エピソード8(脚本)
〇法廷
美奈「あの人は、私の杭なんだと思います」
有島孝雄「・・・杭? 杭とは地上に埋め込む、あの木の棒のことですか?」
美奈「そうです。 私は・・・彼がいないと、どこにもいない存在だからです」
美奈「憎らしく、顔も見たくないと思うときはあっても、彼がいないとダメなんです」
美奈「地上に留まることができず、空に飛ばされるビニール袋みたいに、私は宙を彷徨ってしまう」
山木俊介「ふざけるな! そんな抽象的なことで、許されると思ってるのか!」
伊吹香奈「異議あり! 裁判長! 発言が高圧的すぎるのでは!?」
裁判長「認めます。厳重注意とします」
山木俊介「!」
有島孝雄「山木さん、お願いします。 私に任せてください」
山木俊介「・・・・・・」
有島孝雄「美奈さん」
有島孝雄「あなたはどこにもいない存在などではない。 幼いときからアイドルとして、立派に活動されてきた」
有島孝雄「違いますか?」
美奈「確かに、私はアイドルをやっていました。 そして仕事に生きがいを感じていました」
美奈「自分が必要とされているという確かな実感がそこにあったからです」
美奈「私はうんと小さい時から、誰かに必要とされたいと、ずっと、いつもそのことに飢えていました」
有島孝雄「あなたは誰からも必要とされてなかったのですか? 例えば家族とか」
美奈「父は、よく暴力を振るいました。 母は暴力を振るわれる私に非があると、私を責めました」
美奈「でも、父も母も、ある日同時に事故で亡くなりました」
美奈「その時、気付いたんです。 私は、私が何者でもない存在だということに」
有島孝雄「ですが、あなたはアイドルとしてステージに立ち、そして多くの人に愛された」
有島孝雄「多くの人に——」
美奈「それは本当の私ではありません!」
有島孝雄「・・・あなたは、多くの人に愛され、そして必要とされた——違いますか?」
美奈「だったら逆に伺います。 あなたは偽りの自分を愛されて、満たされますか?」
美奈「アイドルというのは一つの虚像にすぎません、虚像は簡単に崩れます」
美奈「あとは、簡単に忘れ去られるだけです!」
有島孝雄「・・・・・・」
美奈「二十歳のとき、アイドルとして絶頂を迎えながら、毎日死ぬことばかりを考えていました」
美奈「その時、あの人が結婚しようと言ってくれた」
美奈「私はバカで、結婚って言葉を聞いたその瞬間、初めて結婚というものが、生涯誰かから必要とされることと同じだって気が付いた」
美奈「・・・嬉しかった」
美奈「何万人という見知らぬファンたちが、声を枯らして必死に私の名前を呼んでくれるよりも、ずっと」
有島孝雄「・・・では今も山木さんがあなたを愛していて、あなたを必要としていると、そう思っているのですか?」
美奈「・・・そう信じています」
再び会場内にざわめきが起こる。
山木俊介「・・・ふんっ」
有島孝雄「・・・っ」
有島孝雄「あなたは愛を知らないんだ」
有島孝雄「生まれたばかりの小鳥が、目の前に飛び込んできた対象物を親と勘違いしてしまうように、愛を見失って生きている」
伊吹香奈「異議あり! 本件と関係ありません!」
裁判長「認めます。弁護人は控えて」
有島孝雄「美奈さん」
有島孝雄「たとえば、アイドル自体のあなたが大好きで、あなたのことを追いかけて、ただただ、あなたの幸せだけを祈ったファンがいたとして——」
有島孝雄「十年経っても、二十年経っても、三十年経っても、なんの見返りもなく、無償に、あなたの幸せを祈ってくれている」
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