エピソード1(脚本)
〇病院の診察室
医者「お母様は若年性アルツハイマー型認知症です」
私「そうっ・・・ですかっ・・・」
やはりか。そうではないかと心のどこかで思っていた。
医者から告げられた”認知症”というワードが私の頭の中をずっとループしていた。
〇明るいリビング
お母さん「彩音、眼鏡知らない?」
私「ええー、知らないよ。もう、どこ置いたの」
それから母の症状は、少しずつ悪化していった。
お母さん「あれなんだっけ。ほら、あれよ」
私「だから何よ」
お母さん「あの人の名前、誰だっけ」
私「ええー、山田さんだよ」
常に探し物が増えたり、人や物の名前を覚えられない。思い出せない。
言葉に関する記憶の喪失が目立ってきた。
そして厄介なのが・・・
お母さん「泥棒に入られた!!お金を盗まれた!!警察呼んで!!」
私「入られてないよ。私がちゃんと管理してるんだから」
お母さん「あんたが盗ったんじゃないの?」
私「いい加減にして!!そんな事しないわよ!!」
母と言い争う事が増えていった。
〇明るいリビング
私「お母さん。今朝の朝ごはん、味噌汁の具、舞茸でいい?」
お母さん「いいわよ」
お母さん「うん。美味しい。母の味がしっかり出てる。マスターしたわね」
私「へへ、褒められちゃった」
認知症の治療法は確立されていない。現在の医学でも薬によって進行を遅らせる事しかできないのだ。
月日が経つ事に母の症状は、悪化していった。
私「ほら、着替えるよ」
お母さん「うん」
私「お風呂行こうね」
お母さん「うん」
着替え、入浴、排せつなどが自分の力で出来なくなった。中期の症状だ。
お母さん「ご飯は?」
私「さっき食べたでしょ」
そして、それはついに起こった。
お母さん「すみません。どちら様ですか?」
私「えっ・・・」
覚悟していた事だったが、その事に当然、私は大きなショックを受けた。
私「私を忘れたの?」
お母さん「ごめんなさい」
私(辛い・・・・・・うっ・・・・・・ううっ・・・・・・)
その夜、私は初めて一人で泣いた。
それから月日は、どんどん過ぎていった。
夜中に徘徊する母を必死になって探したりすることで、睡眠不足でイライラした。
保育と介護の違いは?
そう聞かれる事がある。
保育の場合、手伝えば子供は何もできないところから少しずつ出来る事が増えて成長していく。
介護の場合、手伝っていっても出来る事が次第にできなくなっていく。
どちらも大変で比べる事などできないが、保育の方が未来は明るい。
だから私は、介護の方が精神的な辛さでは辛いと思っている。
数日が経過した。
母が一人でキッチンに立ってコンロを触ろうとした。
私「何やってるの!!」
私は思わず叫んだ。睡眠不足と疲れからくるイライラから、初めて母を怒鳴りつけた。
お母さん「ごめんなさい・・・。味噌汁を作ろうと思って・・・」
私「味噌汁・・・?」
お母さん「どこのどなたか存じませんが、親切にしてくれるので、お礼をと思いまして」
私は涙が出た。思わず母を抱きしめた。
私「ううっ・・・ううっ・・・お母さんは・・・頑張ってるんだよね・・・?」
私「ごめん・・・。ごめんね、お母さん・・・」
お母さん「いいんだよ。明日は晴れるからね」
私は昔、母に教えてもらった、母直伝の味噌汁を作った。
美味しい。合格。お墨付きをもらった母の味噌汁を一緒に食べた。とても優しい味がした。
私「ごめん。私、頑張るから」
私はまた頑張れる気がした。
母からは沢山の愛情をもらった。
今度は私が返す番だ。
認知症の進んだお母さんが味噌汁を作るシーンで静かに流れ始めたBGMに、辛いことばかりの介護に一筋の光が差したかのような温かな切なさを感じました。体験談としてだけでなく一つの作品として人の心に訴えかけるものがあるストーリーだと思います。
身近で同様の認知症を見てきたので、とても理解ができ、様々なエピソードを思い返せました。作中の保育と介護については同じことを考えました。幼児保育は将来へ右肩上がりである一方、介護は右肩下がりであると。
そんな中、お味噌汁を手掛かりに愛情の気持ちを再燃させた主人公には感動を覚えます。
親子の関係が良ければ余計に認知症介護で辛い思いをする場面があるということ、それでもやはり過去の良い思い出がなお一層介護する側の者の支えになること数分の内にしっかりと理解できるお話でした。将来自分の身に降り掛かった時は、このお話を思い出そうと思います。