の周りを吹き抜けていく。
  ヒノコが地を蹴り跳び上がる。
  木の枝を蹴り、更に上空へ──

〇雷
  森の木々から上へ飛び出した直後、無数の糸が滅茶苦茶に飛んできた。
ヒノコ「今!」
  ヒノコは結界を足場に、糸の合間を掻い潜るように跳躍した。

〇山並み
  人を背負っているとは思えないほど、軽快に、俊敏に跳ぶヒノコ。
ヒノコ「今!」
  跳躍の最高到達点で、再び足場を精製する。
  ほんの僅かな間しか持続しない、即席のキャットウォークを、ヒノコは駆け上がっていく。
  月光で浮かび上がる、巨大なクモの影。
  ポツポツと花開く結界。
  乱れ飛ぶ数多もの糸。
  咽び泣く夜風。
  結界符は、残り4枚。
  既に、空蜘蛛の巨体は目前に。
  残り3枚。その内1枚は落下の衝撃を減らす用に取っておきたいので、実質2枚。
  いよいよ後がなくなってきたが、もう空蜘蛛との距離もない。
  ヒノコが結界を踏みしめた。
  この跳躍で届くだろう、まさにその瞬間だった。

〇雷
  空蜘蛛は、真下に向かって大量の糸を射出した。
トバリ「な!? こいつ、反動で上に!!」
  それはヒノコという脅威を一時的にでも遠ざけるための生存本能だろうか。
  本来、空中を駆けることのできる相手には、ただのその場しのぎにしかならない。
  しかし、結界符の枚数という限界があるこちら側にとってそれは、紛れもなく痛烈な行動であった。

〇山並み
トバリ(残り2枚で・・・届くか・・・!?)
ヒノコ「・・・目の前! 縦に!」
トバリ「!!」
  考えるより先に、咄嗟に言われた通りに結界を展開した。
  次の瞬間、その垂直な障壁を、彼女は上に駆けた。
ヒノコ「後ろ!」
  刹那、彼女がやろうとしていることを理解する。
  現実感を置き去りにしたような挙動に唖然としながらも、ただ、その言葉を信じて結界符をなげうつ。
  ヒノコは、結界を蹴ってくるりと向き直ると、後ろに、縦に展開された結界を蹴って跳んだ。
  いわゆる、壁ジャンプ。
  おおよそゲームの中でしか見たことのない、物理法則を無視しているような挙動を、ヒノコはやってのけた。
  気がつくと、高度が空蜘蛛を越えていた。
  高く飛び上がった俺たちは、放物線を描いて逆さに落ちていく。
  その軌道は、当然、空蜘蛛へと続いている。
ヒノコ「荒ぶる魑魅魍魎よ」
  ヒノコの右手が赤熱し、その周囲が陽炎に揺らめく。
ヒノコ「現世より、疾く失せよと、畏み畏みも申す!」
  真っ赤に燃いる爆炎が閃いた。
  炎は空蜘蛛の巨体を貫き、内側で爆発した。

