配信譚~俺と先輩はホラー系底辺ストリーマー~

東北本線

配信と、丑の刻参り(脚本)

配信譚~俺と先輩はホラー系底辺ストリーマー~

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〇古びた神社
「――――――――ッ!」
  女の慟哭が響いている。
  どこまでも甲高く。
  荒れ狂い。
        悲壮で。
  聞く者は誰もいなかったが、もし耳にしたら卒倒してしまいそうになっただろう。
  声にならない声。
       音にならない音だった。
  雨でぬかるんだ泥が、彼女の一動作のたびに跳ねる。
  いや。
  見る人がいれば、それはもう『彼女』とは認識できなかっただろう。
  この世のものとは思えぬその容姿。
  頭には、溶けてそのまま固まっただけにも見える金属の冠を抱いている。
  しかし。
  その冠よりも目を引いたであろう、長い黒髪。
  逆立ち。
  まるで数本生えた角のよう。
  華奢な腕が降りぬかれるたび、不安を増長させる律動で金属音が鳴り響く。
  跳ねる汗。
          涙。
  まるで心拍のたび迸《ほとばし》る血流。
  全身を朱く身に包み。
  一心不乱に。狂気に身を焦がして。
  神木に鉄槌を振り下ろす。
  咆哮は踊り続け。
        視点は定まらず。
  ただその一念のみに。
  憎悪(さつい)だけに。
        情念(しっと)だけに。
  研ぎ澄まし。鋭く。針のように。
  相手の臓腑(わらにんぎょう)を。
  打ち据える。
  打ち据える。
  打ち据える。
  咆哮は踊り続け。
      視点は定まらず。
  ただその一念のみに。
  憎悪(さつい)だけに。
        情念(しっと)だけに。
  その度に。
     思いは増し増して
  不意に。
  自身の醜悪な姿すら可笑しく思えて。
  彼女は誰にともなく振り向く。
  口角がゆっくりと。
         ニタリと上がり。
  月光。犬歯。口端の血液。
  思い出したかのように表情を戻して。
  また振り返ると。
  打ち据える。
  打ち据える。
  打ち据える。
  誤って自分の手を強(したた)か打っても。
  もはや、何も感じない。
  神木に鉄槌を何度打とうとも。
  無論、なにも感じない。
  すでに、何をしているのかさえ分からなくなったとしても。
  あるのは、ただ一念。
  感情(にくしみ)は鋭利に尖り、血に染まる腕には更に力が増して。
  一槌。
  それは深々と、大きな釘を神木に沈み込ませた。
  途端に。
  糸が切れたように女は泥へとへたり込む。
  雨夜に、慟哭は、いつまでも止まないのだった。

