脚本家が見た膝枕

今井雅子(脚本家)

脚本家が見た膝枕(脚本)

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〇映画館の座席
  この作品は今井雅子作「膝枕」の
  映像化脚本を書いている
  脚本家が主人公です。
  先に「膝枕」を読まれると
  より沈み込めます。

〇レトロ喫茶
プロデューサー「カメオの男のスケジュールが空いた」
  待ち合わせの喫茶店に現れるなり、プロデューサーは脚本家に告げた。
  「カメオの男」というのは、
  脚本家が一年かけて本直しを重ねてきた超低予算映画『膝枕』にカメオ出演する予定の若手俳優のことだ。
  当初は主役の「男」役を打診したのだが、

〇水中
  予算が30倍ほどついている超大作娯楽映画の主演が決まっており、
  撮影期間が重なるということで、

〇レトロ喫茶
「カメオ出演なら」
  と向こうから言ってきた。
  「向こう」というのは、本人ではなく、窓口になっている事務所のマネージャーのことだ。
脚本家「向こうは、なんて言って来てるんです?」
  氷が解けてすっかり薄くなったアイスコーヒーをストローですすり、脚本家が聞いた。
脚本家「先週提出した44稿目で脱稿したはずだったが、また直しだ・・・」
  どれぐらいの分量になるかは、向こうのリクエストの度合いによって変わる。

〇アパートの玄関前
  主人公の男の元に膝枕を届ける配達員。それがカメオの男の役だった。
  出演シーンは冒頭の一箇所だけ、セリフは
カメオの男「受け取ってもらっていいっすか」
  の一言だけだった。

〇レトロ喫茶
プロデューサー「セリフを増やしてくれ」
  なら30分で直せるが、
プロデューサー「出番を増やしてくれ」
  だと別シーンに登場させなくてはならない。
  取ってつけたようなチグハグさを出さないためには、前後とのつながりもいじる必要がある。
脚本家「一日がかりになるかもしれない・・・」

〇大衆居酒屋
  主人公の男がもう一人のヒロインであるヒサコと出会う居酒屋で配達員がバイトしている設定を思いついたが、

〇レトロ喫茶
脚本家「ご都合だな」
  とすぐさま打ち消した。
プロデューサー「主役、戻せないかな」
  「コーヒー」と店員に告げた流れで、プロデューサーが切り出した。
脚本家「カメオの男を主役にできないか、とコーヒーを注文するのと同じノリでサラッと言いやがった」
脚本家「たしかに主役をオファーしたが、断って来たのは向こうだ。だからこっちは別な役者を当たった」

〇撮影スタジオのセット
  カメオの男ほどの人気はないが、カメオの男より演技力は勝(まさ)っており、現場受けもいい小劇場上がりの俳優だ。

〇古いアパートの一室
  役への入れ込みぶりは噂に聞いていた以上で、クランクイン一か月前から箱入り娘膝枕と二人暮らしを始めている。

〇レトロ喫茶
脚本家「主演作の撮影が延期になってスケジュールが空いたからといって、」
脚本家「すでに役作りを始めている役者を追いやって主役の座に収まろうというのは虫が良すぎる」
脚本家「それがまかり通ると思っているのは、前例があるということだろう」
脚本家「まさか、引き受けてないですよね?」
プロデューサー「一旦預からせてもらった」
脚本家「預からないで、断ってくださいよ!」
  脚本家の声が大きくなり、隣のテーブルでミニスカートの女を勧誘しているスカウト風の男が、
スカウト「なんだよ」
  と咎めるような視線を向けてきた。
スカウト「君はいいものを持っているから、レッスンを受けたらすぐデビューできるよ」
  とスカウト男が口説き、ミニスカ女がその気になってきたところを邪魔したらしい。
脚本家「あんた騙されてるよ」
  と女に教えてやりたくなる。
  無事にデビューできたところで、化かし合いは日常茶飯事だ。
脚本家「ついでに、スカート短すぎるよ。太ももまで見えちゃってる」
  「膝枕」の話をしている横で、生膝が視界に入って来るのは何とも落ち着かない。
プロデューサー「例えばの話だけど、」
プロデューサー「ヒサコを男にするっていうの、ある?」
  「例えばの話」とプロデューサーが言うときは、一例ではなく本命だ。
  この設定に乗れるかどうかを聞いている。
  脚本家になりたての頃はその流儀を理解しておらず、
  アイデア出しのきっかけなのだと思っていた。
脚本家「ヒサコを男にすると、主人公の男の設定が変わりますよね」
プロデューサー「まぁ、女になるかな」
脚本家「夏になったら、半袖になるよな、のノリだ」
脚本家「設定を変えるのを衣替え感覚で言わないでもらいたい」
脚本家「そうなると、結局、今決まっている主役を動かすことになりませんか?」
プロデューサー「そうだよな」
  とプロデューサーは納得したそぶりを見せ、
プロデューサー「主人公の男はそのままにしよう」
  と折れたかに見せた上で、
プロデューサー「例えばの話」
プロデューサー「主人公の男と配達員の男と箱入り娘膝枕の三角関係にするのはどう?」
  またしても「例えば」を持ち出した。
脚本家「それだと、男じゃなくて、膝枕が二股かけてる感じになりませんか」
脚本家「これってラブコメでしたっけ」
プロデューサー「それもありだと思うんだよな」
脚本家「なしですよ」
プロデューサー「例えばの話をしただけだよ」
脚本家「何言ってんだよ? もし俺が乗ったら」
プロデューサー「じゃあ、その線で直してよ」
脚本家「って言っただろ?」