〇テクスチャ3
  そして、ほんの瞬く間に、何故か、周囲の風景の全てが、がらりときり変わった。
トバリ「・・・は?」
  周囲にあるもの全てがあやふやで、覚束ない。
トバリ「幻術・・・なのか?」
「違う」
トバリ「!」
トバリ「心当たりあるのか?」
トバリ「いや、それよりも空蜘蛛は、倒せたんだよな?」
ヒノコ「空蜘蛛を倒したのは間違いない。だから、私たちはここにいる」
トバリ「なるほど、そうなんだ」
トバリ「・・・とはならないけど、全然」
ヒノコ「分かってる。ちゃんと説明する」
ヒノコ「まずここは、現世と常世の狭間。私は死んだときと、あなたに呼び出されるときで2回、ここを通っている」
ヒノコ「だから今回で3回目になる」
トバリ「えっと、つまり、三途の川的な?」
ヒノコ「その認識で問題ない」
トバリ「でもどうして? まだ俺、死んでないと思うけど」
ヒノコ「うん。だからあなたはまだ戻れる」
ヒノコ「そもそも、あなたがここに来てしまったのは、式神である私に引きずられたせい」
ヒノコ「そして、その私は、空蜘蛛に引きずられて常世に戻されようとしている」
トバリ「・・・え」
ヒノコ「・・・生前、私は空蜘蛛を命と引き換えに祓ったのは言ったけれど」
ヒノコ「そのとき、相討ちになった理由は、空蜘蛛が死に際にかけた、死期を共有する呪いが原因だったの」
トバリ「・・・」
ヒノコ「その繋がりは今も続いている」
トバリ「つまり、俺が式神としての君を呼び寄せたから、空蜘蛛も蘇ってこれた?」
ヒノコ「そう。死期の共有は運命の共有。例え式神でも現実世界に存在するのなら、それは生きていると言える」
ヒノコ「ただ、肉体はとうに朽ちていて、その霊力は術者に依存している、完全な蘇生とは程遠いもの」
トバリ「だから空蜘蛛も相応に弱体化されていたと」
ヒノコ「そういうこと」
ヒノコ「・・・本当に私が呼ばれただけなら、私が召喚に応じないことで空蜘蛛を封じ込めることができていた」
トバリ「・・・?」
ヒノコ「・・・どういうわけか、召喚されようとしていたのは空蜘蛛の方だった」
トバリ「えぇ・・・?」
ヒノコ「優れた陰陽師であるなら、大妖怪でさえ式神として使役することは可能だけれど──」
トバリ「俺にそんな力はないよ」
ヒノコ「・・・中途半端な実力では呼び出した空蜘蛛に殺されるだけ。だから、私が割り込んだ」
ヒノコ「そうすることが、呪いによって空蜘蛛と繋がっている私にはできた」
トバリ「・・・俺は、空蜘蛛を召喚しようとしていたのか・・・」
ヒノコ「破滅願望でもある?」
トバリ「・・・」
  思わず閉口してしまう。そんなはずはない、と咄嗟に言い切れない程度には、自分の内心に不明瞭なものが多すぎた。
ヒノコ「・・・そろそろ限界」
  気がつくと、彼女の体には無数の糸が絡み付いていた。糸はピンと張り、この不可思議な空間の、ずっと奥まで続いている。
  糸に引かれるまま奥へと歩き始めたヒノコの腕を、無意識に自分の手が掴んでいた。
ヒノコ「・・・」
ヒノコ「自覚しているかどうかに関わらず、咄嗟に消えたいと思うことはわりとあること」
ヒノコ「それでも生きるべき。少なくとも、生きていてよかったと、そう心の底から思える瞬間までは」
ヒノコ「ここで私の腕を掴んでしまう、そんな優しいあなたなら、それができる」
トバリ「・・・」
  ヒノコはふわりと微笑んで、そんなことを言った。
  その瞬間、理解した。
  ずっと、自分はこの世界のことを、大嫌いで仕方なかったのだ。
  不幸な人間が、不幸なまま終わってしまう、そんな悲劇が嫌いだった。
  そんな悲劇を許容してしまう、この無情な世界が嫌いだった。
  何よりも、そんな世界を変えられないちっぽけな自分が大嫌いだった。
  ずっと孤独でいたいと思った。そうすれば、自分が何者であるかなんて考えなくていいから。嫌いな自分を意識しなくていいから。
  そんなことを無意識のうちに願っていたんだろう。
  ・・・だから、式神の召喚なんて、最初からうまくいくはずがなかったのだ。
  そして、だから、大嫌いな自分を消してくれる存在である空蜘蛛を呼んでしまったのだろう。
  そんなことを、忽然と理解した。
トバリ「・・・例えば」
トバリ「例えば、このまま、俺が君との繋がりを断たなかったら、この手を離さなかったら、どうなる?」