〇商店街
佐藤明日香「ハル先輩!?」
  久しぶりにその名で呼ばれたな、というのが、女の子に声を掛けられた彼の最初の感想だった。
  陸前大学教育学部一回生でバーチャル配信者の、ハンドルネーム『ハルアキ』は、商店街の雑踏のなか立ち止まり、振り返る。
  ソレを視界に捉えた彼はそのまま、その場に立ちすくんでしまった。
  ハルアキの眼でなければ、彼女はただの背の小さい、髪を染めたショートの女の子に見えただろう。
  しかし、彼は昔から常々、人間以外のものが見えてしまう体質であった。
  そのため、ハルアキには彼女が、
  全身を霧状の黒い粉のようなものに覆われた、2メートルほどの人型の物体に見えていた。
  もちろん、見覚えがない。
佐藤明日香「えー、忘れちゃった?・・・・・・佐藤明日香だよ?覚えてない?」
  近寄ってくるおどろおどろしい黒い物体から、そんなちょっと甲高い声が聞こえる。ぞっとしないわけがない。
  一つ下の幼馴染の名前だ。もちろん覚えている。
  高校を中退して、都会に出て、芸能事務所に入ったという話を誰かから聞いていた。
  たしか、配信者(どうぎょうしゃ)だったはずだ。それもレベルが段違いの。
  大きな事務所(はこ)所属の、バーチャル配信者になった、そう記憶している。
佐藤明日香「思い出した・・・?久しぶりだねぇー」
  取り乱してはいけない。普通でいたいなら。
  ハルアキは小さい頃から、こういう場合の対応については身に染みて学んできている。
ハルアキ「明日香?・・・ああ、明日香ちゃんかっ!久しぶりだなぁっ。見違えたよ。・・・こっちに帰ってきてたのか?」
  黒い霧の中身が顔を崩して喜んだその表情の変化は、見えなくても分かった。
佐藤明日香「うんっ。ちょっと仕事で長い休みができちゃってね。・・・・・・そっちはちゃんと大学行ってるの?」
  努めて平静を保ち、ハルアキはわざとらしくならないよう口角を上げる。
ハルアキ「おめー、実家の母親みたいなこと言うんだな。苦学生してるよ。たまにサボったりはするけどさ」
佐藤明日香「ホントにたまにぃい?」
  これだけの『悪い何か』に覆われていても、彼女は元気そうに会話できている。
  当たり障りのない会話をしながら、ハルアキはどうすべきか迷っていた。
  他人なら、なにか事情があるのだろうと見えなかったことにすればいいだけなのだが、彼女は小中高と一緒に過ごしていた幼馴染だ。
  見て見ぬ振りもしたくはない。
ハルアキ「た、たまにだよ。ちゃんと出席しないと単位もらえないからな」
  しかし、何と言ったものか、と彼は思案する。
佐藤明日香「ハル先輩のことだから、出席とかも友達に頼んでズルしてんじゃないのぉ?」
  悪いものが憑いているから、一緒に来てほしい。
  って、ダメだな。おそらく警戒されてしまう。変な新興宗教団体の勧誘みたいだ。怪しい壺を買わされるやつのそれだ。
ハルアキ「おめーと一緒にすんなっての」
  おそるおそる唇を尖らせながら言い、微笑む。
  相手の表情が読めない。それが、不安を煽る。
  おそらく警戒されれば、彼女を救うチャンスは二度と訪れない予感がする。
  だけど、どうしたらいい。ハルアキは会話を続けながらも、思考を加速させ続ける。
  とりあえず、喫茶店にでも誘ってみようか。
佐藤明日香「ごめんゴメン。でも・・・、いいなぁ。大学生かぁ。・・・ちょっと羨ましい」
ハルアキ「・・・・・・・・・・・・」
  ハルアキの思考が中断した。なんだか会話が、渡りに船な展開になっている気がする。
  見える相手に恐怖感を与え続ける黒闇に、ハルアキは乾いた喉から声を振り絞った。
ハルアキ「なあ。今日これから時間ある?もし良かったら、うちの大学、見に来ないか?」

〇廃工場
  陸前大学の南にある教育学部心理学科の研究棟は、八年前に心理学科が廃科となってから、
  建物全体が教育学部のその他の学科の、使わない資料やガラクタが集まる倉庫のようになっていた。