〇ハート
プロデューサー「主人公の男がヒサコの代わりに配達員の男と箱入り娘を二股にかける設定でいこう」

〇レトロ喫茶
脚本家「ってことは、主人公の男は、男も女も愛せる設定ですか?」
プロデューサー「箱入り娘膝枕は女っていうか、モノだから」
脚本家「そうなると、何がしたいんだか、わからなくなってきますよね?」
脚本家「混ぜちゃいけないのを混ぜてる感じです」
プロデューサー「いや、どうかな。普遍的なメッセージを打ち出せるかもしれないよ」
  プロデューサーが適当なことを言ってから続けた。
プロデューサー「愛には性別どころか人間であるかどうかさえ関係がない」
プロデューサー「究極のバリアフリーでダイバーシティーでSDGs」
プロデューサー「こういう映画、見たことある?」
脚本家「見たことがないのは、誰も作っていないからだ」
脚本家「プロデューサーの無責任な思いつきを、理性を働かせた誰かが食い止めて来たのだ」
脚本家「一旦預からせてください」
  脚本家は原稿を持ち帰ることにした。

〇渋谷のスクランブル交差点
脚本家「まったく割に合わない」
脚本家「1年がかりで、45稿。これが最後とも限らない」
脚本家「作品の予算規模から考えて、脚本料は、せいぜい50万円」
脚本家「時給に換算したら、喫茶店でコーヒーを運んでいるほうが稼げるだろう」
脚本家「ギャラの足しにと劇中に登場する「箱入り娘膝枕」が送られてきたが、」
脚本家「呑気に膝枕商品に頭を預ける余裕がどこにあるというのだ?」
脚本家「労うつもりがあるのなら、生身の膝を寄越してくれ」

〇電車の座席
脚本家「生身の膝?」
  そうかと脚本家は閃いた。

〇ハート
脚本家「主人公の男と配達員が箱入り娘を取り合うのは、」
脚本家「うまく話を組める自信がなかったが、」
脚本家「生身の膝であるヒサコを取り合うのなら成立する」

〇通学路
脚本家「原作の設定通りの「主人公の男と箱入り娘膝枕とヒサコの三角関係」に配達員を加えた四角関係」
脚本家「これならラブコメテイストも入れられる」

〇ハート
脚本家「配達員とヒサコがくっついてもいいし、」
脚本家「男とヒサコがくっつき、」
脚本家「振られて余った配達員と膝枕がくっついてもいい」
脚本家「男の頬と箱入り娘膝枕が溶け合って一体化するところは見せ場になりそうだし、」
脚本家「CGデザイナーも張り切ってくれている」
脚本家「そこを残すとなると、ヒサコと配達員をくっつけるのが良さそうだ」

〇木造の一人部屋
  脚本を書くのはパズルのような作業で、
  キャラクターの設定をちょっと変えると、それが脚本全体に影響する。
脚本家「配達員を「ヒサコに想いを寄せ、ヒサコと両想いになる」設定にすることで、傷は最小限に済みそうだ」
脚本家「となると・・・」

〇古いアパートの一室
脚本家「ヒサコが主人公の男にこっぴどく振られる場面が必要になる」

〇病室
脚本家「膝枕と切り離される外科手術を受けた男が」
脚本家「身は別々になっても心は箱入り娘膝枕と分かちがたく結びついていることに思い至り、」
脚本家「本当に愛しているのはヒサコではなく箱入り娘なのだと悟る」
脚本家「ようやく男が振り向いてくれると期待していたヒサコは今度こそ失恋し、」
脚本家「失意の底に突き落とされる」

