〇新幹線の座席
シュリ「は、は、ハルアキお兄ちゃん、お、オクタマカチョーと会ったことあるの？」
シュリ「うそぉー!?しゅ、しゅ、首里（しゅり）も会いたーい！」
　　存外に良いリアクションに、ハルアキは満足した。
　　東京へ向かう東北新幹線の中である。窓には夏の太陽に照らされた山々が、のんびりと通り過ぎていく。
　　向かいの席には、大学の一コ上の先輩で、動画配信サークル『ホラーバスターズ』の部長。
　　黒髪ポニーテールの女子大生、ヤクモが、窓際で頬杖をついて流れる景色を眺めている。
ハルアキ「ホントホント。すごいでしょ？」
シュリ「す、す、すごぉーい！」
　　自分はどうやら子どもに好かれる体質のようだ、とハルアキは思う。
　　ちょこん、と隣に座る、ちょっと吃音気味の女の子。
　　乗車してすぐに、急に声を掛けられた。
　　ヤクモに同席の許可を求めてから、女の子と話していると、すぐに笑顔になってくれた。
ヤクモ「まったく、君が子どもみたいだな」
　　ようやくヤクモが口を開いたかと思えば、そんなことを言う。
　　違いますぅ。この女の子の発達段階に合わせて、話す言葉をチョイスしているんですぅー。
　　そう言いたかったが、論理的に説き伏せられてしまいそうなので、ハルアキは反論しないことにした。
シュリ「ね、ね、ねえねえ、ハルアキお兄ちゃん」
シュリ「と、と、東京まで一緒なんでしょ？お、オクタマカチョーの話、き、聞かせて？」
　　会ったばかりの女の子が、自分なんかではなく、日本一のネット動画配信者である奥多摩課長に興味があることも、理解している。
　　奥多摩課長は近年、小さい子向けの全年齢対象な動画がかなり多い。
　　企画自体も、誰にでも理解できるような、とても分かりやすいものになっている。尖った配信や、攻めた企画はほとんどない。
　　そうなってからハルアキはほとんど彼を視なくなってしまった。
　　きっと、動画配信サイトの視聴者層や視聴者の傾向など、自分を観る人をしっかりと分析しての、現在の形なのだろう。
　　そんな大物配信者に、食事をご馳走になったことがある。
　　それだけで、子どもがこんなにも喜ぶ顔が見れるとなれば、悪い気もしないハルアキだった。
ハルアキ「もちろんだよ」
ハルアキ「・・・そうだねぇ。急に俺たちに、奥多摩課長からメールが届いてね？」

〇配信部屋
　　──────────
　　ヤクモとハルアキが、東京に向かうことになった経緯は、一昨日から始まる。
ヤクモ「ハルアキ氏。また配信者からメールが届いたぞ」
　　いつものガラクタ置き場になっている学舎の一角。
　　熱波襲来の中を学食から歩いて来た、汗だくのハルアキに向かって、ヤクモはこちらも見ずにそう言った。
　　パソコンを前に編集作業をしている涼しい顔をした彼女の、背中で揺れるポニーテール。
　　それを引っ張ってやりたいのを我慢しながらハルアキは、
ハルアキ「また何か怪奇現象の相談ですか？」
　　と、聞き返しながらヤクモの隣のゲーミングチェアに座る。
　　『ホラーバスターズ』は怪奇現象や心霊現象、オカルトの自称専門家である先輩のヤクモ。
　　ヤクモ以外は信じてくれないが、怪奇現象を認識できて、その原因を手掴みで解決できるという能力者ハルアキ。
　　その二人の、ネット動画配信者コンビだ。
ヤクモ「ああ。そのようなんだがね。いや、違うかもしれない。ただの体不調なだけのようにも思える」
　　配信歴を重ねて、今は視聴者からもホラーな相談が増えてきた。
　　そして、たまに配信者（どうぎょうしゃ）からも、個人的にメールが来たりする。
ハルアキ「じゃあ、そう先方に伝えればいいじゃないですか」
　　ハルアキはヤクモを見ているのだが、ヤクモはデュアルモニターで編集ばかりしていて、こちらを見ていない。
　　マウスを動かし、たまにキーボードを叩いている。声とその音だけが、空間に響いていた。
ヤクモ「いや、表面上は相談なんだが、実際はオフコラボのお誘いなんだよ」
ヤクモ「カップルチャンネルだか新婚チャンネルだか知らないが、」
ヤクモ「彼らの企画で『嫁が憑りつかれたから噂のホラバス呼んでみた』という企画がしたいんだそうで、」
