蒼の島(脚本)
〇電車の中
夏になると、何故か焦燥感に駆られる。その原因を、俺はまだ言及できていなかった。
思い出せない思い出なのか、はたまた忘れ去ってしまった人なのか、あるいはその人との約束なのか。
そのせいか、俺は今まで行ったことのない新天地にさえその答えがあるのではと思ってしまう。
狭い駅のホームから見える空には、入道雲が佇んでいる。
俺、齋藤陸は大きなキャリーバッグを引っさげて、まだ冷暖房も完備していないローカル線に乗り込んだ。
車窓の外には、海とスイカ畑が広がっている。
ここから浜宮まで乗り、バスで港まで移動、フェリーで渡航した先が俺の目的地、瑠璃島だ。
瑠璃島についてだが、観光事業が本格化され出したのはつい五年前くらいだったらしく、まだそこまで有名にもなってない。
地方の番組には取り上げられたらしいが。
そのフェリーというのも、ほぼ島民が本土に行くための交通手段と化しており、おかげで本数は一日四本。
七時に一本、十二時に一本、三時に一本、最終で六時だ。
ちなみに最終便を逃すと自家用の船で夜闇の中帰るか、諦めてそこらのビジネスホテルに泊まるかくらいしかなくなるらしい。
また、フェリーは車の運送も出来るから、文明レベルが低すぎるという訳でもなく、テレビも映る、と母親からは聞いている。
又聞きの情報しかないのは、俺が瑠璃島に行くのが今日が初めてだからに他ならない。
「次は浜宮、浜宮。お出口は左側です」
さて、着いたか。
俺は荷台に積んでいたキャリーバッグを網棚から下ろし、ゴロゴロと転がしながら駅のホームを歩く。
〇田舎の駅(看板の文字無し)
この駅で降りたのは、後にも先にも俺一人だ。言葉通りの無人駅にて、自動改札の機械音だけが短く木霊する。
その残響が、この駅には誰もいないんだなと再度実感させる。
駅の向かいには、簡素なトタンの屋根とベンチが備え付けられていた。雨風を防ぐために置かれたんだろうか。
だとすれば職務をろくに真っ当することすらできていないな。明らかに雨が吹き込んだ痕跡がある。
バスはあと五分も経たないうちに来るのだが、そのあと三時間待たされるのか・・・。交通の便も発展途上というわけだ。
この辺りはほんと田んぼと畑しかないからな。よくいえば自然豊か、悪く言えば過疎地だ。
町おこしでもしてみればいかがだろうかと役場に問い詰めたい。
程なくして、バスがやってきた。
・・・ここは本当に駅前なのか?この道通ったの五分で三台だけだったぞ、それも軽トラだけ
よくここは廃駅にならないもんだ。利用する人いるのか?ラッシュ時はどうか知らないけどさ。
バスに乗りこみ、改めて自分の向かう土地がここに引けも劣らず大自然だということを思い出した。
〇バスの中
おや、母親からメッセージが来ている。
『フェリーで何か食べられるように弁当を買っておきなさい』・・・か。
両親もお盆からは来るみたいだが、今は仕事が忙しいらしい。
父と母は共働きで、父は言語聴覚士、母は中小企業の事務作業をしている。だから俺一人で来たのだ。
来た目的は・・・まぁ、何やら従姉妹の花譜が夏バテを起こしたらしく、
それで母の妹の花菜さんが軽いパニックを起こしてしまい、母に電話してきたのがきっかけ。
「様子を見に行くついでに、里帰りでもしてくれば?」と言われ、
特に友達と遊ぶ予定もなく、ただのうのうと怠慢な生活を送ろうとしていた俺はひと夏の里帰りを実施することになったのだ。
一度も行ったことのない場所に里帰り、というのは少し妙な話だが。
まぁでも、花譜はかなり体丈夫そうだったから、夏バテになっただけだったとしてもびっくりするのも無理はないかもな。
と言っても、会ったことは無いのだが。
何度か電話はしてる。賑やかなやつだと思った。
っと、次が目的地だな。バスの前方の電光掲示板に、次は港前と流れ、それを確認して俺は降車ボタンを押す。
時間は十時五十分。バス停はすぐそこに迫っていた。
〇空港の待合室
ICカードをかざし、バスから下車。ドアの開いた刹那、潮風が体を撫でた。
久々に嗅ぐ懐かしい臭いに、俺は少し顔をしかめた。海の近くに来るのは何年ぶりだろうか。
すぐ近くのターミナルビルに向かい、滑り込みで受付を済ませる。
事前に予約を済ませていたからか、手続きはトントン拍子で進み、五分も経たないうちに乗船券が発行された。
コンビニでパンと天然水を買う。
エントランスのベンチに座り、受付に置かれたパンフレットに目を通して何やら穴場スポットがないか調べてみた。
おや。来月週刊誌トピックで特集記事が載ることになってるのか。これは島のいいPRになるかもな。
でもそれ以外にめぼしい記事はなしか。
齋藤陸「ん・・・?」
何だろう、男性が警備員にとめられてる。
その警備員の後ろにはおばあさんが。何だ、あんな人にナンパか?その実は熟しすぎて腐ってると思うが。
いや、待てよ?あの人、何やらメモ帳とペンを持ってる。
さらに首には一眼レフが。あんななりでナンパなんてするか。どちらかといえば、聞き込みか?