〇病院の廊下
脚本家「そんなヒサコの目の前に現れる配達員」
脚本家「二組のカップルが生まれてハッピーエンド」

〇木造の一人部屋
  一気に書き上げた。
脚本家「プロデューサーと別れてから、わずか4時間」
脚本家「このスピードで改訂稿を上げてきたら、舌を巻くだろう」
脚本家「今日のオーダーにこれ以上の形で応えられる脚本家が他にいるだろうか。いや、いない」
脚本家「ただし当社比」
  「改訂」に原稿の「稿」と書いて
  改訂稿
  脚本家のMacBookは日本語に弱いらしく、「かいていこう」と打って変換すると、
  書いて行こう
  と出る。英語にすると
  Keep writing
  「腐らず頑張れ」と励ましてくれているようで可愛い。
  45稿で決定稿となった。
  日本語が苦手な脚本家のMacBookは「けっていこう」と打ち込んで変換すると、
  決定稿
  ではなく
  蹴って行こう
  と出る。
  Keep kicking
  理不尽をはねのける威勢の良さがある。

〇木造の一人部屋
  久しぶりに枕を高くして深い眠りに落ちた脚本家は、

〇木造の一人部屋
  あくる朝、プロデューサーからの電話で目を覚ました。
プロデューサー「ネットニュース見た?」
  撮影延期になっていたカメオの男の主演映画が、急遽クランクインすることになったらしい。
脚本家「おいおい、早く知らせてくれよ。配達員膨らませちゃったよ」
プロデューサー「参ったよ」
  プロデューサーがため息をつくが、どこか他人事(ひとごと)な響きがあった。
脚本家「いいじゃないですか。あのレベルの役者なら、いくらでもいますよ」
プロデューサー「あれ? 彼に肩入れしてたんじゃなかったっけ」
脚本家「???」
  話が噛み合わないと思ったら、役を降りたのはカメオの男ではなく、主役の男だった。

〇CDの散乱した部屋
  役作りのために二人暮らしを始めた箱入り娘膝枕に溺れ、部屋から出て来なくなってしまったという。
  映画『膝枕』の撮影より前にスケジュールしていた仕事も軒並みキャンセルしているらしい。

〇木造の一人部屋
脚本家「だったらカメオの男を主役に」
  と脚本家は言いかけたが、その線は消えてしまっている。
脚本家「じゃあ次、誰に当たります?」

〇シックなリビング
プロデューサー「次なんて、ないよ。クランクインまで2週間切ってるんだから」
プロデューサー「今、スケジュールが空いているってことは、売れてないってことだよ」
  プロデューサーの声が、くぐもって聞こえる。横になって話しているのだろう。

〇木造の一人部屋
脚本家「こんな大事な話をするときに、箱入り娘膝枕に頭を預けてやがるに違いない」
脚本家「主役がつかまらなかったら、クランクインできないじゃないですか」

〇シックなリビング
プロデューサー「だよなー。これ流れるパターンだ」
  ダメだ。企画が流れるかどうかはプロデューサーの踏ん張りにかかっているのに、完全に腰がひけている。腰抜けだ。
  いや、骨抜きになっているのだろう。
  箱入り娘に。

〇木造の一人部屋
脚本家「ここは怒るところだ」
脚本家「ヘラヘラしていると、つけ込まれる」
脚本家「終わりの見えないダメ出しに弱音を吐きそうになりながら、「書いて行こう」と前を向いて書き続けられたのは、」
脚本家「作品を少しでも良い形にして届けたいという作者の意地があるからだ」
脚本家「作品になれば苦労は消し飛ぶが、作品を世に出せないと、徒労感だけが残る」

〇木造の一人部屋
脚本家「怒らなくては」
脚本家「自分が書いた登場人物たちに代わって」
脚本家「ここで怒らなくては、主人公の男も、箱入り娘膝枕も、ヒサコも、配達員も、彼ら彼女らのセリフも、」
脚本家「誰にも届かないまま埋もれてしまう」
脚本家「もちろん、その脚本の書き手の存在も」
脚本家「なかったことにしてはいけない」
脚本家「怒らなくては・・・」
脚本家「怒らなくては・・・」
脚本家「怒らなくては・・・」

〇木造の一人部屋
  だが、体に力が入らない。

〇二階建てアパート
  昨夜

〇古いアパートの部屋
  45稿が決定稿になった達成感で、脚本家は、
  届いたまま部屋の隅に追いやっていたその箱を開けた。
  中身を取り出し、
  頭を預け、
  マシュマロのような感触に受け止められた。
  それっきり一度も起き上がっていない。
  脚本家の頭は、箱入り娘の膝枕に深く沈み込んでいた。
脚本家「この膝があれば、もう何もいらない」

コメント

  • 効果音等の使い方次第で更に面白さが倍増するんだと思いました😃
    すごく面白かったです❣️

  • 効果音やBGM、エフェクト。ますます腕を…じゃなくて、膝を上げてますね!
    人物のチョイスもウケました😆

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