〇廃ビルのフロア
ヤクモ「で、ここに連れてきたというわけかい?」
ハルアキ「そうなんです」
  旧心理学科棟の一階。埃をかぶった玄関に入って左。ところどころタイルの剥がれた廊下の、最奥にあるスペース。
  そこに勝手に場所を借り、机やイスはもちろん、パソコンやマイク、オーディオミキサー機器を設置したのは『配信同好会』だ。
ヤクモ「ハルアキ氏。分かっているのか?今日は夕方から二人で最近のホラー映画の寸評配信をする予定じゃないか」
ヤクモ「いまは準備で忙しい時間だよなー、邪魔しちゃ悪いよなー、とか、考えなかったのかい?」
  パソコンを操作したまま問い詰める彼女のアカウント名は『ヤクモ』で、陸前大学教育学部の二回生。
  配信同好会の部長ということになっている。
  部員は彼女とハルアキだけだが。
  黒いポニーテールが、彼女がしゃべる度に、ゆらゆらと揺れている。
ハルアキ「それは・・・・・・、あの・・・・・・、すみません」
  ハルアキが謝る。ふんっ、とヤクモは振り向いて、デュアルモニターの動画編集画面から目を離した。
  配信同好会には別名があり、それは二人がネットの動画サイトで配信を行う際のコンビ名になっている。
  『ホラーバスターズ』。ネットでは『ホラバス』とも略される。
  ダサい、とハルアキは常々思っているのだが、ヤクモが先輩で、チャンネル登録者数も彼女の方が多いので、何も言えないでいる。
ヤクモ「有益、なんだろうね?」
  ヤクモがゲーミングチェアに座ったまま、ハルアキに尋ねる。
ハルアキ「今回はそういう問題ではないんですが・・・・・・、おそらくは」
  エンターキーを強く押す音が聞こえて、ヤクモがイスを回転させた。
  後ろで結った黒髪のポニーテールが、ふわりと浮く。
  テーブルの前の、ところどころ穴の空いたソファに座ってる、ハルアキと明日香を見下ろす形になる。
  先程までとはうって変わって、なにやら楽しそうに微笑んでいた。
ヤクモ「ずいぶん久しぶりな気がするな。ハルアキ氏、なにが見えた?」
ハルアキ「こちらの彼女なんですが・・・・・・」
佐藤明日香「ちょ、ちょ・・・・・・っ、ちょっと待ってくださいっ!」
  二人の話を遮ったのは明日香だった。
佐藤明日香「二人とも、なんの話をしてるの?っていうか、ハル先輩、この女の人だれ?」
  遅いくらいである。
  ハルアキに連れられて大学に着いた時点では、彼女のテンションは最高潮になっていた。
  それが、ハルアキに案内されるがまま、古びた学舎に到着したあたりから、表情は曇り始めていた。
  いまは混乱の極致といったところである。
  ただの幼馴染をどこまで信用しているのか知らないが、彼女はいまや大物バーチャル配信者のはずだ。
  不用意な行動にも思える。実はただの世間知らずの女の子なのかもしれない。
  ハルアキは途中からそんなことを考えながら歩いていた。
ハルアキ「明日香ちゃん。この人は、サークルの先輩で二回生のヤクモ先輩」
ハルアキ「先輩、彼女は俺の幼馴染で、有名バーチャル配信者の明日香ちゃんです」
佐藤明日香「え?ハル先輩、私が配信者だって知ってたの?」
  明日香のリアクションをハルアキは無視し続ける。
ハルアキ「彼女の全身を、悪いナニカが覆ってるんです」
ハルアキ「なんとかしようと思ったんですけど、不用意な行動は避けたいと思って・・・、先輩に相談してからの方がいいかなと思いまして」
  二人は気にせず、会話を続けている。明日香には取り付く島もない。
ヤクモ「色は?」
ハルアキ「黒い、濃い霧状のものですね。彼女の背の高さより高いです」
  ヤクモが背もたれに体重を預け、ゲーミングチェアが軽い音をたてた。顎に指をあてて、考えている。
ヤクモ「ふむ。・・・・・・霧の、いちばん濃い部分、もしくはいちばん印象が悪い部分はどこだい?」
ハルアキ「ええっと・・・・・・」
  ハルアキがすぐさま隣の明日香に眼を向ける。
  ハルアキは見えないのでそうしているつもりはないが、
  明日香の目尻が少し垂れた、困惑と焦燥、少しの怒りがこもった双眸と一瞬、視線が交錯した。
ハルアキ「「胸ですね。もしかして先輩、もう分かったんですか?」
  すぐさま視線は戻されたのだが。
  眉間に皺を寄せて、思い悩むような真剣な表情をヤクモは二人に向けている。
ヤクモ「姿が明らかでない悪い物、と言ったら、呪いだろうね。明日香嬢、なにか心当たりはあるかい?」
佐藤明日香「待ってってばっ!なんなのこれ?どういうことっ!?」
  話を振られたところで、やっと明日香のストレスは言葉になって空間に反響した。
  勢いよく立ち上がる彼女になんの反応も示さず、いや、それどころかその言葉を遮るようにハルアキが口を開く。
ハルアキ「・・・あのね、明日香ちゃん」
ハルアキ「俺と先輩は、それぞれ幽霊や心霊現象、妖怪といったホラーな問題を解決して、」
ハルアキ「それを動画サイトの配信で話したりするサークル活動をしてるんだ」
ハルアキ「なんでかっていうと、俺は昔からそういうものが見えるし、先輩はそれ関係の知識が豊富なんだよ」
ハルアキ「で、さっき久しぶりに会った一コ下の幼馴染が、思いっきり悪い物に憑りつかれているものだから、先輩を頼ってここまで来たんだ」
ハルアキ「・・・・・・黙っててゴメン」
  言葉の途中で、明日香はソファに座り込んだ。
  久しぶりに会った幼馴染の先輩に、見知らぬ場所に連れて来られ、わけのわからない会話を聞かされる。
  それが、混乱の最高潮だと思っていた。しかし、そうではなかった。
  自分に、悪い物が憑いている?信じられるはずがない。
  新手の詐欺、いや、霊感商法というやつだろうか。
佐藤明日香「・・・・・・もしかして私、このあと御札とか買わされる?」
ハルアキ「いや。俺は明日香ちゃんを助けたいだけ。あと、先輩はチャンネル登録者と動画の再生数を稼ぎたいだけ」
  どうやら金銭の要求はないらしい。本気だろうか。
  そういえば、中学生の頃にお化けが見える先輩の噂を聞いたことがなかったか?
  深くは聞いたことはなかったが、それは近所の幼馴染の男の子じゃなかったか?
ヤクモ「もういいかな?明日香嬢、夜中に胸の痛みで目が覚めることはないかい?」
  そんな、懐かしくて少し不思議な思い出から引き離されるように、パソコンの前から質問が飛んでくる。
  慌てて防御姿勢をとるように、彼女は右手を胸にやる。
佐藤明日香「・・・・・・あ、ありますけど、なんで知ってるの?」
  眉間の皺だけではない。ヤクモの口がへの字になった。片手が自然に頭を抱えている。
ヤクモ「それは・・・・・・、本当に良くないな。おそらく『丑の刻参り』だろう」
ハルアキ「え?先輩、それってすごい有名な奴じゃないですか。俺でも知ってますよ?」
  私でも知っている、と明日香は思ったが、それ以上に少しテンションが上がったような幼馴染の声にちょっとイライラした。
ヤクモ「うん、そうだね。ネットで調べれば、方法はいくらでも載ってるヤツだ」
  応じる形で、ヤクモが答える。
  そして、ため息をひとつ。
ヤクモ「メジャーかつ、とても厄介な呪いだよ」

