阿鼻獄の女

高山殘照

9.彼女の番(脚本)

阿鼻獄の女

高山殘照

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〇刑務所の面会室
天間 弁護士「どうですか、体調は」
岳尾 貴美子「情けなくなるくらい、良好よ」
岳尾 貴美子「あれだけ被告席に座れば 調子悪くなるのが普通なのにね」
天間 弁護士「まあ、どのみちもうすぐ終わりますよ 被告側弁論の次は、判決ですから」
天間 弁護士「素直に罪を認めていただくと 進行もスムーズですね」
天間 弁護士「いつもこうなら 我々も楽なんですが」
岳尾 貴美子「その調子で気を抜いてて 減刑なんて望んでないし」
岳尾 貴美子「私のことより、雄さんよ 大丈夫なの?」
天間 弁護士「実は入院されている施設を 記者が嗅ぎつけまして」
岳尾 貴美子「そんな」
天間 弁護士「ご心配なく 即座に転院していただきました」
天間 弁護士「ご存知の市立病院 そこの特別個室に入っておられます」
天間 弁護士「あの病院は皆さん協力的ですから まず、記者は入り込めませんよ」
岳尾 貴美子「よかった・・・・・・」
天間 弁護士「では、打ち合わせに入りましょう」

〇法廷
裁判長「それでは被告側の弁論に入ります 弁護人、お願いします」
天間 弁護士「はい」
天間 弁護士「まず本日は裁判官・裁判員・傍聴人と たいへん多くの方がお集まりです」
裁判員「・・・・・・」
天間 弁護士「そんな皆々様に お願いしたいことがあります」
天間 弁護士「被告人である岳尾貴美子は 連日、苛烈な報道に晒されています」
天間 弁護士「それこそ家族構成から生い立ち これまでの経歴まで」
天間 弁護士「事件に関係あるなしにかかわらず 良識あるものなら目を背けるほどです」
岳尾 貴美子「・・・・・・」
天間 弁護士「見方を変えれば 十分に社会的制裁を受けている」
天間 弁護士「魔女裁判のような悲劇的結末 それを強いられることがないよう」
天間 弁護士「弁護士として 心よりお願い申し上げます」
天間 弁護士「さて被告が犯した罪 その第一は、実の母である佐東法子」
天間 弁護士「彼女が装着していた人工呼吸器 及び点滴を外し、結果的に死に至らしめた」
天間 弁護士「いわゆる『未必の故意』による 殺人ということになります」
天間 弁護士「かつて刑法において 第200条という条文が存在していました」
天間 弁護士「内容は、実の母や父などを殺すと 死刑か無期懲役に処すというものです」
天間 弁護士「しかし1973年の最高裁判決を経て 1995年の刑法改正で削除されました」
裁判長「弁護人、もっと簡潔に」
天間 弁護士「あー、ちょっとお待ち下さい 大事なのは、ここからなんです」
天間 弁護士「お集まりの皆さん とりわけ、裁判員の皆さん」
天間 弁護士「ここで確認していただきたいのは 法律と解釈はアップデートされる」
天間 弁護士「そうした ごく、当たり前のことです」
天間 弁護士「被告は当時、 極限の板挟みにありました」
天間 弁護士「夫の浮気と母の介護 いわば妻として、そして娘としての悩み」
天間 弁護士「しかも被告は誰も見捨てなかった それゆえに、深く傷ついたのです」
天間 弁護士「これは彼女が女性であるがために 起こった悲劇ではないでしょうか」
天間 弁護士「SDGsの目標5にこうあります 『ジェンダー平等を実現しよう』」
天間 弁護士「まさしく今問われているのは 現代の人権感覚ではないでしょうか」
裁判員「・・・・・・ふふ」
天間 弁護士「そもそもこのような事件に 発展した原因は大企業間の密約にあります」
天間 弁護士「被害者でもある夫・岳尾雄が 努めていた大曲商事」
天間 弁護士「そしてロシアにおける 天然ガス大手の大企業」
天間 弁護士「それらが無理難題をふっかけて 被告夫妻の家庭を破壊したのです」
天間 弁護士「これら大企業が手を結んだ背景には ロシアの軍事侵攻があります」
天間 弁護士「この世界的な事件により 我々はとてつもない被害を受けています」
天間 弁護士「食料や燃料における価格高騰などは 皆様もよく知るところでしょう」
裁判員「・・・・・・むう」
天間 弁護士「その他にも考慮すべきことがあります たとえば・・・・・・」
岳尾 貴美子(さっきから、なにを言ってるの?)
岳尾 貴美子(この弁護士 いったい、なにをやろうとしてるの?)
天間 弁護士「・・・・・・以上の事柄を踏まえれば 誰しもが、被告のような状況になりえた」
天間 弁護士「にもかかわらず 被告は一切の弁明を行わない」
天間 弁護士「これほど真摯な態度があるでしょうか」
天間 弁護士「これ以上 被告になにを求めればいいのでしょうか」
天間 弁護士「皆様には理性と温情ある判断を願いたい 心より、そう申し上げます」
裁判長「では最後に、被告から なにか言いたいことは、ありますか?」
岳尾 貴美子「私は」
岳尾 貴美子「すべての罪を認めます 減刑は望みません」
岳尾 貴美子「それだけです」
傍聴人「素晴らしい!」
裁判長「静粛に、静粛に願います」