ヤクモ「新幹線代は向こうでもってくれるし、良かったら夕食を家で一緒に食べたい、と」
ハルアキ「行きましょう、今すぐにでも」
　　・・・・・・・・・
　　さきほど学食で七〇〇円のかつ丼を我慢して、
　　二五〇円のわかめうどんを食べて来たハルアキである。
　　考える、という選択肢すら放棄した。
　　マウスを動かす手が止まり、ヤクモがやっとこちらを向いた。
ヤクモ「でも、ちょっと頭痛がして少し瘦せただけだぞ？」
ヤクモ「これで何もなかったら、我々が恥をかくというか、損をするんじゃないのか？」
ヤクモ「相手にも迷惑がかかってしまうだろう？」
　　珍しくヤクモが不安を吐露する。
　　ホラーや怪奇を相手にしながら、現実の不確定要素を極端に怖がることが、ハルアキには少し面白かった。
　　だとしても、空腹には打ち勝てるはずもない。
ハルアキ「そんなの、東京で晩飯ごちそうになってから考えればいいんですよ」
ハルアキ「こっちは一日一食で過ごしてるんだ。断ったら許しませんよ？」
ヤクモ「な、なんなんだその理由は？」
ハルアキ「なんていう配信者ですか？」
　　ヤクモの非難を無視してハルアキは彼女を睨みながら聞いた。一瞬、ヤクモがたじろぐ。
ヤクモ「・・・プゥ子とサム太の仲よしチャンネル」
　　なにかを我慢するかのように、ヤクモが少し口をふくらませながら小さい声を出した。
　　おそらく語感が面白かったのだろう。
　　もしくは恥ずかしかったのかもしれない、とハルアキは予測する。
ハルアキ「すみません。もう一回、いいですか？」
ヤクモ「プゥ子とサ・・・・・・」
ヤクモ「・・・・・・」
ヤクモ「ハルアキ氏。本当に聞こえなかったんだろうね？」
ヤクモ「そうじゃなかったら殴るよ？」
　　ニヤニヤしているハルアキの目の前に、小さな白い拳が登場した。
　　これはいかん、とハルアキはすぐに口を開く。
ハルアキ「ちゃ、チャンネル名はちょっと存じ上げませんが、と、とにかく、すぐに行くと返事をして下さい！」

〇おしゃれなリビングダイニング
サム太「照明はオッケー。マイクはこの位置で・・・と、いいですよね？」
サム太「・・・よし、プゥ子。カメラは大丈夫？」
プゥ子「おっけーだよぉっ！」
　　サム太が聞くと、プゥ子が楽しそうに返事をする。
　　規制前の痩せすぎた海外モデルのような体形の彼女は、見ていて心配になる。
　　艶のない黒髪は、ところどころが痛んでいて、瀉血でもしたかのような白い肌と、元気そうな彼女の声とが、嫌でも対比を生み出す。
　　カップルチャンネル、と称してはいるが二人は一年前に結婚しているらしい。
　　東京駅で新幹線を降りて、埼玉方面に電車で数駅。そこから歩いて五分の場所に、二人が住んでいるマンションはあった。
　　４LDKのリビングの中心に大きなテーブルがあり、キッチン側に三脚でカメラが設置されている。
　　テーブルの中心にはパソコンに繋がれ、小型スタンドに取り付けられたマイク。
　　ソニーのサンパチマイクだ。
　　なにか特殊なこだわりでもあるのだろうか、とハルアキは目の前のマイクを見て思う。
　　性能はいいらしいが、かなり昔の機種だ。
　　しかしながら実のところ、配信機器にこだわりを持つ配信者は多い。
　　いつまでも三千円の中古マイクを使っている、どこかの配信サークルの二人とは違うようだ。
　　呼び鈴の音が、室内に響いた。
プゥ子「あ、晩ご飯の宅配が来たみたい。サムちゃん、あたし取ってくるね？」
サム太「おう、頼む」
　　玄関へ続く廊下に、プゥ子が駆け出す。
　　その足音も、彼女の体重の軽さを示すほどに小さな音だった。
　　木目調の四角いテーブルに隣同士で座る二人に、サム太も立派そうなイスに座りながら、
サム太「痩せ過ぎですよね、プゥ子。なんか悪い物、見えました？」
　　と、先ほどまでの微笑みを忘れたような表情で尋ねた。
ヤクモ「一年前に、動画配信を二人で始めた頃とはまるで別人のようだ。なにか心当たりは？」
　　尊敬語や謙譲語、丁寧語という言葉は、自分の辞書にないとでも言うように、ヤクモがいつも通りな様子で聞き返す。
