読切です。(脚本)
〇黒
誰かに恋をする事。
〇黒
それはとてもあたたかくて幸せな事。
〇黒
でも、きっと。
〇黒
それと同じくらい、つらくて。
切ない事です。
〇空
〇美しい草原
〇草原の一軒家
〇黒
渚「先生」
渚「私は・・・私の事は、治していただけるのでしょうか」
〇島国の部屋
ときの「痛みを和らげたい、という事ですね」
渚「はい」
渚「この場所の事はネットで知りました」
渚「行きたいと強く願う事で見つける事が出来る、不思議な診療所」
渚「そこにいる女の子──医院長である ときのさんは、恋愛に関する心の痛みを治してくれると」
渚「そう書いてありました」
ときの「治すというのは語弊があるかもしれませんね」
ときの「『戻す』と言った方が正しいかもしれません」
渚「戻す・・・?」
ときの「片思い。失恋。そして別れ。 そのたび人は心を痛めます」
ときの「そして負った傷というのは、なかなか治るものではありません」
ときの「──ならいっそ、『最初からなかった事』にしてしまえばいい」
ときの「それも1つの選択だと私は思っています」
〇黒
〇明るいリビング
「渚〜!」
「お母さん買い物に行ってくるから、その間にお風呂の掃除しておいてくれる〜?」
渚「えー?」
「どうせ、ごろごろテレビ見てるだけでしょ!」
渚「んー」
渚「・・・お。 こんな時間に歌番組やってる」
〇ライブハウスのステージ
〇明るいリビング
「ちょっと、聞いてんの〜?」
「な・ぎ・さ!」
「もう行くから、ちゃんとお掃除しておいてね!」
〇黒
・・・
〇島国の部屋
渚「私、今大学生なんですけれど。 この歳になるまで恋愛とかした事なかったんです」
渚「自慢じゃないですけれどね」
渚「・・・でも、テレビ越しに彼の姿を見て、彼の曲を聞いた時」
渚「初めて胸の中があたたかくなりました」
ときの「一目惚れですか?」
渚「恋心って、たくさんの段階を経て湧くものだと思っていたんですけれどね」
ときの「恋のカタチは人それぞれです。 理屈ではありません」
ときの「距離も、年齢も、性別も。 場所も、時代も、時間も」
ときの「恋愛には何も関係ないんですよ」
渚「ええ。本当に」
〇空
渚「──彼、もうすぐ結婚するんです」
渚「CD は全部買いました。 何度も聞きました」
渚「グッズもたくさん買ったし、ライブだって何度も行きました」
渚「もちろんそれで彼との距離が縮まるわけではないですし・・・」
渚「私なんかが彼と結ばれるなんて事、あるはずもないって知っていましたけれど」
渚「・・・でも、幸せでした」
渚「そしてその幸せが、一瞬にして溶けてしまいました」
渚「彼の結婚を祝福するファンもたくさんいましたけれど」
渚「私には出来ませんでした」
〇島国の部屋
渚「・・・先生は、恋をした事ありますか?」
渚「その恋は成就しましたか?」
渚「よく、『初恋は実らない』なんて言いますけれど、どうしてなんでしょうか」
渚「1度きりの人生なのに。 どうして結ばれないんでしょうか」
ときの「・・・」
ときの「私も恋をした事があります」
ときの「そして、その初恋は叶いませんでした」
ときの「でもそれは、半ば必然でもあると思っています」
ときの「あなたが誰かに恋したように。 他の誰かもまた、別の誰かに恋をしている」
ときの「・・・もちろん、あなたに好意を寄せる人だっている」
ときの「世の中、実る恋より実らない恋の方が、ずっと多いんですよ」
〇黒
〇地下実験室
〇地下実験室
渚「これは・・・?」
ときの「人の魂を過去へと送る装置です」
ときの「これを使えば、彼に想いを寄せる以前の あなたに戻る事が出来ます」
渚「そんな事が可能なんですか?」
ときの「ええ」
ときの「ただしその際、様々な記憶を消させていただきます」
ときの「ここでの会話はもちろん、彼に関する思い出や愛情も全て置いていっていただきます」
ときの「彼の事を、2度と好きにならないように」
ときの「──それがあなた自身にとって、幸なのか不幸なのか」
ときの「よく考えて決断してください」
渚「・・・」
渚「──こういう場面って。 普通ならきっと「それは嫌」って言わなくちゃいけないんですよね」
渚「彼への想いや思い出は忘れたくないから、過去には戻りませんって」
渚「・・・でも、ごめんなさい先生」
渚「私、そんなに強い人間じゃないんです」
渚「強い人間じゃ・・・ないんです・・・」
ときの「・・・」
ときの「──いえ。 それも1つの答えです」
ときの「大丈夫。 ・・・大丈夫ですよ」
〇地下実験室
渚「・・・あっ」
渚「そういえば、お金・・・」
──いえ、大丈夫ですよ
ここの診療所は、趣味で経営しているようなものですから
渚「でも・・・」
渚「・・・」
渚「──なら、先生。 代わりにこれを受け取っていただけますか?」
渚「私、ここのお店のお菓子、大好きでいつも持ち歩いてて」
渚「口に合えばいいんですけれど」
・・・
ふふ。
実は私も、このお店のお菓子大好きです
大切な、思い出の味なんです
渚「そうなんですか?」
渚「・・・へへ。 よかった」
渚「ありがとう、先生」
〇地下実験室
──ありがとう、先生
〇地下実験室
渚「・・・どうかしましたか?」
・・・。いえ
あなたの幸せを願っています
〇白
〇黒
渚「──失恋したんです」
渚「同級生の男の子なんですけれど、彼には好きな人がいて──」
〇黒
渚「──近所のお兄さんの事を好きになったんですけれど、告白したら振られちゃって──」
〇黒
渚「──家庭教師の先生が好きになったんですけれど、彼には彼女がいたんです──」
〇黒
渚「──私、ここのお店のお菓子大好きなんです」
渚「ありがとう、先生」
渚「ありがとう──」
〇地下実験室
ときの「・・・なぎさ」
ときの「なぎさ」
ときの「どうか、もう泣かないで」
〇黒
──神様。
どうか、お願いします
どうか、渚の事を見守ってあげてください
どうか、今度こそ
私の大好きな渚が、笑顔でいられますように──
〇黒
〇空
〇繁華な通り
〇川沿いの公園
ときの(・・・いい天気だな・・・)
「──そう! そうなの!」
渚「そこのお菓子が、すごく美味しいんだよ」
渚「帰りに寄っていこうね」
ときの「・・・」
ときの(──やっと、出会えたんだ。 かけがえのない相手に)
ときの「・・・」
〇空
──よかった
渚の笑顔が、見られてよかった
よく失恋の痛手を「癒す」というけれど、「元に戻す=記憶を消す」という発想が斬新でした。渚は過去に何度もこの診療所を訪れていたんですね。ときのは「今度こそ」と送り出していたのかと思うと切ない。
この治療というかシステムは、合理的な上患者に対して優しさが溢れていると思いました。辛い失恋で生まれる強さもあるけれど、どうしても立ち直れないという場合にはとても有効ですね。