知らない遺体(脚本)
〇黒
時折、思う
どんなに頑張っても
人の心を知ることは不可能なのだと
例えそれが家族でも
〇葬儀場
葬式会場
疎遠になっていた親族が集まる場所だ
この時ばかりは皆
普段の態度を捨ててくれる
遺体を前にして悲しんでくれる
修司「この遺影の写真 早苗さんが決めたの?」
彼は田宮修司
私の従兄弟だ
英梨「渋々ね」
英梨「私が「こっちの方がいい」って 譲らなかったの」
修司「よく許したね」
英梨「確かに。 了承したのは驚いたかな」
修司「桂さん」
修司「綺麗になったなぁ・・・」
英梨「・・・」
英梨「私も そう思う」
〇黒背景
「綺麗」
みんなそれ以外には何も言えなかった
この遺影に写る女性
ここにある女性の顔をした遺体は・・・
私のお父さんなのだ
〇黒
あの日を思い出す
〇明るいリビング
早苗「・・・え?」
早苗「今、なんて言ったの?」
桂「・・・だからさ」
桂「僕は母親になるよ」
英梨「・・・」
英梨「なれば」
桂「冗談なんかじゃない」
桂「本気で言ってる」
英梨「・・・!」
桂「この前から用意していたんだ」
英梨「ちょっと・・・」
英梨「なに考えてんの?」
英梨「お父さん おかしいよ!」
桂「あと これを会社へ出すつもりだ」
英梨「え・・・」
早苗「英梨 向こうに行きなさい」
英梨「でも・・・」
早苗「黙って!」
早苗「行きなさい」
英梨「分かり・・・ました」
早苗「少しお話しましょうか」
桂「ああ・・・」
〇明るいリビング
英梨「お父さん」
桂「英梨・・・ 起きてたのか」
英梨「お母さんが怒るのも無理ないよ」
桂「ああ・・・」
桂「でも夢だったんだ」
桂「いつか母親になってみたい・・・」
桂「子供の為に」
英梨「子供?」
英梨「私のこと?」
桂「・・・」
桂「英梨はどう思ってるんだい?」
英梨「・・・よく分からないよ」
英梨「でも・・・」
英梨「正直に言って」
桂「何を?」
英梨「ただ なりたいだけなの?」
英梨「「女性」に」
桂「ちょっと違うかな・・・」
桂「『母親』に・・・だよ」
英梨「え?」
英梨「それってどういう・・・」
桂「お休み、英梨」
英梨「お父さん・・・」
〇黒
しばらくして
お父さんは
私達の前から姿を消した
〇葬儀場
修司「英梨ちゃん」
英梨「え?」
修司「食事だってさ。 行こう」
英梨「あ・・・うん」
私はお父さんの遺影を眺めた
そこに写る女性の笑顔は美しかった
私の思いなど
まるで遠くにあるようだった
〇ホテルのレストラン
一弘「久しぶり 英梨ちゃん」
英梨「伯父さん」
この人は田宮一弘
お父さんの兄だ
一弘「しばらく見ない内に大人になったね」
英梨「背ばかり大きくなって 中身はそんな変わってないですよ」
一弘「まあ・・・ 一番、変わったのは桂か」
一弘「あれが俺の弟なんて信じられなかったよ」
英梨「・・・」
梨沙子「ほんと英梨ちゃん。 頑張ったと思う」
梨沙子「大変だったでしょ?」
篠崎梨沙子
お母さんの姉だ
英梨「いえ そんな事はなかったですよ」
梨沙子「そうなの?」
梨沙子「早苗も苦労とか言わない子だから ずっと心配してたのよ」
突然の失踪だったが
お父さんは私達を見捨てたわけではなかった
退職金のほとんどは通帳にあった
そして月に一度だが
おそらくお父さんからだろう
まとまった生活費が振り込まれていたのだ
一弘「だが人生 何が起こるか分からないものだな」
梨沙子「突然だったものね」
一弘「交通事故だったんだってな」
英梨「はい」
英梨「警察から知らせを貰って・・・」
英梨「最初はなんかの冗談かなって」
英梨「遺体が女の人だったから」
一弘「そりゃそうだよな」
梨沙子「ところで・・・その」
英梨「なんです?」
梨沙子「『彼』は来るの?」
英梨「あっ・・・」
英梨「いえ」
英梨「お母さんが絶対に許しませんでした」
〇車内
孝一郎「あの会場だな」
孝一郎「美咲、もう着いたよ・・・」
美咲「・・・」
孝一郎「寝てるのか・・・」
