〇怪しい部屋
　　東北、岩手県のとある港町。
　　築何十年という古民家の一室で今晩、ある生命いのちが尽きようとしていた。
日下部　文香（くさかべ　ふみか）「お姉ちゃん・・・・・・寒いよぅ」
　　ぼた雪が反射する淡い月明かりしかない・・・・・・そんな暗い四畳半の畳部屋で、もぞもぞと動く毛布の塊は呟く。
　　その傍らには同じ様に薄っぺらい毛布に身を包む少女が居た。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「ごめんね、文香・・・・・・こっちおいで。お姉ちゃんがぎゅーってしたげる」
　　毛布を開き、長女の弥生は妹の文香を呼んで毛布の中へ招き入れる。
日下部　文香（くさかべ　ふみか）「はぷちゅ！」
　　可愛らしいくしゃみとともに、はらりと布がずれた。
　　ほんの少し雲が晴れて光量を増した雪明りで弥生は文香の顔を見る。
　　また少し痩せ、頬は寒さによるしもやけで赤くなり・・・・・・その髪は数日間洗えてないためにボサボサだ。
　　ここ最近は弥生も文香も温かい風呂とは無縁でガスの支払いはおろか電気も停められている。
　　こんな中で水浴びでもしようものなら凍えて風邪位ならまだしも、肺炎など重度の病気をして死んでしまう未来は誰でも想像がつく。
　　そんな三人の状態は役所に駆け込んでケースワーカーにでも状況を訴えれば生活保護の対象にだってなる。
　　ケースワーカーの裁量で様々な手段が講じられる。しかし、そんな当たり前の救いは彼女らにはなかった。
日下部　文香（くさかべ　ふみか）「お姉ちゃん、どうしたの？」
　　キョトンと文香は姉の顔を覗き込む。文香はあずかり知らないがそんなことは弥生がとっくに試していた。
　　結果は叔父と叔母の虚構の家族生活劇・・・・・・弥生は両親を失ったショックから構ってほしいと嘘をついたと判断された。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「うん？」
　　弥生はわからず聞き返す。
日下部　文香（くさかべ　ふみか）「泣いてるの？」
　　はっ、としたように弥生は頬に手を当てる。ほんの僅かにぬくもりが残る指先に触れたのは涙だった。
　　弥生は慌ててごしごしと服の袖で拭って無理やり笑顔を造る。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「へへ、乾燥してきちゃったからね。大丈夫だよ文香。ほらおいで」
　　ごまかすように妹を抱き寄せて毛布をかぶせた弥生。
日下部　文香（くさかべ　ふみか）「ふにゃ！　あったかいぃ」
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「うん、今晩はこうして温まろう？　あんたも来る？　真司」
　　そう言って弥生は努めて明るく、のそりと自分の背にもたれかかる弟の名を呼ぶ。
　　呼ばれた真司は「うん」とだけ返事を返す。普段なら愛想が良い彼だが・・・・・・今は体調が優れなくてそれが精いっぱいだった。
日下部　文香（くさかべ　ふみか）「お兄ちゃんも温かい」
　　文香は姉の背中越しに兄のお腹に手を回す。はたから見ると小さい山のように毛布のてっぺんから少女の頭だけが突き出ていた。
日下部　真司（くさかべ　しんじ）「熱があるからだろ、風邪うつるから離れてなよ文香」
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「・・・・・・まだ辛い？　真司」
日下部　真司（くさかべ　しんじ）「姉ちゃんより頑丈だよ」
　　気遣うような弟の声に弥生は唇を噛みしめる、実は彼女も体の調子は良くないのだ。
　　連日連夜アルバイトを続けながら家事と学業を両立して下の弟と妹の面倒も見ている。
　　そんな生活を二年間も維持していくのはどう考えても無茶が過ぎた。しかし彼女はやってのけている。
　　そこにあるのはたった一つの意思。
　　自分は長女なのだから弟と妹を護るという意思。
　　だから少女は笑う。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「何言ってるのよ。私の心配なんか良いからしっかり寝なさい・・・・・・」
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「明日になったらバイト代振り込まれてるからご飯と薬をまず買って・・・・・・多分電気代とガス代払えるから」
日下部　真司（くさかべ　しんじ）「うん」
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「文香も明日はいっぱい食べよう？　お鍋が良い？　カレーにする？　それとも文香の好きな・・・・・・文香？」
　　いつの間にか弥生のお腹に頭をうずめていた文香の反応が返ってこない。
　　どうしたのかと肩をゆすろうとしてその手を止める・・・・・・なぜか嫌な予感がした。
　　今日はクリスマス前日なのに記録的な寒波が近づいている影響で外の最低気温は氷点下10度を下回った。
　　弥生は目線だけを窓の外へ向けるとさっきまで大きい塊のぼた雪が・・・・・・細かい粉雪となりキラキラと輝いている。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「まだ寒くなるの？」
