彼女の雑音

星屑

逮捕前日に何があったのか(脚本)

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〇警察署の廊下
  暗い女。
  僕の第一印象はこうだった。
  元々薄暗い取調室だが、女の周囲だけさらに明るさが消えているようだった。
岩田警部「いつまで黙秘するつもりだ? あの状況で否認するなら無理があるぞ」
女「・・・・・・」
岩田警部「昨晩お前の彼氏がお前の部屋で死んだ」
女「・・・・・・」
岩田警部「死亡推定時刻にお前の部屋に2人でいたことは確認されてる」
女「・・・・・・」
岩田警部「そして男の喉をかき切った包丁にはお前の指紋しか付いていない」
女「・・・・・・」
岩田警部「つまりだ、男が部屋に来てお前は包丁で男を殺した。それ以外に何かあるなら言ってみろ」
女「・・・・・・」
  岩田警部はため息をついて立ち上がった。
清水「あ、警部、どこへ?」
岩田警部「便所だ。お前見とけ。 ったく、なんでここに来て黙秘なんだよ」
  そう言って岩田警部は取調室を出て行った。
  残されたのはまだ新米刑事の僕と容疑者の女。
清水(まいったな・・・)
女「やっといなくなった」
  驚いたことに喋った。
  女にしては低くかすれた声。
女「あいつの声、無理。 不愉快で気分が悪くなる。 ねえ、君、名前は?」
清水「・・・・・・僕?」
女「名前は?」
  決して大声ではない。
  けれど静かに迫力を感じる声。
清水「・・・・・・清水」
  思わず答えてしまった。
女「清水さん、タバコある?」
清水「あるわけないでしょう」
  岩田警部が出て行った途端に喋るようになった。
  もしかするとこれは自白を引き出せるのかもしれない。
清水「あなたが殺したんですか?」
女「そう」
清水「なんでさっきまで黙秘してたんですか?」
女「さっきの男の声が嫌だったから。 臭くて粘っこくて嫌な音」
  音?
  まあいい。とにかく供述をとらなければ。慌てて録音をセットする。
清水「もう一度お願いします。 あなたが相手の男を殺したんですね?」
女「そう。昨夜私の部屋に呼んで、包丁で切り裂いたの」
清水「動機は?」
女「・・・・・・」
  急に黙り表情が消えた。
岩田警部「おい清水、なんか喋ったか?」
  扉が開いて岩田警部が戻ってきた。
清水「ちょ、ちょっと警部」
  慌てて部屋の外へ岩田警部を連れ出す。
清水「あのですね、自白し始めました」
岩田警部「なんだと!?」
清水「でも警部が来ると黙っちゃいます。 録音してますからちょっと席外しておいてください」
岩田警部「はあ!?」
  呆気にとられる岩田警部を追い出し部屋に戻る。
  こちらを見ていた女がゆっくりと口を開いた。
女「ありがとう」
  囁き声のようにか細い。
  しかし真っ直ぐ耳に届いてくる。
女「彼の声が好きだったの」
  独白が始まった。
  机をはさんで女の向かいにそっと座る。
女「温かくて柔らかくてさらりとしていて」
女「洗い立ての麻のシャツみたいで心地良くて大好きな声だった」
女「けれどいつからか、嘘をつくようになってしまった」
  女の声の調子が変わった。

〇警察署の廊下
  わかるの。声が硬くなるから。ザラザラして冷たくて痛い
  女の声が徐々に張り詰め、低く、唸り声のようになる。
  それでもどうにかやっていこうと頑張ってみたのよ。
  けれど彼の声は硬さを増すばかり
  女の暗いオーラが緊張感をはらんでこちらに迫ってくるようだ。
  そして昨夜。私は彼に『私を愛している?』と聞いたの
  彼は『君を愛している』と言った
  耳鳴りがし始めた。なんだ、これは。
  あんなにギザギザに尖った声は聞いたことがない。
  嘘と堕落と絶望にまみれた音だった
  そう、もう声ですらなかった。
  私を傷つけるだけの雑音だった
  だから喉を切ったの
  溢れるほどの絶望感が女の声から漏れ伝わってくる。
  何か言わなければと思うのだが、うまく言葉が出てこない。
  これはまずいと思い、一度席を立とうと体を浮かせかけた時
  清水さん
  名前を呼ばれた。
  途端に体が硬直する。
  ぴくりとも動けない。
  無理よ。動けないでしょう
  女の声が耳に届くたびに、地鳴りのような頭痛がする。
  視界がゆっくりと歪む。
  音は振動。耳に届けば三半規管を狂わせる。波動は体を揺さぶる
  みんな無防備よね。伝える音によっては体調不良や脳震盪を起こすこともあるのに
  ものすごい吐き気に襲われ椅子から転げ落ちる。
  めまいと頭痛で立ってられない。
  なんだこれは。何が起きているんだ。
  清水さん
  君の声は悪くないね
  彼とよく似ている・・・・・・
  声だ。
  女の声が強烈に不快なんだ。
  空気がビリビリと振動しながら重くのしかかる。
  ぐるぐると回る視界の隅で女が立ち上がったような気がした。
  うまく呼吸ができない。
  もうだめだ。
  視界が暗くかすんでいく。

〇警察署の廊下
女「なんてね」
  ふっと、唐突に全ての不快感が消えた。
  水面へ顔を出したみたいに、急に空気が吸えるようになった。
女「ごめんなさい。冗談です」
女「私はもう人を殺さない。 命が絶える時の音は、とても不愉快だったから」
  這いつくばりながら転がるようにして部屋を飛び出した。
  驚く岩田警部を突き飛ばし、トイレに駆け込み嘔吐する。
  その後、録音した供述を元に女の送検が決まった。
  しかし勾留する前に女は逃亡した。
  なぜか連行する職員が一斉に嘔吐しながら倒れたのだそうだ。
  岩田警部は不審がっていたけれど、僕は”あの声”を聞いていたので納得できた。
  けれど、もう人を殺さないと言っていた。
  それは信じてもいいのではないかと思う。
  なんとなく。
  あの時の声の感じから、そう思った。
  完

コメント

  • たしかに不快な声ってありますよね。
    人によってはそれは違うものでしょうが、彼女の言う雑音になるのでしょうか。
    声で人の気持ちとかわかりますものね。
    彼女はその能力が尖っていたばかりに、こういう結末を迎えたのかな?とも思います。

  • 『声』が軸になっている犯罪ということでとても興味深いお話でした。描写が明確で女の語り口がよく想像できました。短い文章の中に心地の良い強弱を感じてフィナーレも潔かったです。

  • 日常何気なく聞いてる声に着目したお話、新鮮で面白かったです。確かに声色って言葉もあるように一概に声って一括りには出来ないなと改めて感じました。

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