もう何もないと思った残りの人生にふと現れた美しい人・・まさにそれは満開の桜(脚本)
〇レトロ喫茶
一ノ瀬 さくら「いつものでよろしいですか?」
福沢「はい、お願いします」
いわゆる私は、この喫茶店の常連だ。
週に3、4回来ている。
先ほどの女性は、半年前から働いている。
娘とそう違わない歳だろう。
私の妻は20年前に亡くなり、それからはシングルファーザーとして娘を育てた。
その娘も去年嫁に行き、私は今一人暮らしをしている。
一ノ瀬 さくら「モーニングセットでございます」
一ノ瀬 さくら「本日の日替わりは、パスタです」
福沢「今日もおいしそうですね」
一ノ瀬 さくら「ありがとうございます」
彼女と特別な話をすることはない。
ごく普通な店員と客の会話だ。
だが、彼女が居るとほっとする。
彼女に娘の面影を見ているのだろうか。
マスター「いつもありがとうございます」
マスター「まかないのハンバーグ持って帰りますか?」
福沢「助かるよ、いつもありがとう」
マスターは、会社の後輩だった。
脱サラしてこの店を始めた。
彼とは歳は離れていたが、気が合った。
店を出すときも色々と相談にのり、今もこうして付き合いが続いている。
福沢「君が作るものは、本当に美味しいね」
マスター「ハッ、ハッ、ハッ、先輩は本当にほめ上手ですよね」
福沢「事実を伝えているだけだよ」
マスター「嬉しいです」
一ノ瀬 すみれ「おはようございます」
一ノ瀬 さくら「すみれ、どうしたの?」
一ノ瀬 すみれ「奈々ちゃん家に遊びに行ってくる」
一ノ瀬 さくら「お昼には戻って来てね」
マスター「今日は学校が休みだったな。すみれちゃん朝ご飯食べていくかい」
一ノ瀬 すみれ「大丈夫です」
マスター「そうか、車に気を付けてな」
一ノ瀬 すみれ「ハーイ、バイバイ」
一ノ瀬 さくら「すいません、いつも気を使って頂いて」
マスター「別に大したことじゃないよ」
すみれちゃんは、彼女の一人娘だ。よくこの喫茶店にやってくる。
いつもは学校帰りに来て、一人奥の席に座り彼女の仕事が終わるのを待っている。
彼女もまた、シングルマザーだ。
そんな事情も私と重なり、これまで感じたことの無い気持ちが生まれたのかもしれない。
福沢「ご馳走様でした」
一ノ瀬 さくら「ありがとうございました」
〇川に架かる橋
急に自転車が猛スピードで飛び出してきた。
福沢「危ない!」
とっさにすみれちゃんを抱え込んだ。
その時、福沢は自転車と接触し、すみれちゃんと一緒に倒れこんでしまった。
そして、自転車はその勢いのまま逃げ去ってしまった。
一ノ瀬 すみれ「おじちゃん大丈夫?」
福沢「あぁ、すみれちゃんは大丈夫かな?」
一ノ瀬 すみれ「おじちゃん、手から血が出てるよ」
一ノ瀬 すみれ「どうしよう」
福沢「大丈夫だから、泣かないで、怖かったね」
福沢「すみれちゃんは、ケガしてないかな?」
一ノ瀬 すみれ「足ちょっと擦りむいちゃった」
福沢「他に痛い所はないかい?」
一ノ瀬 すみれ「うん!」
福沢「一旦、お母さんの所に戻ろう」
〇レトロ喫茶
一ノ瀬 すみれ「ママ~」
一ノ瀬 さくら「どうしたの?」
福沢「すみれちゃんが、猛スピードで走ってきた自転車とぶつかりそうになりまして」
一ノ瀬 すみれ「おじちゃんが助けてくれたの、でもおじちゃんケガしちゃった」
一ノ瀬 さくら「大丈夫ですか?」
一ノ瀬 さくら「血が出てますね、大変!」
一ノ瀬 さくら「マスター、救急箱ありますか?」
マスター「先輩、手ケガしてるじゃないですか!」
福沢「大したことは無いよ、すみれちゃんを先に見てくれ」
マスター「わかりました」
互いに、救急箱の絆創膏で済むような大した傷ではではなった。
〇レトロ喫茶
あの一件から、すみれちゃんに慕われるようになった。
私も娘の小さな頃を思い出し、一緒にいる時間がとても楽しかった。
一ノ瀬 すみれ「おじちゃん、ここ分からない」
福沢「どれどれ」
一ノ瀬 さくら「すみれ、また宿題見てもらってるの?」
一ノ瀬 さくら「福沢さん、すみません」
福沢「いえ、良いんですよ」
一ノ瀬 すみれ「おじちゃん、とても分かりやすく教えてくれるんだよ」
マスター「先輩、昔は塾講師をしていたんですよ」
マスター「人気講師だったんですけど、今の会社を助けるために辞めたんです」
マスター「友達に泣きつかれて」
マスター「そうですよね、先輩!」
福沢「あの時は、役に立てればと思ってね」
福沢「今となっては、その友達に随分助けてもらった」
福沢「本当に感謝しているよ」