〇ホテルのレストラン
英梨「・・・?」
梨沙子「何?」
一弘「なんだかロビーが騒がしいな」
〇おしゃれな受付
早苗「帰ってください!」
孝一郎「そこを何とか!」
孝一郎「どうかお線香だけでも あげさせてくれませんか?」
孝一郎「お願いします!」
英梨「何があったの?」
修司「ああ 英梨ちゃん」
修司「それがね 来ちゃったんだ」
修司「あの人が」
英梨「孝一郎さん?」
孝一郎「英梨さん」
早苗「英梨! 奥に行ってなさい」
早苗「この人はすぐに帰るわ」
孝一郎「・・・」
英梨「待ってよ!」
英梨「せっかくここまで来てくれたんだよ?」
早苗「ダメよ!」
早苗「絶対に許さな・・・」
美咲「う・・・ん」
孝一郎「美咲、起きたのか」
美咲「トイレ・・・」
美咲「我慢できない」
孝一郎「え? そ・・・そうなのか?」
英梨「お母さん」
英梨「どうするの?」
早苗「全く・・・」
早苗「仕方ないわ」
早苗「でも桂の側には近付かないで!」
〇ホテルのレストラン
孝一郎「すっきりしたかい?」
美咲「うん」
美咲「ありがとうお姉ちゃん」
英梨「え・・・」
英梨(そんな風に呼ばれたのは始めてだな)
美咲「ねえ どこにいるの?」
英梨「えっと・・・誰の事かな」
美咲「お母さん」
英梨「え・・・」
美咲「交通事故で死んじゃって・・・」
美咲「ここで眠ってるって」
〇黒
この孝一郎という突然の来訪者・・・
彼の事はみんなよく知っている
美咲ちゃんの実親であり
そして・・・
お父さんと同棲していたのだ
〇教会の控室
早苗「・・・」
梨沙子「早苗」
早苗「姉さん」
梨沙子「気分はどう?」
早苗「ごめんなさい」
早苗「今は1人にして欲しいの」
梨沙子「・・・分かったわ」
梨沙子「話したい事があるなら言ってね」
早苗「ありがとう」
早苗「・・・」
〇ホテルのレストラン
孝一郎「あの・・・美咲は?」
英梨「修司君が落ち着かせてます」
一弘「あんたがそうなのか」
孝一郎「・・・」
一弘「一弘。 桂の兄だよ」
孝一郎「えっ」
孝一郎「・・・あ」
孝一郎「うぅ・・・」
孝一郎「すいませんでしたっ!」
一弘「頭なんか下げないでくれよ」
一弘「桂が望んだ事だ」
一弘「俺は尊重しようと思ってる」
一弘「顔を上げて」
英梨「伯父さん・・・」
「美咲ちゃん!
そっちは駄目だよ」
美咲「お父さん」
孝一郎「美咲!」
孝一郎「どうしたんだ?」
美咲「お母さんに会いたい」
孝一郎「それは・・・」
修司「ここにいたんだ」
修司「美咲ちゃん あっちにお菓子が用意してあるよ」
修司「ね?」
美咲「・・・」
英梨「修司君」
修司「大丈夫 梨沙子さんが来てくれたから」
修司「こっちは任せといて」
英梨「うん・・・」
英梨(私にとってはお父さんなのに)
英梨(美咲ちゃんにとっては お母さんに会いたい、なんだな)
〇明るいリビング
桂「僕は母親になるよ」
〇ホテルのレストラン
英梨(母親・・・か)
英梨「孝一郎さん」
孝一郎「は・・・はい!」
英梨「私はあなた達のこと何も知らない」
英梨「・・・聞くのが怖かったからです」
英梨「でも・・・今、こうして向かい合ってる」
英梨「教えてください」
英梨「お父さんと どうやって知り合ったんですか?」
孝一郎「・・・」
英梨「お願いします」
孝一郎「・・・」
孝一郎「分かりました」
〇黒
あれは偶然の出会いでした
僕の妻は・・・
長い療養の末に亡くなったんです
美咲は母を恋しがっていました
毎日のように泣きじゃくって
僕達は悲しみの中にいました
〇図書館
妻はよく美咲に絵本を読んでました
僕はそれを借りようと図書館へ行った
そこで桂と出会ったんです
桂「こんにちは」
孝一郎「あ・・・どうも」
桂「絵本ですか?」
孝一郎「はい」
孝一郎「娘が好きなんです」
〇シックなカフェ
桂「そうなんだ」
桂「それは大変だったね」
孝一郎「はは・・・」
最初は友人としての付き合いでした
