第三十五話『奥田冴子Ⅱ』(脚本)
〇病室のベッド
商人「最初に説明した通り、返品は可能ですよ」
商人は相変わらずの、どこか芝居がかった口調で告げたのだった。
商人「この鏡を私に返却するだけで、返品は完了します」
奥田冴子「貴方に鏡を返すと、どうなるの?」
商人「簡単です。この鏡によって起こったこと全てが、なかったことになります」
商人「貴女が鏡を使って復讐した人達は全て蘇り、同時に貴女が徴収された“幸福”分の命も全て返却されることになりますね」
商人「勿論、貴女の燃えてしまった家も戻ってきますよ」
奥田冴子「・・・・・・」
ということは、つまり。
奥田冴子「・・・・・・やっぱり、颯人さんや晴翔君の件は。私が徴収された幸福、ってことであっていたのね」
奥田冴子「そして、返品することで私がやった復讐もなかったことになってしまう、と」
商人「そういうことです」
商人は頷いた。
商人「自分にはもう何もない。そう思っている人間は存外多いものなのですが・・・・・・」
商人「実は本当に、何もかも失ってもいいという“無敵の人”はごく僅かなんです」
商人「実際は、誰もが何かに縋って生きている。貴女に、旦那さんがいたように」
商人「そして、人によってはその“生きる支え”は人間とも限らない」
商人「ペットの犬だったり、ちょっとした趣味だったり、大好きなゲームだったりもするということなんです」
ちっちっち、と指を振ってみせる商人。
商人「つまり、例えば絵を描くことを人生の楽しみとしている人がこの鏡を使ったら」
商人「その趣味という幸福を奪われるような結果になったでしょう。例えば、事故で腕がなくなるとか」
商人「漫画が大好きな人なら、その人が好む漫画の連載が突然打ち切りになってしまうかもしれませんねえ」
奥田冴子「・・・・・・自分の代価が、他の人にも及ぶ。まさに悪魔の道具ね」
商人「おやおや、酷いことを仰る。その悪魔の道具で何人も拷問して殺しておきながら」
奥田冴子「・・・・・・そうね。私に言えたことではないわね」
商人「人間が人あらざる者の力を使おうとすると、どうしても歪が起こるのです」
商人「それを修正し、調整するためにはどうしても代価が必要不可欠となってくる」
商人「ほら、よく言うじゃないですか。人は代価もなしに、何かを得ることはできないと」
奥田冴子「・・・・・・そうかも、しれないわね」
結局、道具は使う人次第ということだ。実際この商人は自分に選択肢を与えたが、それを選んだのは結局冴子自身なのだから。
奥田冴子(今も、私は選択を迫られてるんだわ。殺した連中を生き返らせてでも、颯人さんたちを蘇らせるか)
奥田冴子(それとも、颯人さんたちの死を受け入れて、珠理奈ちゃんへの危害も覚悟して)
奥田冴子(・・・・・・村井芽宇を殺し、最初の目的を真っ当するか)
後者の選択をするなら、自分もすぐにそのまま自死することになる。
大切な人が誰もいない世界で、生きていくことなどできないのだから。
前者の選択をするなら、それはそれとして奏音がいない世界を受け入れ、
そして苦労して復讐した連中がのうのうと生きていくことを許容しなければならなくなる。
どちらにせよ、一番望んだ結果を得ることは、できない。
奥田冴子「復讐相手を全部殺して、愛する人は全部生き返って。・・・・・・そんな都合よくはいかないのね」
ここまでくると、苦笑いするしかない。
奥田冴子「ねえ。私のしたことは、間違ってたの?愛する人を奪われて、復讐したいと願ってはいけなかったの?」
商人「間違ってはいなかったと思いますよ?」
商人は、あっさり答えを返してきた。
商人「ただし。自分が撃った弾が己に返ってくるという覚悟が、少々貴女には足らなかったということなんでしょうね」
〇モヤモヤ
第三十五話
『奥田冴子Ⅱ』
〇黒背景
何が正解で、何が間違いなのか。
結局誰にも、その究極の裁定を下すのは難しいのだろう。
何故なら、誰もが意思を持ち、その主観から逃れることはできないのだから。
人は誰しも、自分が見たい真実しか見ない。
正しいと思いたいものしか、信じたがらない生き物だから。
商人「・・・・・・了解しました」
冴子が返事を伝えると、商人を名乗った悪魔の代理人はうやうやしく礼をしたのだった。
商人「こちらとしましても、大変参考になるデータが取れました。ご協力ありがとうございます。とても楽しませてもらいましたよ」
商人「・・・・・・趣味が悪い?ふふふふ、言われ慣れております」
それでは、と彼はずれた帽子を直して言ったのだった。
商人「ご機嫌よう。またのご利用をお待ちしております」
彼は鏡を持って消えていった。そこから先の、記憶がない。
覚えているのは、冴子自身が“もう二度とそんな機会がなければいい”と考えたことだけだった。
そして。
奥田冴子「う、ん・・・・・・?」
なんだか、体のふしぶしが痛い。
自分がベッドで寝ていない、どころかどこかの机に突っ伏していることに気付いて、冴子は慌てて顔を上げたのだった。
〇おしゃれなリビングダイニング
奥田冴子「え!?」
目に飛び込んできたのは、見慣れたリビングの風景。
朝の明るい陽射しが、部屋の中に射しこんできている。
白いレースカーテンが窓際で揺れ、網戸から拭きこんだ風がパラパラとソファーの上に置き忘れられた文庫本を捲っている。
燃えてしまったはずの、我が家。そして今、廊下を歩いてくる音が。
奥田颯斗「あ、冴子!」
あの火事で死んだはずの夫が、目を丸くして冴子を見ていた。
奥田颯斗「ちょ、まさかリビングで寝ちゃってたのかい?駄目だろ、風邪引いちゃうじゃないか!」
奥田冴子「は、颯人さん・・・・・・?」
奥田颯斗「え、どうしたんだ冴子?え?」
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なるほど、冴子さんの決断はそっちでしたか…
冴子さんのような境遇を題材とした作品では、作中の空気が”復讐やってまえ”か”復讐ヨクナイ”のどちらかに振れてしまうものが殆どで、その間で熟考してしまうものは貴重で読み応えがあります。もちろん、冴子さんの決断に至るまでの精緻な描写があってこそですが!
そして、商人さんの大仰な芝居口調CV、クセになる魅力がありますね!