〇田舎の一人部屋
  深夜過ぎ。
  ヤクモの住まいである6畳半のボロアパートに、三人は集合していた。
  女っ気のない、畳の匂いがする殺風景な部屋。
  人数分のジュースと百均のビニール袋が置かれたちゃぶ台と、部屋の隅にパソコンがあるだけ。
  そして三人が六畳間に座るには、狭すぎやしないだろうか、と明日香はずっと考えている。
ヤクモ「きっかけはおそらく、あの炎上沙汰だったのだろう?」
  この人は、いや、この二人はどこまで知っているのだろうか。明日香は瞬時に思う。
  自分が芸能事務所『ソルフェ』のバーチャル配信者『荒吐(あらばき)メイ』だということは、すでに知れているようだ。
  手に握っているスマホの中には、明日香がバーチャル配信のアバターになれるアプリが入っている。
佐藤明日香「あまり・・・・・・、言いたくない、です」
ヤクモ「いや、無理に聞こうというわけではないんだ」
ハルアキ「俺もあんまり知りたくないですね」
  二人が同時に否定する。
  明日香は問い詰められれば全部話すつもりでもいたものだから、ちょっと面食らってしまった。
  きっかけは、事務所の先輩との食事だったと思う。
  紅白にも出た若い有名歌手の先輩が、急に食事に誘ってくれたのだ。
  フレンチを食べている最中に、明日香もよくライブ配信しているゲームの話になって、二人でゲームしよう、という流れになった。
  そうして相手の家で、二人でパソコンに向かってゲームをして。
  本当にそれだけ。それだけだったのに、しっかりと相手の家に入るところを週刊誌に撮られてしまって、
  自分が未成年だったものだから、すごい勢いで炎上してしまった。
  浅はかだったと思う。
  でも、本当になにもしていないのに。
  いや、そういうことになる期待は、正直していなかったわけではないけれど。
  三日後には事務所に呼び出されて、自分だけ、ほとぼりが冷めるまで活動休止という処分を受けた。
佐藤明日香「痛ぁっ!」
  急に隣に座るヤクモの手が伸びたと思ったら、頭頂部に鋭い痛みを感じた。
  ヤクモの手には、明日香の髪の毛が一本、握られている。
ヤクモ「ああ、すまない。これを、この人形に、こう、巻き付けて・・・・・・、と」
  百均で買った有名な女の子人形の偽物みたいなそれの腰に、くるくると巻き付けて結んでいる。
ヤクモ「よし。できた」
ヤクモ「この人形が、呪いを肩代わりしてくれる。当面の間は、君が死ぬことはないだろう」
  ことり、と音をたてて、ちゃぶ台に人形が置かれた。
  ハルアキがその人形を見つめたまま口を開く。
ハルアキ「先輩、やっぱりこの呪いって、呪われた相手は死んじゃうんですか?」
ヤクモ「そうだよ。当たり前だろう?中途半端な気持ちで、儀式的な呪いが相手に届くと思うのかい?」
  即答、だった。
  どこか、自分のことのように感じていないところがあった明日香は、そんな一言で背筋に悪寒を覚える。
  部屋の電球が一瞬、明滅した。
  ミシリ、と音が鳴る。
ヤクモ「ああ。こりゃあ、マズい兆候だ」
  パキ、と音が鳴る。
  それは、ちゃぶ台の上の人形から発せられた音だった。
  買ったばかりの人形が、胸のあたりから割れてしまっていた。
佐藤明日香「う・・・ぐぅ・・・っ」
  途端に、急激な胸の痛みに明日香は襲われる。
  まるで心臓か肺が破れてしまったかのような、耐えがたい痛み。
  思わず胸を押さえてうずくまる。
  叫び出したい衝動を、我慢する。
  いや、急に朦朧となった意識の中で、それが我慢できていたのか自信はなかった。
  瞬間、部屋の電気がすべて消えた。
  明日香の手の中のスマホだけが、光を発している。
ハルアキ「先輩っ!」
ヤクモ「「なんなんだ?どうかしてるぞ。こんな強い呪いになる恨みなんて・・・」
  明日香は、ぎゅっと目を閉じた。
  その闇の中で、取り乱した二人の声が聞こえている。
  世界がぐるぐる回っているような、気持ちの悪い感覚に酔う。
ヤクモ「すまん、ハルアキ氏。なんとかしたいのだが、もう方法が思いつかない」
ハルアキ「くそっ!」
  幼馴染の先輩の悪態。
  スマホが手から離れ、床に落ちる音を聞きながら、
  明日香は意識を手放した。

