エピソード1(脚本)
〇女性の部屋
遥夏「はぁ・・・ やっと一人になれた・・・」
自室のドアを後ろ手でパタンと閉めたと同時に、私はその場にヘナヘナとへたりこんだ。
自室と言っても、今の私には全くの見覚えがない場所だ。
だけど、一人になれるだけまだマシだ。
『家族』に要らない気を遣わなくて済む。
重い体を立ち上がらせベッドに近づき、体を投げ出した。
無意識に大きなため息がこぼれていた。
私には・・・記憶がない。
俗に言う『記憶喪失』というやつだ。
ぼんやり天井を見つめていると、あの日からこれまでのことが蘇ってくる――。
〇病室
気づいた時は、病院のベッドの上だった。
看護師曰く、私は交通事故に遭ったらしい。
家族を呼んでくると駆け出していった看護師が連れてきた人たちを見た私の口から出た言葉は、「誰・・・?」の一言だけだった。
医者「脳震盪後症候群による記憶障害かもしれません」
医者「今は無理に思い出させようとはせず、これまでと同じように接してあげてください」
私が覚えていたのは、
遊佐 遥夏(ゆさ はるか)という自分の名前だけ。
『家族』だという
父・冬馬(とうま)
母・千秋(ちあき)
弟・春太(しゅんた)
三人から聞いた『自分の中には存在しない思い出話』。
そこから垣間見えた「遊佐 遥夏」の人物像。
それが自分と同一人物であるという実感はなかった。
回復したのは結局、体の怪我だけだった。二週間の入院期間を経て、私は自宅に戻ることになった。
みんな優しくていい人そうだったけれど、やっぱり今すぐに家族と思うことは難しかった。
だけど、何も思い出せない自分が頼れるところは他にない。
私は気兼ねなく過ごせる病院を後ろ髪引かれる思いで後にし、自宅らしき場所にやってきたのだった。
〇明るいリビング
冬馬「遥夏、退院おめでとう。 今日の夕飯は、母さんがお前の好きなものばかり作ってくれるぞ」
千秋「遥夏はハンバーグと回鍋肉と揚げ出し豆腐が好きなの。 やっと遥夏に食べてもらえるから、お母さん、腕にヨリをかけちゃうわっ!」
春太「病院でも言ったけど、母さんめちゃくちゃ料理上手なんだよ。姉ちゃん、いっつもおかわりしてたんだから」
春太「今日もいっぱいおかわりできるように、たくさん作ってくれるって!」
遥夏「そう、なんですね・・・ ありがとうございます・・・」
冬馬「まだ慣れないかもしれないが、みんな家族なんだ。敬語は使わなくていい」
遥夏「はい・・・いえ。 わかったよ、お父さん」
千秋「遥夏。前にも言ったけど、無理に思い出そうとする必要はないんだからね。思い出なんて、これからまた作っていけばいい」
千秋「だから、今の遥夏のことをいろいろ教えてね」
春太「姉ちゃん!夕飯までまだ時間あるから、 一緒にゲームやろうよ」
春太「姉ちゃん前は全然ゲームに興味なかったけど、もしかしたら好きになるかもしれないし。ボクが教えてあげる!」
はしゃぐ弟に手を引かれ立ち上がった足元に、ふわりと柔らかいものが触れた。
ベリー「にゃーん」
春太「姉ちゃん、この子はベリー。うちの飼い猫」
春太「野良だったんだけど、いつの間にかうちの庭に住み着いちゃって飼うことになったんだ」
遥夏「真っ白なのね。 目が・・・赤い?」
春太「そうなんだ!珍しいでしょ? 苺みたいな赤だからベリーって名前にしたんだ」
遥夏「綺麗な子。 よろしくね、ベリー」
そう言って体を撫でると、ベリーはゴロゴロと喉を鳴らした。
動物は嘘をつかない。懐いているような素振りを見せたベリーの姿に、自分の過去が本当にここにあったのだなと、少しだけ思えた。
〇女性の部屋
夕食後、少し疲れたので休むとリビングを抜け出した。そうして自室と説明された二階の部屋に入り、今に至るというわけだ。
遥夏「私・・・ これから上手くやっていけるのかな・・・」
急に、お腹の上に重みを感じた。
ベリー「にゃーん」
いつの間に部屋に入ってきたのか、ベリーが私のお腹の上に座っていた。
赤い目で、じっと私を見つめている。
遥夏「ん?どうしたの?」
そういや、猫って自分でドアを開けて出入りする子もいるんだっけ。私がそんなことを考えていたとき。
???「・・・本当に全て忘れてしまったのか、遥夏?」
聞いたこともない男性の声が頭の中に響いた。思わずガバっと身を起こすと、ベリーは音も無く床に着地した。