　　東北では当たり前の防寒策である二重窓も、枠がゆがんで隙間風が吹き込むこの部屋では意味をなしていない。
　　まさか・・・・・・と震える手で妹の肩にそっと手を置く少女。
日下部　文香（くさかべ　ふみか）「ん・・・・・・」
　　文香の小さな小さな声が聞こえる。
　　どうやらただ単に眠っただけのようだ。
日下部　真司（くさかべ　しんじ）「・・・・・・僕も寝るから姉ちゃんも寝なよ」
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「う、うん。おやすみ・・・・・・真司」
日下部　真司（くさかべ　しんじ）「そういや姉ちゃんの学生証届いてたよ。明日早いんでしょ？　渡しておく」
　　弥生の背中越しに真司は真新しい学生証を姉の手に手渡す。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「ありがとう、どこに落としちゃったのかな？　前の学生証・・・・・・」
日下部　真司（くさかべ　しんじ）「いい加減スカートのポケットに開いた穴直しなよ？　また落とす前にさ」
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「・・・・・・明日学校でミシン借りるよ」
　　それからしばらくすると真司も寝息を立て始めた。
　　　弥生はそれを確認して少しため息をつく。
　　――その吐息は白く、ほわりと虚空に溶けた。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「どうしてこうなったんだろう」
　　ぽつりとつぶやく。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「私は頑張ってるよ？　お父さん、お母さん・・・・・・」
　　弟たちの前では決して見せない胡乱げな眼差しで彼女は窓越しの月を見上げる。
　　楽しかった、暖かかった、優しかったあの頃を思い出して・・・・・・。
　　今の彼女を支える過去の記憶はいつも明るかった。

〇明るいリビング

〇怪しい部屋
　　父と他愛もない喧嘩をし、母とファッション雑誌であれこれ相談し、弟の楽しみにしていたスイーツをこっそり食べたり
　　妹の帽子に可愛い|刺繍《ししゅう》をしたり、友人と夜が明けるまで雑談をしていた・・・・・・。
　　ほんの二年前まで、思い出す必要すらないほど当たり前の暮らし。
　　二年前に崩れた日常。　
　　そして始まる・・・・・・壮絶な地獄。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「なんで、死んじゃったの？ 私はまだ・・・・・・頑張れるから。声聞きたいよ・・・・・・」
　　しゃくりあげる微かな声に気づきながらも・・・・・・目を開けず。真司は無言を貫く。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「寒い・・・・・・」
　　暫くひっそりと泣いた後、震える声で弥生は鼻をすする。
　　ほんの少しの本音を飲み込んで弥生は眼に光を灯した。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「明日はお肉にしよう」
　　文香と真司の大好物を作ろう。
　　弥生が無理矢理思考を切り替えた。その時だった。
　　ぱさり
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「あ・・・・・・」
　　かじかんだ手から学生証がこぼれ落ちて、ころんと毛布から飛び出て畳の上に転がった。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「・・・・・・まあいいや。寒いし」
　　どうせ誰も持って行かないだろうし。
　　そんな事より少しでも長く寝て体力を回復しないと・・・・・・と瞼を閉じる。
　　――日下部弥生、見つけた。
　　３人しかいないおんぼろ部屋に響いた女性の声。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「・・・・・・え？」
　　弥生は顔を上げる。幻聴か？　それとも寝入りの際の夢の一枚《ひとひら》？
　　しかしそれはあまりにも明瞭に響く声だった。
シルエットA「おっとそうだった・・・・・・聞こえちゃうんだった」
　　軽い調子で呟くその声に弥生は違和感を覚える。
シルエットA「・・・・・・聞いてはいたけどマジでやばいんだったわね」
　　じゃらっ・・・・・・
　　
　　　何かが当たる音。
　　　弥生はその音に思い当たる。
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「そろばん？　ねえ誰・・・・・・なの？」
　　少女は体に力を込めて立ち上がろうとするが、虚脱感に襲われ動けない。
　　そもそも文香の体重が足にかかっていてしびれていた。
シルエットA「ええと、サンタクロース？」
日下部　弥生（くさかべ　やよい）「は？」
シルエットA「ほら今日はクリスマスだし」