〇学校の廊下
「────先輩っ!」
ハルアキ(卒業式が終わり、教室に向かっていると、急に女子生徒に声を掛けられた)
佐藤明日香「卒業、おめでとうございます」
ハルアキ「あ、ああ。ありがとう」
ハルアキ(明日香ちゃんだった。近所に住んでいて、小さい頃から仲が良い。たまに、一緒に帰ったりしていた)
ハルアキ(仲が良い、と言っても、俺にとっては妹みたいなものなんだけど)
佐藤明日香「せ、先輩・・・、あの・・・・・・」
ハルアキ(明日香ちゃんは、それきり言い淀んでしまって、口の中でなにかゴニョゴニョ言っている)
ハルアキ(そうして、なにか意を決したように、口を開いた)
佐藤明日香「せ、せ、先輩の、第二ボタン、くださいっ!」
ハルアキ(廊下中に響く声で、そんなことを言った)
ハルアキ「あ、ああ。ボタンくらい、いくらでもいいよ」
ハルアキ(ブチっと取って、)
ハルアキ(彼女に渡す)
佐藤明日香「あ、ありがとう、ございますっ!」
ハルアキ(言ったきり、彼女はものすごい勢いで走り去ってしまった)
クラスメイト「・・・・・・・・・」
クラスメイト「おい、ハル。羨ましいな、まったく」
ハルアキ「ああ、明日香ちゃんは小さい頃からの幼馴染でさ」
ハルアキ「きっと、万年彼女なしの俺を、可哀そうに思ってくれたんだよ」
クラスメイト「・・・・・・・・・」
クラスメイト「それ、マジで言ってる?」
ハルアキ「え?」
クラスメイト「お前は興味ないのかもしれんが、二年生の佐藤明日香って言ったら、学校のアイドルだぜ?」
クラスメイト「数多の男がフラれて、枕を濡らした奴は数知れず」
クラスメイト「しかも、芸能事務所からスカウトされて、来月にはここを中退して東京に行くって噂だ」
ハルアキ「あ、ああ。それは、前に明日香ちゃんから聞いたよ」
クラスメイト「そうか。・・・追いかけなくて、いいのか?」
ハルアキ「・・・・・・・・・」
ハルアキ「追いかける、理由がない」
ハルアキ「明日香ちゃん自身が、東京に行って、一人で頑張るって決めたんだろ?」
ハルアキ「だったら、俺にできることは、なにもないよ」
クラスメイト「・・・・・・・・・」
クラスメイト「そうか。・・・前から変わってるとは思ってたけどさ」
クラスメイト「なかなかに、こじらせていらっしゃるんだな。お前も・・・」
ハルアキ「なんだよ、それ。どういうことだよー」
クラスメイト「何でもないよ。・・・お前は、卒業してもそのままでいてくれよな」
ハルアキ「そのままって。そんなの、当たり前だろうが」
クラスメイト「・・・・・・・・・」
クラスメイト「そうだな。まったく・・・、その通りだ」