〇刑務所の面会室
岳尾 貴美子「どういうつもり?」
天間 弁護士「なかなか会心の出来でした」
天間 弁護士「まさか傍聴席から 拍手まであがるとは」
天間 弁護士「それだけ、あなたの態度にも 感服したんでしょうねえ」
岳尾 貴美子「あの弁論は、なに!?」
天間 弁護士「裁判員ってのは 要するに、ど素人ですよ」
天間 弁護士「彼ら相手には法律論よりも 感情に訴えたほうがいい」
天間 弁護士「たとえば真ん中に陣取っていたご婦人 彼女は、社会問題にご執心だ」
天間 弁護士「ほら、襟にもSDGsバッジを 付けてたでしょう?」
天間 弁護士「ならばジェンダー問題を絡めたほうが ポイントも高くなる」
天間 弁護士「そして右端にいたジェントルマン」
天間 弁護士「彼は今年の春まで経営していた ラーメン店を閉めたばかりなんです」
天間 弁護士「ロシアの軍事侵攻のせいで 小麦代が跳ね上がりましてね」
天間 弁護士「なら、どこに彼の恨みがあるか よくわかるでしょう?」
岳尾 貴美子「なんで、そんなこと知ってるの?」
天間 弁護士「ハハハハハ 決まってるでしょう」
天間 弁護士「我々には人探しのプロが ついているんですから」
岳尾 貴美子「調! あの男の力を借りたのね?」
天間 弁護士「いやはや恐ろしい手腕だ。反社でも、 あんなに身元を割ったりできませんよ」
岳尾 貴美子「なんてこと・・・・・・」
天間 弁護士「そして極めつけは あの裁判長だ」
天間 弁護士「彼も妻の不倫と 親の介護に悩んでいる」
天間 弁護士「おっと、 これは仕込みじゃありませんよ」
天間 弁護士「単なる偶然だ 天運といってもいい」
岳尾 貴美子「あなた、依頼人のために働く そう言ったはずね?」
天間 弁護士「はい」
岳尾 貴美子「私は、減刑を望んでない」
天間 弁護士「それが?」
岳尾 貴美子「それが、って」
天間 弁護士「あなたは勘違いをしている」
天間 弁護士「依頼人は、岳尾貴美子さん あなたじゃない」
岳尾 貴美子「ええっ!?」
天間 弁護士「では、判決の場でお会いしましょう」
岳尾 貴美子「待ちなさい! それ、どういうこと!?」

〇法廷
裁判長「判決を言い渡す」
岳尾 貴美子「・・・・・・」
裁判長「被告人は、実の母である佐東法子に対し」
傍聴人「主文、後回しだ!」
傍聴人「おい、これは・・・・・・」
岳尾 貴美子(私にだってわかる 『主文後回しは、まず間違いなく、重罪』)
岳尾 貴美子(昔から『親殺しは死刑』 そう決まってたんでしょ?)
岳尾 貴美子(私がそうなったって おかしくないもの)
裁判長「その過程において被告は 夫である岳尾雄へ」
岳尾 貴美子(なにニヤニヤしてるの 気持ち悪い)
裁判長「よって被告は」
裁判長「無罪!」
岳尾 貴美子「え」
傍聴人「逆転判決だ!」
傍聴人「主文後回しで無罪判決!?」
傍聴人「これは歴史に残るぞ!」
傍聴人「速報だ! 速報を打て!」
岳尾 貴美子「ま、待ってよ」
岳尾 貴美子「私、実の母を殺したのよ」
岳尾 貴美子「なのに、なんで?」
岳尾 貴美子「ちゃんと裁いてよ、ねえ!」
岳尾 貴美子「ねえ!!」

次のエピソード:10.大団円(前編)

コメント

  • 裁判員制度にまで話が及んで来ました。壮大な回収譚に見えました。参考資料も幅広く見ているようで、重ねてすごいなぁという言葉しか出て来ません。

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