サム太「あ、僕らの動画を視てくれたんですか？ありがとうございます」
ヤクモ「いや、これは聞いた話で・・・」
　　サム太の礼の言葉に、ヤクモが言い淀みながらハルアキを見る。
ハルアキ「俺がリサーチしたんです」
ハルアキ「そういう分担みたいなものがありまして」
ハルアキ「・・・それで、一年前に、なにかありましたか？」
　　ハルアキがヤクモの視線に答えるように口を開いた。
　　サム太が腕を組みながら首をかしげる。
サム太「分かりますよ。分担はウチにもあります」
サム太「・・・一年前っていうと、ちょうど僕らが結婚した頃ですね」
サム太「結婚を機に、妻が前々からやりたかったっていう、動画配信を始めることになって」
サム太「まさか僕が仕事を辞めることになるくらい、稼げるようになるとは思ってなかったですけどね」
　　サム太の顔に柔らかさが戻った。どこか懐かしむような遠い目をしている。
？？？「あ、あ、あんまり聞かないであげて？」
プゥ子「はーい！ピザとか、お寿司とか届いたよー！」
　　廊下の向こうから、お寿司の桶の上にピザの箱を乗せて、両手いっぱいに抱えたプゥ子が戻って来た。
　　それを見てサム太が立ち上がる。
サム太「けっこうあったな。重いだろ。持つよ」
　　プゥ子に近寄り、荷物をすべて受け取った。それを手際よくテーブルに並べている。
　　それを見て、プゥ子が手を叩きながら、思い出したように口を開いた。
プゥ子「じゃあ、私はお箸とかスープ運んでくるね？」
サム太「ああ、頼んだよ」
　　良い夫婦だな、と心からハルアキは思う。
　　きっとヤクモも、そんなふうに考えているのだろう。
　　寂しそうに微笑んでいた。
　　プゥ子が大きなお盆で、ポトフを配膳し終わると、全員が席に着いた。
サム太「じゃあ、プゥ子。食事会謙撮影を始めようか。・・・カメラ回して」
プゥ子「はーい、了解っ」
プゥ子「あ、その前にサムちゃん。今日もいつものやつ、大丈夫？」
サム太「・・・・・・」
サム太「あ、ああ。もちろん。・・・行っておいで」
　　思い出したように再び立ち上がったプゥ子は、料理を取り分けたお皿と、スープを持って歩き出し、
　　また廊下のほうに、音もなく消えてしまった。
ヤクモ「すまない、ハルアキ氏。私はもう、居たたまれない」
　　匙を投げたヤクモの言葉に、ハルアキは意を決する。
ハルアキ「あの、答えたくなければ、答えなくてもいいんですが」
ハルアキ「サム太さんは再婚だと聞いています」
ハルアキ「前の奥さんとの娘さんがいたと聞いたんですが、そのことをお聞きしてもいいですか？」
　　サム太の日に焼けた頬が固まり、ぴくりとも動かなくなった。
サム太「・・・・・・どこで、それを？」
　　驚きのあまり、魂が抜けたようなサム太の表情から、絞り出すような声が出る。
？？？「や、や、やめて。は、は、ハルアキお兄ちゃん」
　　泣き出しそうな女の子の声が響いている。
　　ハルアキの、背後から。
ハルアキ「・・・・・・・・・」
ハルアキ「今も俺の後ろに、首里ちゃんがいます」
ハルアキ「今日は新幹線に乗った時からずっと、一緒だったんです」
ハルアキ「すべて彼女から聞きました。いま、部屋でプゥ子さんが、なにをしているのかも、全部です」
サム太「そ、そんな冗談は・・・」
　　残念ながら、冗談ではない。
　　それはきっと、言ったサム太も途中で思い至ったのだろう。観念したように俯いてしまった。
　　テーブルに力なく置かれた彼の拳が震える。
　　それが、全身に伝わっていく。
　　身体が震え出すのと同時に、慟哭が部屋に響いた。
サム太「すまないっ！ごめんよぉ！首里っ！」
サム太「ごめんよぉ、首里ぃいいっ！お父さんは・・・」
サム太「お父さんは・・・・・・ぁあっ！」
シュリ「お、お、お兄ちゃんっ！お、お、お父さんを、なっ、泣かせないでよぉ・・・」
　　父子の涙が混ざり合う。
　　それが一方向にしか伝わらないことが、ハルアキにはただただ残酷に思えた。
　　ハルアキが立ち上がる。
ハルアキ「・・・・・・・・・」
ハルアキ「ヤクモ先輩、行きましょう」
