エピソード7(脚本)
あちこちにくしゃくしゃに丸まった原稿用紙が落ちている。
山木真治 (やまきしんじ) は鬼のような形相で原稿に文字を書きなぐっていた。
そこに、妻の山木和代 (やまきかずよ)が顔を覗かせる──
〇漫画家の仕事部屋
小田正人「OKです。そのまま振り返らず」
小田正人「そして、最後のヒトコマ」
石黒理「どうだ? どんな顔をしている?」
宮本義和「駄目です。思い浮かびません」
石黒理「駄目か」
宮本義和「石黒さん、先生から何か聞いてないんですか? 打ち合わせの時に」
小田正人「そうですよ。 普通ネームの段階でどういう表情にするかまで決めますよね」
石黒理「いや、まあ。普通はね。 ただ、ほら、あれだよ。持ち味」
小田正人「持ち味?」
石黒理「そう。 先生の個性を消さないようにするためにね、先生の描きたいように描かせていたんだよ」
小田正人「でも仕上げになってからの描き直しはけっこう多いですよね」
石黒理「私がいいと思っても編集部でNGが出たら直さざるを得ないんだよ」
小田正人「それも含めて、石黒さんが編集部と戦ってくれたりしないんですか?」
石黒理「もちろんするさ。 まあ、この話はいいじゃないか」
石黒理「それより、小田君はどうだい? どんな表情していると思う?」
小田正人「うーん、やっぱり悲しい顔してるんじゃないすかね」
石黒理「ほう。それはどうして?」
小田正人「だって、娘を流産で失った上に、奥さんまで出て行っちゃうんですよ」
長谷川清香「私はそうは思いません」
小田正人「なんでですか?」
長谷川清香「山木は小説家として自分の信念に従って生きてる人です」
長谷川清香「山木にとっては、家族よりも小説を書くことの方が大事なはずです」
小田正人「それってどういう顔ですか?」
長谷川清香「いつもと変わらず、原稿用紙に向き合っている時の顔です」
小田正人「いつもの顔って?」
長谷川清香「鬼のような」
小田正人「いやいや、いくらなんでもそれはないですって。山木だって人間ですよ」
長谷川清香「いいえ、鬼です」
小田正人「さすがに奥さんと離婚するんだから、動揺しますって」
長谷川清香「しません! 私には分かるんです」
宮本義和「そもそも、山木の想いは最後まで奥さんに伝わってないよね」
石黒理「ほう。それはどんな気持ち?」
宮本義和「そうなると、悔しさとか歯がゆさみたいなのもあるのかな」
小田正人「それ、どんな顔です?」
宮本義和「歯噛みしている感じかな。いーって」
小田正人「プーッ!」
宮本義和「なんだよ」
小田正人「それはない。絶対ない。 ありえないっすよ宮本さん。 子供じゃないんだから」
宮本義和「そうかな」
小田正人「いやあ、宮本さん。 全然分かってないすよこの作品のこと」
小田正人「ってか、そんな顔したらテーマがブレブレじゃないっすか」
宮本義和「テーマ? この漫画のテーマって?」
小田正人「え、そんなのも分かんないで今まで描いていたんすか? 大丈夫っすか?」
宮本義和「それ、どういう意味?」
小田正人「いや、テーマすら分からないで描くとかって、漫画家目指している身としてはどうなのかなって」
宮本義和「君にそんなこと言われる筋合いはないよ。 君だってまだ──」
石黒理「議論してても埒(らち)が明かないよ」
小田正人「でも、ちゃんと話し合わないと」
石黒理「今となっては先生本人に聞くわけにはいかないんだから」
石黒理「どれでもいいからさっさと決めてしまおう」
小田正人「え・・・」
石黒理「この際決めで行こう。 小田君案の悲しい顔でいいよ」
長谷川清香「それでは納得いきません! これでは、先生に失礼です」
小田正人「そうですよ。それじゃあんまりです」
石黒理「では、あと10分で決めてくれ」
小田正人「そんな・・・」
宮本義和「石黒さんはどうですか?」
石黒理「私?」
宮本義和「この中で結婚して奥さんがいるのって石黒さんだけですから」
小田正人「そう言えば、娘さんもいましたよね?」
石黒理「と言っても、妻も娘も普通に家にいるからなあ」
長谷川清香「お腹にいた娘さんを流産で亡くして、奥さんも出て行ってしまう。 そんな時の気持ちを想像してみてください」
石黒理「まあ、普通は悲しいだろうね。 ただ、この山木は普通ではないからなあ」
長谷川清香「ですから、山木の気持ちに重ねてみてください」
石黒理「どうだろうね」
長谷川清香「どうなんですか!」
小田正人「まあまあ、落ち着いて、清香さん」
長谷川清香「・・・・・・」
石黒理「そんなの、本人にしかわからないだろう」
宮本義和「じゃあ、山木という人物をもっと深掘りする必要があるね」
小田正人「ってか、主人公の山木真治って、先生ですよね?」
宮本義和「そう? 僕は違うと思うよ。 多少は重なる部分はあると思うけど」
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