エピソード1(脚本)
〇男の子の一人部屋
僕は死ぬことにした。
いわゆる自殺というやつだ。
でも貴方が僕のことを哀れんだり、可哀そうと感じる必要はない。
なぜなら、
追い込まれてとか、辛い経験をしたからとか、仕方なくこの選択をするのではないからだ
人生における選択肢の一つとして自殺する選択をしただけだ。
人生の選択をしたことを可哀そうと感じるのは変なことだ。
だから貴方は僕にそのような感情を向ける必要はない。
そんな感情を僕に向けるくらいなら、生きることに必死な人達へ向けて欲しい。
その上で、僕の話を見てもらえればありがたい。
男子A「今日死ぬとして、最期の瞬間に何をしたい?」
こんな話題を雑談のネタにしている人達をよく見掛けるが、
今まさに僕はその瞬間に立たされているというわけだ。
では、そんな僕の人生最期にやっていることは何か?
それは・・・
”思考”
である。
死ぬことを決心し、いざ目の前にリアルな死の訪れを感じたとき、
僕の中に一つの疑問がわいた。
そんなモヤモヤした状態で自殺をするのが、何か嫌だった。
何か具体的な理由があるわけではなく、感覚的に嫌だったというだけだが。
普段の僕ならそんな説明のできない感覚なんてものは無視をする。
自ら人生を閉じると決心をしたときにも、僕の中にある生物として発せられている別の感情は無視をしたほどだ。
でも、まぁ、本当の最期くらいその声ならざる声のわがままを聞いてやろうと思い、
モヤモヤした感情を晴らしてから人生を終えようと思考をしているという経緯なのだ。
そんな僕が今考えていることは
”僕にとっての死とは何か?”
である。
恐らく生物としての僕の感情は、
この疑問を考えることによって、どうにかして生きることへの希望を見出してもらいたいのだろう。
しかし僕としては、今までずっと無視し続けてきた”生物としての僕”の感情のわがままに対し、
向き合うことにしてやっただけで満足してもらいたく感じる。
つまり、死とは何かを考えたところで、
それによってどんな答えを導きだしたところで、
自ら今人生を終える決定を覆す気はないということである。
今から、そんな僕の人生最期にやった”思考”にお付き合いいただければ幸いである。
シーン2へ続く