　　ヤクモもそれを追って、玄関先の廊下へとハルアキを追った。

〇古めかしい和室
　　廊下の途中にあるドアノブを、ハルアキが無言で掴み、開ける。
ヤクモ「ハルアキ氏・・・」
ヤクモ「私にもコレが見えるってことは、だいぶヒドいってことだね？」
　　ヤクモの声は、コレと呼ばれたプゥ子には届いていないようだ。
　　仏壇の中心には、ハルアキの背後に佇む少女の遺影が、満面の笑みで飾られている。
　　さきほど宅配された料理を乗せた皿が、写真の前には供えられていた。
シュリ「お、お、お父さんがシュッチョーで遠くに行って、わ、私はプゥちゃんと二人っきりで過ごしてたの」
シュリ「プゥちゃんは、ま、前のお母さんとは違くて、お、お、お料理、で、できなくて・・・」
シュリ「し、し、しなければ良かったのに、そ、その話をしたら、ぷ、ぷ、プゥちゃんは、す、すごく泣いちゃって」
シュリ「わ、私、どうしたらいいか分からなくなっちゃったの」
シュリ「は、走ってここを飛び出して、ま、ま、マンションの階段を降りようとしたら・・・」
シュリ「こ、こ、転んで、こ、転げ落ちて」
シュリ「わ、私、し、し、死んじゃった、の・・・」
　　少女の声も、姿も、ヤクモには届いていない。
　　ハルアキにだけ、届いている。
　　そのハルアキも、仏壇の前で目を閉じ、手を合わせるプゥ子の姿を凝視していた。
　　後頭部が割れて、乳歯の生えたような唇が見える。
　　長い黒髪は、さきほどと比べ物にならないほど増えて、伸びて。
　　いくつもの束となり。
　　ウネウネと、仏壇へと蠢（うごめ）いている。
　　毛先の束が生きているように、食塊をつかみ。
　　翻（ひるがえ）って、ゆっくりと。
　　後頭部へ。
　　唇へ。
　　頭の、中へ。
　　口がもぞもぞと動き。
　　咀嚼しているようにも見える。
　　たまに。
　　呟くように小さな声が。
　　その口から聞こえて。
　　悔やむような。
　　嘆くような。
　　もの悲しい。
　　誰の声とも、分からぬ声が。
　　「ごめんなさい・・・・・・、ごめんなさい・・・・・・」
　　と。
　　何度も。
　　何度も。
　　それでも髪は動きを止めず。
　　その謝罪を。
　　その罪を、けして許さぬように。
　　遺影の前と後頭部を行き来して。
　　食塊でその口を塞いでいる。
ハルアキ「・・・・・・・・・」
　　何も言わず、ハルアキが手を前に伸ばしながらプゥ子に近寄って行く。
　　ボトリ、ボトリ、と。
　　その手に触れられた黒髪の束から、地に落ちて、空間に霧散していく。
　　髪の毛が運んでいた食べ物が、床に落ちていく。
　　急に。
　　プゥ子が目を開いて、こちらを振り返った。
　　恐ろしい形相だった。
　　目は打ちひしがれたように色を失い、口は取り戻せない自身への悔恨を呻き、
　　こけた頬はもう、すでに死人のそれであった。
？？？「やめて下さい。・・・もういいんです」
　　どちらの口が、そう告げたのか。
　　ハルアキには分からなかった。
シュリ「ぷ、ぷ、プゥちゃんは・・・」
シュリ「お、お母さんは、も、もう、い、生きようとしてないの・・・」
　　ハルアキの背中から、泣いている少女の、そんな声が聞こえる。
ハルアキ「そんなっ・・・・・・」
　　言葉は、続かなかった。
　　それを、許せというのだろうか。
　　そんなことをしていいのだろうか。
　　救える命を、手放すことを、自分にしろというのだろうか。
　　伸ばした手が震える。
プゥ子「ごめんなさい・・・」
プゥ子「ごめんね・・・、首里・・・」
プゥ子「もうすぐ、お母さんも・・・・・・」
　　溢れた涙が、ゆっくりと床に落ちて。
　　ハルアキの腕が、力なく下ろされた。
ヤクモ「ハルアキ氏・・・？」
　　背後から、今度はヤクモの声。
　　ハルアキは、歯を食いしばって、その声に応じる。
ハルアキ「ヤクモ先輩・・・」
ハルアキ「俺には・・・、もうできません」
　　息をのむ音。
　　静寂。
　　それを、破るように。
ヤクモ「・・・・・・そうか」
　　と、それだけ。
　　ヤクモは、呟くように、返事をすることしかできなかった。