1(脚本)
〇ナイトクラブ
地鳴りのように低音が、一定のリズムで脊髄を突き上げる
隣り合ったステージの境界に位置するこの場所では、混ざった音たちが喧騒と溶け合って何もかもが猥雑だ
EDMの祭典と銘打たれているフェスだが、純粋に音楽を目的として集まっているのはごく少数
大声で笑い合っている者たち、地べたに寝転んでいる者たち、薄暗い中で接吻を交わす者たち・・・
酩酊のもたらす見せかけの自由が、うねるようなグルーヴと交じり合って、精神と肉体の距離を近づける
肌を露出した男女の隙間を、赤髪の男がすり抜けるようにして歩いていた
右手に持ったスマートフォンの画面に親指を滑らせながら、器用に身を翻していく
ちほ「シノケンみ〜っけ♡」
シノケン、と甘い声に呼ばれた男は篠謙介
この物語の主人公だ
篠「おっ ちほ」
篠「みんなは?」
ちほ「いるよ〜」
ちほ「栞はビーチステージ行っちゃったけどね♡」
ラインストーンでデコられた手を、ちほは篠に巻きつける
腰に絡まる腕にも、背中に意図的に当てられた膨らみにも、篠は全く動じる気配を見せない
スマホばかり見ている篠に甘えるように抱きついたまま、ちほは彼を壁際へと引っ張っていく
すると今度は、別の女の子がひときわ甲高い声を上げた
あみ「あー! やっと来たぁ」
あみ「シノケン遅すぎぃ」
責めるような語調の強さとは裏腹に、どこか媚びを滲ませてぷくっと頬を膨らませたのは、あみ、だ
ちほから奪うように、あみも篠の腕を取る
篠「ごめんごめん、あみちゃん」
篠「赤系ってまだ残ってる?」
軽い調子で篠は、謝罪の言葉を口にする
あみ「もう売り切れですぅ」
べっ、と舌を出したあみもやはり首のあたりにラインストーンを貼っている
どうやら仲間内でお揃いのタトゥーペイントをしよう、という趣向らしい
軽い調子でその場にいた友人たちと挨拶を交わしてから、篠は壁際に胡坐をかいて座り込んだ
篠「おいで」
太もものあたりを叩き、化粧ポーチからシールを取り出そうとしているちほとあみを手招きする
右膝の上にはちほが、左膝の上にはあみが、それぞれシールを手に篠の上に横座りになった
新井「出たな、ヤリチン♪」
新井「こんなとこで盛んなよ~」
篠が二人を抱えるように腕を回すと、友人たちが口々に揶揄する
彼らを見上げて悪戯っぽくウインクをしてから、篠は再びスマホの画面を確認する
ここにいない誰かからの返信を待っているようで、目の下にシールを貼られながら気もそぞろだ
そんな篠にはお構いなしで、ちほとあみの手によって、ラインストーンはアラベスク模様のような意匠を形作っていく
ふいに手の中にあったスマホが振動し、篠が腕を持ち上げようとした
しかしその視界を遮るように、黒い影が現れる
須賀崎「篠、ここにいたのか」
どこか群青の静けさを纏ったバリトンボイスは、ノイズにかき消されることもなく篠の元へと届く
レーザービームに照らされて、毛先にだけ入れている青が深海に射し込む光のようだ
篠「うお どっから出てきたお前!?」
その男、須賀崎実が、篠の捜していた相手だった
あみ「すがっちだぁ!」
新井「おいレアキャラ召喚したな!シノケン」
友人たちが口々に言うなか、須賀崎はまるで何も聞こえていないとでも言うように、篠だけを見下ろしている
須賀崎「エルシュカで前行くつもりなら、そろそろ入ってた方がいい」
篠「はいはい、わーったって」
淡々と事実だけを告げるような言い方に、篠はむう、と口をへの字に曲げる
が、めんどくさそうにしてる割には、どこか甘えた仕草で右手を須賀崎の方へと差し出す
須賀崎は短く吐息を漏らすと、何も言わずに腕を絡ませるようにしてその上腕を掴み、引っ張りながら篠を立たせた
ちほ「ちょっとシノケン!」
案の定太ももに座っていたちほとあみがバランスを崩し、抗議するような声を上げる
篠「ごめんごめん♪」
重みのない詫びの言葉を連ねると、そのまま二人の肩を抱いて「ちゅっ」とふざけて唇を尖らせる
ちほ「・・・ちゃっっっら」
あみ「てかすがっち塩すぎぃ」
篠と比べると須賀崎の方が大きいが、二人とも上背があってスタイルがいい
並んで歩くだけで絵になる赤と青の後ろ姿を見ながら、ちほとあみは嘆息を漏らす
ちほ「ほんっと二人とも隙ないってか、あいつら誰かを好きになるとかあるんかね!?」
あみ「でもスガシノは顔がいいからぁ」
「それな〜〜〜」
声を合わせながら、あっという間に人混みの中に消える篠と須賀崎の後ろ姿を二人は見送った