ヒノコ「・・・」
ヒノコ「・・・人が、人として現し世に留まるためには肉体、精神、魂の三つが必要」
  基礎の基礎だ。だから式神には肉体の代わりに依り代が必要なのだ。
ヒノコ「空蜘蛛の肉体は既に滅びている。そして今回で、その精神体に打撃を受けた」
ヒノコ「肉体も精神もまともに現存せずに現し世にいくことは不可能」
ヒノコ「そして、その魂と私は呪いで結ばれている」
ヒノコ「だから、私が空蜘蛛に引っ張られて常世に戻ることはあっても、空蜘蛛が私を基点にして蘇ってくることはもうない」
ヒノコ「・・・ここまで言えば分かるはず」
ヒノコ「一方通行なの」
ヒノコ「あなたが私との繋がりを断たなければ、あなたも引きづられて現世には帰れなくなってしまう」
トバリ「・・・」
ヒノコ「だからあなたはこの手を放すべき。道連れなんて私は望んでいない」
トバリ「・・・でも、もしかしたら、君と空蜘蛛を繋いでいる呪いが先に切れるかもしれない」
トバリ「そんな可能性もあるんじゃないか?」
ヒノコ「・・・君に、命を懸けてまでそんなことをする義理はない」
トバリ「まぁ、それはそう」
トバリ「というか、ぶっちゃけどうでもいい」
ヒノコ「それなら・・・!」
  ・・・本来、自分は完璧主義だったのだろう
  だから、不幸な人間が不幸なまま終わる悲劇がひとつでも存在してしまった時点で──
  色々なことが、どうでもよくなってしまったのだろう。
  嬉しいことも、悔しいことも、悲しいことも、楽しいことも、生きていてそれなりにはあったが・・・
  その全てにおいて、心のどこかに、どうでもいいなと思う冷めた自分がいた。
  結局、完璧でありたかったが、それを実現出来るだけの力が自分にはなかった。それだけの話だ。
  だから、この瞬間でさえ、どうでもいいかとは思ってはいる。
  思ってはいるが・・・
  この手は放さない。
  ヒノコに絡んだ糸の力が、いよいよ強まり、その体が浮かぶ。もう片方の腕を使って、それを留めようと踏ん張る。
  感触は重く、力を込めて引っ張ってみてもびくともしない。
トバリ「義理はないけどさ・・・」
トバリ「目の前で、救えるかもしれない存在を、我が身可愛さで見捨てて生きていくのって、あんまり楽しくなさそうだし・・・」
ヒノコ「そんなことで・・・?」
  それに、意味がなくなってしまう。
  これまで、式神を召喚しようと足掻いた意味が。
  自分が怪異から人を守護できる、陰陽師である意味が。
  死して尚、呪いに囚われている陰陽師を、なんとかしたいと思ってしまった、そんな自分が、自分である意味が。
  だから、この手は放せない。
  ならば、あとは自分が呑まれるか、呪いが壊れるかの問題でしかない。
  ヒノコを掴む手を力強く握りしめ、歯を食い縛った。
  そんなに道連れが欲しければ、この腕を引きちぎってみせろと、彼方の空蜘蛛に内心で吠えた。
  そして──
  ブツン、と何かが切れる音を聞いた。

〇山並み
トバリ「・・・!」

〇森の中
トバリ「ぐえ」
  本日二度目の着地も、相変わらず無様なものだった。
  全身に疲労感を覚えながら、大の字に寝転がる。夜のひんやりとした空気が快い。
ヒノコ「・・・」
ヒノコ「・・・難儀な性格してるのね」
  傍らで、式神が呆れたように笑っていた。
トバリ「・・・お互い様」

〇黒
  ・・・何はともあれ、これで、何とか課題の期日である明日に、ぎりぎり間に合ったなと胸を撫で下ろす。
  いや、もしかしたらもう明日ではなく、今日になっているかもしれないな。
  時間の確認するため、スマホを取り出してみる。
  ・・・バッテリーが切れていた。
  ・・・・・・
  こらえてなくて草。
  E N D

コメント

  • 限られた枚数の結界符を足場にして空蜘蛛に近づく緊迫した場面はかなり複雑な動きのあるダイナミックなシーンでしたが、巧みな描写のおかげですんなりと想像することができました。最後はトバリが自身の内面の問題と向き合い、人として一つの壁を乗り越えることで物語が着地するという、作品全体の完成度の高さに驚きました。

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