福沢「もちろん、君にも感謝しているよ」
マスター「先輩は、本当に人が良すぎ」
一ノ瀬 さくら「お二人は、とても仲がいいんですね」
一ノ瀬 すみれ「できました!」
福沢「よし!合っているか見てみようか」
一ノ瀬 さくら「すいません、ありがとうございます」
福沢「あなたも頼れる時は頼った方が良い」
福沢「私もみんなに助けてもらって今があります」
福沢「一人での子育ては本当に大変だ」
福沢「私も一人で娘を育ててきました」
一ノ瀬 さくら「そうなんですか!」
福沢「今はもう嫁に行って、ほっとしていますが」
一ノ瀬 さくら「でも、寂しいのではないですか?」
福沢「そうですね」
福沢「私で役に立つことがあれば、言ってください」
一ノ瀬 さくら「ありがとうございます」
それから、すみれちゃんを通して彼女とも少しずつ話をするようになった。
〇銀杏並木道
喫茶店に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。
一ノ瀬 さくら「福沢さん、お出かけですか?」
福沢「これは一ノ瀬さん、今から喫茶店に行こうと」
一ノ瀬 さくら「私もこれから出勤なんです、ご一緒に」
福沢「今日は、珍しく午後からなんですね」
一ノ瀬 さくら「すみれの授業参観がありましたので、午前中はお休みをいただきました」
福沢「そうでしたか、お母さんが来てくれて喜んでいたでしょう」
福沢「すみれちゃんは、お母さん思いの本当に優しい娘さんですね」
一ノ瀬 さくら「ありがとうございます」
一ノ瀬 さくら「福沢さんのお陰で苦手だった算数が、今では大好きみたいで」
一ノ瀬 さくら「今日の算数の授業でも率先して手を挙げていました」
福沢「それは良かった」
一ノ瀬 さくら「大事そうに抱えていますけど、何が入っているんですか?」
福沢「一ノ瀬さん、カレーはお好きですか?」
一ノ瀬 さくら「はい」
福沢「喫茶店に着きましたね」
福沢「お先にどうぞ」
福沢は、喫茶店の扉を開けた。
〇レトロ喫茶
一ノ瀬 さくら「今日は、ありがとうございました」
マスター「授業参観はどうでした?」
マスター「あれ?先輩、今日は出かけたんじゃないんですか?」
福沢「今日は、君の誕生日だからいつもの持ってきたよ」
福沢「お誕生日おめでとう!」
マスター「中身は先輩の作ったカレーですか!!」
マスター「いや~、嬉しいです毎年楽しみなんですよ」
マスター「ありがとうございます」
マスター「先輩の作るカレーが、絶品で本当に旨いんですよ」
一ノ瀬 さくら「福沢さんは、お料理もお上手なんですか?」
福沢「いえいえ、カレーだけです」
福沢「良かったら、沢山作ったので一ノ瀬さんも」
一ノ瀬 さくら「いいんですか?」
福沢「もちろんです!」
福沢「甘口なので、すみれちゃんも食べれると思います」
一ノ瀬 さくら「すみれもカレー大好きなので、ありがとうございます」
福沢「実は、お昼がまだで」
福沢「オムライスをお願いします」
「かしこまりました」
福沢(つい一ノ瀬さんにカレーをすすめてしまったが、迷惑ではなかったかな?)
いつの間にか彼女に何かしてあげたいと思うようになっていた。
しかし、迷惑かもしれないと思い極力この気持を抑え込むことにした。
〇広い改札
福沢(ちょっと、早すぎましたな)
一ノ瀬 さくら「すいません!」
福沢「いえ、まだ時間前ですので」
福沢「一本前に乗れそうなので行きましょう」
一ノ瀬 さくら「はい」
〇電車の座席
福沢「店は、ちょっとわかりにくい所にありまして」
福沢「初めての人は大抵迷います」
一ノ瀬 さくら「私にも美味しく作れますか?」
福沢「私ができるので、誰でも作れますから」
福沢「大丈夫ですよ」
彼女は、お裾分けしたカレーをとても気に入ってくれ、
作り方をお教えて欲しいと頼まれた。
しかし、材料の幾つかに近所では手に入らないスパイスがあった。
たまたま帰ってくる娘にカレーをリクエストされたこともあり、
使いきってしまったスパイスを買いに行くことにした私は、
「一ノ瀬さん分も買ってきましょうか」と話すと、
彼女もお店に行ってみたいとのことで、一緒に出掛ける事になったのだ。
一ノ瀬 さくら「福沢さんは、ずっとお一人で娘さんをお育てになられたのですか?」
福沢「妻が亡くなった時、娘は8歳でした、すみれちゃんと同じ年です」
福沢「親戚からは、男手で育てるのは大変だから再婚を強く勧められたのですが・・・」
福沢「妻が亡くなる前たった一言「娘をお願いします。」と言われましてね」