だったら警備員に止められてること自体おかしくね?
あ、諦めてこちらに来る。そして俺の隣の席に座った。
うわぁ、この人苦手だなぁ。なんというか、さっきもだいぶ詰め寄ってたし。俺こういう強引な人はあまり好きじゃないんだ。
???「ねぇ、君は瑠璃島の島民かい?」
中性的な青年は、俺に話しかけてきた。もう夏だというのに、いかにも暑そうなスーツを着ている彼は、正直異端だった。
ここは適当に話に乗るか。
齋藤陸「母の実家がありまして。今日はそこに行くんです。島民ってわけじゃありません」
???「そうなの。じゃあ君からはめぼしい情報は得られそうにないかな・・・?」
齋藤陸「はい・・・。あの、あなたは・・・?」
いきなり話しかけてきて、名乗りもしない。それは多分酷く失礼なことではないだろうか。
「そっか、名乗るの忘れてたね」と一言挟み、名刺を取り出してこちらに渡す。
笹原里奈「私は笹原里奈。新人ライターです。」
齋藤陸「あ、ご丁寧にどうも・・・。」
って、女性!?結構スレンダーで声が高い男性だなと思っていたが・・・。
まさか女性だったとは。これは口に出さないようにしよう。そうしよう。
おや、この人は専属ライターなのか。しかも週刊トピック。
齋藤陸「にしてもトピックのライターさんですか。ビッグタイトルじゃないですか。」
笹原里奈「ま、見開き一ページだけだけどね。それでも私にとっては大仕事なのさ。」
なんか、この人喋り方がなんだか子供っぽいな。でも、見かけだけは一流のライターっぽい。
さっきからずっと「あっちー」と言っている。そりゃ厚手のスーツなんか着てるからな。
齋藤陸「その格好暑くないですか?」
笹原里奈「暑くないならこんな暑い暑いって言ってないよ。」
そう言いながら、彼女は人目を気にせずスーツを脱ぎ、カッターシャツだけになった。
笹原さんの服が汗でぺったりと肌に張り付く。目のやり場に困るな。
そんな気まずくなったタイミングを見計らったように、アナウンスが鳴った。どうやらフェリーが来たようだ。
齋藤陸「来たみたいですね。」
笹原里奈「そだね。」
齋藤陸「そういえば、笹原さんは、瑠璃島に?」
愚問だろう。このままこの人がここで聞き込み調査を繰り返す訳にも行かないだろうし。
笹原里奈「うん。私も行くよ。向こうに知り合いがいてね。そこに夏の間だけ居候。」
齋藤陸「そうなんですね。」
この人も俺と似たようなものか。俺だって花菜さんの家に泊めてもらう手筈だ。
漁師の夫、湊譜謡さん、花菜さん、花譜の三人で過ごしてるらしい。俺はそんな三人の住む家に招かれることとなった。
そんな会話をしながら、俺たちは船に乗り込んだ。
〇小型船の上
笹原里奈「潮風が気持ちー!」
齋藤陸「大人がそんなんじゃ恥ずかしっすよ。」
俺たちは、甲板に出て、潮風に吹かれていた。そして、短く揃えられたストレートの髪を抑える。
笹原里奈「私は君が思うほど大人じゃないよ。どっちかっていえば子供。まだ19歳だよ。」
齋藤陸「意外です。てっきり二十代かと。」
笹原里奈「喜んでいいのか分からないなぁ、それ。」
へー、俺と二つしか変わらないんだ。にしては高校卒業のすぐ後にライターとは興味深いな。
是非ともライターになった経緯を聞きたいものだ。
齋藤陸「あ、そういえば俺の名前は教えてませんでしたね。齋藤陸です。」
笹原里奈「ふむ。陸くんか。よろしくね。まぁ、何か新しい情報を掴めたらお話聞かせてね。これ電話番号。」
メモ帳にボールペンを走らせ、俺に握らせる。これはつまり、女の人の電話番号を手に入れたってことだよな。
女の人の連絡先を手に入れた。しかも、この人かなり美人だ。
女性から連絡先を貰うなんて、一生ないんじゃないかと思ってたんだけどな。
運が良かったのかこんなところで貰うことになるとは。思いもしなかったな。
笹原里奈「結構近いね。」
齋藤陸「本土からは3.5キロ離れてるらしいです。」
もう目と鼻の先に瑠璃島は見えていた。緑の山々が連なり、その麓に住宅が密集している。
齋藤陸「橋でも作ればいいのに。」
笹原里奈「環境保全とかでかなり厳しいらしいよ?」