その内に美咲のことを相談するようになって・・・
桂は真摯に聞いてくれました
そして・・・
〇黒
ある日、桂は言いました
桂「僕が代わりになろうか?」
母親に・・・と
〇ホテルのレストラン
英梨「・・・」
英梨(そんな事があったんだ)
〇明るいリビング
お父さんはこう言っていた
「子供の為に」
〇ホテルのレストラン
英梨(・・・そうなのかもしれない)
英梨「伯父さん」
一弘「どうした?」
英梨「私、話してくる」
英梨「お母さんと」
〇教会の控室
早苗「何?」
英梨「孝一郎さんと話したよ」
早苗「そう」
私はその内容をゆっくりと話した
英梨「お父さんは美咲ちゃんの事を想った」
英梨「だから女性に・・・いや」
英梨「母親になったんじゃないかな」
英梨「どう思う?」
早苗「英梨はどうなの?」
英梨「・・・分からない」
早苗「そういう事よ。 今さら無駄なの」
早苗「もうやめましょう。 こんな詮索みたいな事」
英梨「・・・」
その時だ
私の中で何かが爆発した
英梨「分かるわけないよ! 本心なんて!」
早苗「・・・」
英梨「だって・・・」
英梨「会いたくても・・・いないんだもの!」
早苗「・・・英梨」
英梨「だったらせめて・・・」
英梨「今からでもいい!」
英梨「心に触れてみようよ?」
早苗「心・・・」
英梨「それが家族でしょ?」
英梨「お母さん!」
早苗「・・・」
早苗「いいわ」
早苗「話してあげる」
〇黒
あの人は最低よ
〇部屋のベッド
女性になる事。
それを怒ったわけじゃない
全てを話して欲しかったの
本心をね
愛していたからよ
それが夫婦でしょ?
〇教会の控室
英梨「でも・・・」
英梨「お母さんが 遺影の写真を選んだんだよ?」
早苗「・・・」
英梨「私、嬉しかった」
英梨「きっとお父さんも喜んでるよ」
早苗「・・・」
早苗「そうね」
英梨「だから一緒に頑張ろうよ」
英梨「ね?」
早苗「・・・」
〇明るいリビング
桂・・・
また会える?
一緒に笑える日が来る?
〇教会の控室
早苗「英梨」
英梨「ん・・・」
早苗「あの人に・・・」
早苗「孝一郎さんに言ってくれない?」
早苗「桂に会ってあげてって」
早苗「お線香を・・・ あげてやってって」
〇黒
「ありがとう、お母さん」
〇葬儀場
こうして
お父さんの葬式は終わった
色んな想いを残して
みんな別々の道に帰って行った
〇黒
──1ヶ月後
〇一戸建て
英梨「こんにちはーっ!」
〇綺麗なリビング
美咲「お姉ちゃん!」
英梨「美咲ちゃん、元気?」
孝一郎「やあ」
英梨「どうも」
孝一郎「くつろいでってね」
美咲「はい オレンジジュース」
英梨「ありがとう」
私は孝一郎さんの家に行くようになった
〇黒
不思議な気分になる
ここに私のお父さんがいたのだ
母親として
〇綺麗なリビング
美咲「これ一緒に読もう?」
美咲「お母さんが読んでくれたの」
英梨「うん いいよ」
これはきっと始まりだ
出会いなんだ
二つの家族が立ち直る為の・・・
〇明るいリビング
きっとまた会える
そう信じてる
だから聞こう
〇綺麗なリビング
母になったお父さんの話を
納得がいかないながらも、少しずつ父親の選択や生き方に歩み寄ろうとする英梨の姿が健気でした。「多様性」という言葉だけが一人歩きする昨今の世の中で、良し悪しを判断するのではなく、相手の生き方を「あるがままに受け入れる」という姿勢も求められていくような気がします。
なぜ「女性」ではなく「母親」になることに固執したのか、桂さんの想いが軸となって構成された「第一話」ですね。故人の想いがどのように詳らかにされていくのか、ぜひ続きを読んでみたいです。
なぜ、「女性に」ではなく「母親に」なのかと不思議に思いましたが、読み進めるうちに分かりました。誰かを思いやることで誰かを傷つけることになってしまうことに、辛いことだけど一歩踏み出す何かがあったのかなと感じました。またそれを受け入れることができる主人公が素敵です。続きが読みたくなりました。