福沢「私が、私が娘を育てようと思いました」
福沢「私はあまり器用な方ではないので、正直娘を育てることで一杯一杯で」
福沢「再婚を考える余裕なんてありませんでした」
一ノ瀬 さくら「亡くなった奥様をずっと愛してらっしゃったからではないですか?」
福沢「妻が生きていた時は、仕事仕事でダメな夫に父親でした」
福沢「娘を一生懸命育てることが、何もしてあげられなかった妻への罪滅ぼしのような気がして・・・」
福沢「今では、娘も嫁に行き私の役目は終わったようなものです」
一ノ瀬 さくら「そんなことはありません!」
一ノ瀬 さくら「福沢さんに役目はまだまだ、あります」
福沢「そうですかね」
一ノ瀬 さくら「そうですよ」
一ノ瀬 さくら「だって、こうして福沢さんのお陰でとても美味しいカレーが作れるようになるんですよ」
福沢「お役に立てているようなら嬉しいですね」
〇レトロ喫茶
いつしか、彼女と出会ってから1年が経とうとしていた。
私は変わらずこの喫茶店に通い、彼女もまた店員として働いている。
彼女とは、色々な話をするようになった。それはたわいもない話だったり、時には悩みだったり
彼女といる時間はとても楽しく、心が安らいだ。
すみれちゃんには、この喫茶店で週に1度勉強を教えることになった。
とても慕ってくれ、娘のように可愛い。
〇レトロ喫茶
一ノ瀬 すみれ「見て!テスト100点取ったよ」
福沢「それはすごい!頑張って勉強したからだね」
福沢「すみれちゃんは、偉いね」
一ノ瀬 すみれ「いつも、勉強教えてくれてありがとうございます」
福沢「ご褒美にケーキをご馳走しよう」
一ノ瀬 すみれ「ほんと?」
福沢「何にするかい?」
一ノ瀬 すみれ「イチゴのロールケーキ!」
マスター「はい、どうぞ!」
一ノ瀬 すみれ「いただきます」
一ノ瀬 すみれ「早く、春になって」
一ノ瀬 すみれ「桜咲かないかな」
福沢「今年は寒かったからね、もう咲いても良い頃なんだけどね」
福沢「すみれちゃんは、桜が好きなのかな?」
一ノ瀬 すみれ「うん、大好き!だってママと同じ名前だから」
福沢「そうなんだね、すみれちゃんはお母さんが大好きだからね」
福沢「有名な桜並木があってね、満開の時は、それはそれは、綺麗なんだよ」
一ノ瀬 すみれ「行ってみたいな」
福沢「桜が咲いたら、行くといいよ」
一ノ瀬 すみれ「はい!」
〇桜並木
福沢「今年も見事に咲きましたな」
一ノ瀬 すみれ「おじちゃん、こんにちは!」
福沢「おや、すみれちゃん一人かい?」
一ノ瀬 さくら「福沢さん、こんにちは」
福沢「こんにちは、お散歩ですか?」
一ノ瀬 さくら「はい、福沢さんにここの桜並木が綺麗だからと教えて頂いたので」
福沢「今年は開花が遅れて、どうなるかと思いましたが」
福沢「見てください!この桜」
福沢「満開です」
福沢「桜は、本当に美しい」
福沢「綺麗ですね」
福沢「私は桜が、一番好きなんですよ」
福沢「ずっと、眺めていたい」
福沢「一ノ瀬さん、どうされましたか?」
一ノ瀬 さくら「いえ、すいません!私の名前、さくらって言うんです」
一ノ瀬 さくら「なので、私のことみたいに聞こえてしまって・・・」
福沢「そうでしたか、それはすいません」
福沢「でも、名前の通り一ノ瀬さんもお綺麗ですよ」
一ノ瀬 すみれ「ママ、きれいだって!」
福沢「明日から祭りで、夜はライトアップされるんですよ」
福沢「夜桜もまた綺麗です、屋台も出て楽しいです」
一ノ瀬 すみれ「すみれ、行ってみたい!」
一ノ瀬 すみれ「ママ、あした行こう!」
一ノ瀬 さくら「そうね」
一ノ瀬 すみれ「ねぇ、おじちゃんも一緒に行こう」
一ノ瀬 さくら「もしよろしければ、福沢さんもご一緒に行きませんか?」
福沢「よろしいですか?」
一ノ瀬 さくら「はい!」
〇桜並木(提灯あり)
一ノ瀬 すみれ「わ~きれい」
一ノ瀬 さくら「夜の桜も素敵ですね」
福沢「そうですね、綺麗です」
彼女への気持ちが、何なのか?
このまま、はっきりさせない方がいいだろう。
この桜のように眺めているだけで、私は幸せなのだから。
夫婦、恋人、親子といった明確な名前のつかない関係性の心地よさや揺らぎのようなものを物語から感じました。福沢の今の心境は昼間の華々しい桜ではなく、夜のライトにぼんやりと照らされる夜桜のようなしみじみとした幸せなんでしょうね。
奥ゆかしいという表現がぴったりな主人公とすみれさんの繋がりがとても素敵でした。2人とも何か大事にしている部分が一緒なんだろうなあと思わせる、恋でも愛でもない、温かい人間関係を感じました。