齋藤陸「下調べはしてたんですね。」
笹原里奈「うん。大方はね。でも、やっぱり島民だからこそ知る瑠璃島の顔もあるだろうし、調べすぎないようにはしてきたよ。」
笹原里奈「それに今日が初めての取材だからね。新鮮な気分で望みたいんだよ。」
この歳だから当然か。逆にそんな有名どころの記事を書けるんだから、彼女は恵まれてるよな。
〇島
やがて、40分の船旅を終えて船はスピードを弛め始めた。もう島に着く。
少し遠くにある桟橋には、何人か釣りをしている人が見える。まさに島って感じだな、と思う。
我ながら抽象的で、陳腐な感想だが。
改めて島の外観を確認する。自転車があれば一日で完走できそうな小さな島。でも、その島からは雄大な大自然を感じられた。
まるで自然を一点に凝縮したみたいだ。小さな山々は、深緑で覆われており、山肌なんてものは見えなかった。
見上げた山の向こうに、ベッタリと塗られた真っ白な入道雲が腰を落とす。
どこか懐かしいようなその雲は、一体どれだけこの空に漂っていたのだろう。
もしかしたら、俺が子供の頃に見た雲と同じかもしれない。もしかしたら、つい最近までは海の水だったかもしれない。
でもきっと、あの雲は俺のことを知っているんだろう。
海に潜った俺を、雲を見上げた俺を。姿形は変わっても、きっと。
ふと、そんなポエムを頭の中で唱えていて少し笑いそうになるも、入道雲の前に真っ白の髪が揺れたことに気がつく。
誰もいない石垣の上で、一人の少女が立っているのだ。
今にも雲に溶けそうなその髪は、白絹のように美しく、触れれば直ぐに破れてしまいそうだ。
その少女は青い服を浜風に靡かせ、ゆっくりと海に踏み出す。
一歩、また一歩・・・え?
──────・・・ドポン。
その水しぶきと音は、周りの人々には聞こえなかったらしい。防波堤の人達も、見向きすらしてない。
でも俺は見てしまった。人が身を投げたのだ。
真っ白の髪と肌が、真っ青な海に消えていく。藍色の服が、さらに濃い藍色に飲まれてく。
〇小型船の上
笹原里奈「ん、どうかした?」
あぁ、そうか。俺はどうやら見てはいけないものを見てしまったらしい。きっと、こういう時はあまり反応しない方がいいだろう。
自分が見えると気がついた良からぬものは、その人物に付きまとうとか言われてる。
齋藤陸「あ、いや。なんでもないです。」
笹原里奈「そう?顔色悪いよ?」
齋藤陸「船酔いしちゃったみたいで。でも潮風に当てられてたら楽になってきました。」
少し不思議そうに「ふーん」とは言われたものの、彼女は何やらとくダネを見つけたらしい。
「あ、見て見て!」とはしゃぎながらカメラを向ける。
笹原里奈「虹だよ、ちっちゃい虹!なんだろー、雨でも降ってたのかな?にしてはアスファルトは乾いてるけど。」
齋藤陸「鯨でもいたんじゃないですか?」
嘘です女の子が飛び込んでできた水しぶきです!
心の中でそう叫ぶも、今更そんなこと言えるはずもなく、そもそもこんなところに鯨なんているわけなく・・・。
しかし彼女は「え、鯨!ホエールウォッチング!」とかなりその嘘を信じ込んでくれているようだ。
笹原里奈「うーん。見えないや・・・。」
齋藤陸「気のせいだったかもしれません。」
笹原里奈「そっか。っと、もう着くね。行こ。」
「まもなく瑠璃島、瑠璃島です。」
彼女がそう言うと、島への到着を知らせるアナウンスが鳴り響いた。
〇堤防
ガクンと船が揺れ、波止場に船が到着する。
俺はフェリーから降りると、『ようこそ瑠璃島へ!』と勢いのある筆跡の筆で書かれたであろう大段幕が吊り下げられていた。
かなり賑わっているらしいな、島民の人達ばかりみたいだが。観光客とはいささか服装が違う。
白いシャツに、頭にタオルを巻いていたり、無地のTシャツに首からタオルを吊り下げていたり。
どうやらこの島のマストアイテムはタオルらしい。ほとんどの人が持ってる。
笹原里奈「じゃあ、私はこっちだから。何か新しい情報があったら教えてね!」
齋藤陸「はい。ではいい夏を。」
笹原里奈「君こそ!」
大きく手を振りながら、彼女は俺とは違う方向に歩いていく。俺も彼女に手を振り返した。