〇配信部屋
ヤクモ「というわけで、そんな失態を私が犯してしまったわけだよ」
ハルアキ「先輩、マジであの時は焦りましたよ」
  染谷@mm:それで、女の子はどうなったの?
  zamza:ちょっと怖い、ぐらいのレベルだな。今日は
  LOVE箱推し:うしのこくまいり
  ウルトラ仮面:ヤクモ先生、呪われちゃったの?死ぬの?
  灰狼:だいたいハルアキのせい
  いつもの古校舎で、二人はパソコンを前にライブ配信を行っている。
  同時接続人数は74人。ゆっくりとした視聴者のコメントが、配信画面にも流れている。
ヤクモ「その子がどうなったかって?ちゃんと生きているに決まってるだろう」
  何を言っているんだ、とでも言わんばかりにヤクモが普段通りの口調でマイクに声を乗せる。
ハルアキ「いや、先輩。ちゃんとそのあとを説明して下さいよ。・・・・・・俺の大活躍を」
  得意気なハルアキが、ヤクモは気に食わない。
  二人の視線が合って、ヤクモは腕組みをした。
ヤクモ「君は愚かだな、ハルアキ氏」
ヤクモ「君が闇雲に呪いを手で掴んで、スマホのアバターを人形代わりに身代わりにした、って言って、誰が信じるっていうんだい?」
ヤクモ「そんなふざけたオチで、誰が納得するっていうのだろうか?」
  zamza:それはその通り
  灰狼:手で掴んだ?マジで?
  通りすがり:爆発オチなんてサイテー!
  高木駅@zom:つまり、人形の代わりにスマホのアバターに呪いを移した、ってコト?
  死神博士:今日もいい感じに胡散臭い
ハルアキ「そういう言い方するから、誰も信じないんでしょうが。・・・・・・ひどいな、まったく」
  コメントで分が悪いことを悟ったのか、ハルアキの声はすでに勝負を諦めている。
  そんな静けさに、ヤクモのどこか優しい声が響いた。
ヤクモ「・・・・・・良かったのかい?」
  すぐさまハルアキの声が応じる。
ハルアキ「いいんですよ」
ハルアキ「名前は言えませんが、その彼女がバーチャル配信者を引退してから、胸が痛くなることはもうなくなったって言ってましたから」
ハルアキ「大切なアバターが、身代わりになってくれたんです。彼女が元気であれば、俺はそれでいいんですよ」
  LOVE箱推し:なにその主人公みたいなセリフ
  染谷@mm:三文芝居やな
  灰狼:ちょっと惚れた
  通りすがり:爆発オチなんてサイテー!
  ヤクモは、コメントを眺めるのをやめた。
  ちょっとだけ彼女が微笑んだように、ハルアキには見えた。
ヤクモ「そうか。ならば私は、もう何も言うまいよ」
ハルアキ「・・・・・・・・・」
ハルアキ「!!」
  ハル先輩推し:先輩、ありがとう。大好きです。

次のエピソード:配信と、耳無し芳一

コメント

  • 明日香ちゃんにまつわりついた影の正体がきになりますが、この呪いを人形に移し替えるところがかなりリアルに想像ができて、彼の動揺ぶりもとてもよく伝わってきました。

  • タップノベルとホラーの相性、すごくいいですね!ハルアキ君の人物描写まで描かれていて、綿密に練られた作品だなぁと思いました。次の作品も楽しみにしてます🤗

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