エピソード4(脚本)
〇黒
・・・幸せな夢を見ていた。
私が雪也さんと付き合う頃の夢だ。
〇公園のベンチ
その日、雪也さんが東京を訪れていた。
細かい内容は忘れたけど都内で用事があったらしく、ちょうど同時期に私の事も思い出していたので、
タイミングが合えば食事に行きたいと誘ってくれたのだ。
佐野 雪也「こんにちは」
伊藤 さゆり「どうも」
伊藤 さゆり「まさか本当に連絡を貰えるとは思っていませんでした」
佐野 雪也「あれだけ念を押されたら、せめて一度は応じないと、と思いまして」
伊藤 さゆり「強引に連絡先を渡した甲斐がありました」
デートプランは特に決まっていなかったので、夕食までの時間は適当に都内を回りながら交流を深めていくことになった。
年齢が近いのもあってか、それとも波長が合うのか、雪也さんとはとても話が弾んだ。
伊藤 さゆり(私、やっぱりこの人のこと好きだな・・・)
最初は笑顔に一目惚れしたけれど、中身を知ってからより好きになってしまった。
伊藤 さゆり(雪也さんも同じ気持ちでいてくれたらいいのに)
〇川沿いの公園
一刻も早く告白してしまおうか──と、考えていた時だった。
目の前を元気に走っていた子供が、勢いをつけすぎて階段から落ちてしまった。
伊藤 さゆり(大変・・・!)
周囲を見回しても両親らしい姿がなく、私は慌てて男の子に走り寄った。
伊藤 さゆり「大丈夫?」
男の子「・・・うん でも、痛い」
頭は打っていないようだけど、転んだ際にあちこちを擦りむいたのか、彼の肌には血が滲んでいた。
伊藤 さゆり「雪也さん、すみません 荷物を持っていてもらっていいですか?」
佐野 雪也「あ・・・はい」
戸惑っている雪也さんに荷物を押し付け、私は男の子の前に膝をついた。
伊藤 さゆり「あっちに水道があるから、血を流そう」
私は男の子の身体を抱き上げ、水栓柱がある場所まで連れて行った。
男の子「お姉ちゃん、服が汚れちゃうよ」
伊藤 さゆり「汚れても平気な服だから大丈夫」
汚れてもいい服だなんて嘘だ。
雪也さんとのデートの為に、気に入っている服を着てきたのだ。
でも──怪我をしている子の手当てが優先だ。
〇川沿いの公園
男の子の手当てをした後──
男の子「お姉ちゃん、ありがとう」
伊藤 さゆり「一人で家族のところに行ける?」
男の子「うん、大丈夫!」
伊藤 さゆり「気をつけてね 戻ったら傷口をちゃんと消毒するんだよ」
男の子「わかった! バイバイ!」
男の子は大きく手を振って帰っていった。
伊藤 さゆり(あー・・・やっぱり服は汚れちゃったか)
雪也さんと会う為に揃えた服には、血がついてしまっていた。
伊藤 さゆり(洗ってもダメかもしれないな・・・まあ、仕方ないか)
心の中で落ち込んでいると、雪也さんが軽く肩を叩いてきた。
佐野 雪也「この後、一緒に服を見に行きませんか」
伊藤 さゆり「服? 別に構いませんけど・・・」
佐野 雪也「実は僕、外出用の服をあまり持っていなくて」
佐野 雪也「誰かに見立てて貰いたかったんですよね」
佐野 雪也「・・・もしよければ、さゆりさんの服も一緒に見ませんか」
伊藤 さゆり(新しい服を買いに行こうって誘ってくれてるのかな・・・)
雪也さん好みの服を聞いて買ってみようかな、と考えながら歩いていると、隣にいる彼が私の顔を覗き込んだ。
佐野 雪也「さっきのさゆりさん、かっこよかったです」
佐野 雪也「僕はおろおろしているだけだったのに、自分の服が汚れるのも気にせず真っ先に行動して・・・尊敬しました」
伊藤 さゆり「尊敬だけじゃなくて別の感情も持ってもらえたら、一番嬉しいんですけど」
冗談っぽく笑うと、雪也さんが不意に足を止めた。
佐野 雪也「尊敬以外・・・ですか」
伊藤 さゆり「・・・」
二人の間に静かな時間が流れる。
何か話したいような空気を察したので、黙って待っていると──
佐野 雪也「本当は食事の後で話そうと思っていたんですが」
彼は私の手を取り、じっと目を見つめてきた。
佐野 雪也「今日一緒に過ごして、さゆりさんのような人と、この先の人生を歩いていけたら素敵だと思いました」
佐野 雪也「結婚を前提に付き合ってくれませんか」
気が早いと言われるかもしれませんが、と付け足した彼の頬が赤くなっている。
照れくさそうにはにかむ顔も、私の目にはとても可愛らしく映る。
返事は一択だった。
伊藤 さゆり「・・・私で良ければ」
返事とともに雪也さんの手を握り返すと、彼は表情を綻ばせた。
一目惚れから始まった恋が、こういう形で進展するとは思わなかった。
伊藤 さゆり(今が人生で一番幸せかもしれない・・・)
伊藤 さゆり(ううん、きっとこれからはもっと幸せなことが起きるんだろうな)
この人と一緒なら、どんな苦労も乗り越えていける──そんな直感が、当時の私にはあったのだ。
〇黒
・・・
〇ホテルの部屋
深い眠りから、急速に意識が引き上げられる。
カーテンの隙間から眩しい朝日が差し込んでいる。清々しい朝だ。
伊藤 さゆり(懐かしい夢だったな・・・)
間違いなく幸せだった瞬間のことが夢に出てきて、心が満たされたような気分になる。
隣に視線をやると、雪也さんの寝顔が見えた。
安らかな寝息を立てている彼は、私の視線を感じたのか小さく身じろぎをした。
伊藤 さゆり(昨日は残業で帰りも遅かったし、ゆっくり寝かせてあげよう)
そう思いながら、今度は反対方向に視線を向ける。
「あ、うー・・・」
そこには、雪也さんと美智の間に出来た赤ちゃんが眠っていた。
穂香という名前の女の子だ。私が名付けた。
伊藤 さゆり「おはよう、穂香」
穂香はむにゃむにゃと唇を動かしたものの、起きる様子がない。
伊藤 さゆり「・・・ふふ、可愛い」
赤子の愛らしさを前に、思わず声が出てしまう。
伊藤 さゆり(こうして見ると、雪也さんの面影があるな)
気持ちよさそうに寝息を立てている穂香の頬にそっと触れてみる。
人差し指で触れた箇所はお餅のように柔らかく、ずっと触っていたくなった。
伊藤 さゆり(そろそろ起きるかもしれないから、ミルクの準備をしないと)
私は二人を起こさないように気をつけて、寝室を出た。