遥夏「誰?! 誰かいるの?!」
???「落ち着け、遥夏。 我は目の前にいる」
遥夏「目の前って・・・ この声、まさか・・・ベリーなの?!」
ベリー「そうだ。 お前に語りかけたのはこれが初めてだがな」
ベリーは真っ赤な目をギラギラと輝かせながら、私を凝視している。
遥夏「猫がしゃべるなんて・・・」
ベリー「これは仮の姿だ。 お前たち家族が何やら『面白そうなこと』をしていたのでな」
ベリー「間近で観察しようと、お前たち家族に近づきやすい姿にしたまでだ」
遥夏「なに、それ・・・? 面白そうなことって、一体どういうこと?」
ベリー「さて、何だろうな?」
ベリー「しかし、折角これから面白くなってくるという時に記憶喪失など・・・」
ベリー「想定外かつ不愉快だ。 我の楽しみを奪いおってからに」
遥夏「はぁ?! 何なの、その言い草!」
遥夏「こっちだって好きで記憶喪失になったわけじゃないわよ!」
遥夏「今、私がどんなに不安かなんて、あなたにはわからないでしょ?!」
ベリー「ああ。 全く以てわからんし、わかるつもりもない」
ベリー「しかし、お前がこのままでは我も困るのだ。お前が記憶を取り戻してくれんと、ゲームが進まぬ」
遥夏「ゲームって、私の人生を何だと・・・!」
私の怒りの言葉を遮るように、ベリーが急に膝の上に飛び乗ってきた。
ベリー「我はお前たち家族の『すべて』を知っている」
ベリー「遥夏の失った記憶も、なぜあの交通事故が起きたのかも」
ベリー「それらを我の口から語ることは簡単だ。 でも、それではつまらぬ」
ベリー「そこで我は思いついたのだ。 この状況を愉しむ方法をな」
ベリーは「ニヤリ」と効果音が付きそうな笑みを浮かべた。
ベリー「お前の家族が、嘘をついているとしたら?」
遥夏「えっ?!」
ベリー「正真正銘、お前たちの血は繋がっている。 その家族がお前に嘘をついているとしたら・・・お前はどう思う?」
遥夏「・・・相手を信用できなくなる、かな」
ベリー「それは、お前を嵌めるための嘘だと判断するのだな? 守るための嘘やもしれぬぞ?」
遥夏「・・・・・・」
ベリー「不安なのだろう?」
ベリー「自分が何者かがわからぬことが。 この家族が本当に自分に害を為さぬ者なのかが」
ベリー「であれば、自分の目で確かめればいい。 それしか方法はなかろう?」
遥夏「でも、どうやって・・・」
ベリー「我が力を貸してやろう。 今回は特別だ、魂は取らぬ。 その代わり、しっかり我を愉しませてくれよ?」
遥夏「魂を欲しがるなんて・・・」
遥夏「あなた・・・・・・」
遥夏「悪魔・・・なのね?」
ベリー「お前達人間は、そう呼んでいるな」
ベリー「この提案に乗るか、乗らないか」
ベリー「どうする、遥夏?」
遥夏「もし乗らなければ・・・?」
ベリー「遥夏、お前が自力でやるしかなかろうな」
遥夏「・・・選択の余地はないってわけね」
遥夏「わかったわ、その提案に乗るわ」
ベリー「よく言った!」
ベリー「では、合意の証にこれを授けよう」
ベリーは抑え込むように私の手に自分の手を乗せると、何かを呟き始めた。
突然赤黒い光がほとばしる。
驚いた私は、思わず目をつむった。
次に目を開けたとき、私の左手の中指には青い石のはまった指輪が輝いていた。
遥夏「指輪?綺麗な石・・・」
ベリー「使い方は『その時』が来たら説明する」
ベリー「さて! 明日からまた愉しくなりそうだ」
遥夏「・・・はぁ。 前途に多難しかないわ・・・」
いっぺんに色んなことが起きすぎて、わけが分からない。なので、今日のところは思考を放棄することにした。
電気を消し、ベッドに潜り込む。
できれば、全部夢であってほしい。
どうかお願いだから・・・
そう祈りながら、私は泥のように深い眠りに堕ちていった。
記憶を無くすのは辛いことだし不安です。私も脳震盪でまだ記憶の戻らない日があります。しかも家族が嘘をついてるなんてもっと不安になりますね。遥夏がどう乗り切っていくのか早く続きが読みたいです。ベリーは本当に悪魔なのかまだわからないですね。
悪魔が黒猫ではなく白猫の姿で現れるというのは斬新ですね。指輪はいつどうやって使うのか。悪魔との契約は代償が大きいというイメージがあるけれど遙夏はこれからどうなるのか。とにかく続きが気になります。