一足先に(脚本)
〇水玉
今日は岡田さんが来ると聴いてた日。私はこの日をずっと待っていた。
みあ「スマートフォンが欲しい」
そうスタッフに伝えたら、岡田さんに相談するよう言われてたからだ
私はその日から、ずっと岡田さんを待っていた。
言葉はかなり覚えた私だったが、計算はまったくだった私。時間が経つ事が、とてつもなく長く感じていた
ただこの事がきっかけで、時間についても学んでいくことになった
〇簡素な部屋
岡田さん「お久しぶり、みあさん。元気にしてたかしら」
いつも笑顔な岡田さんだが、この日は私の勝手な期待から、笑顔がパンケーキの上にかかった蜂蜜のようにとろけて見えていた
みあ「岡田さん、岡田さん。私スマートフォンが欲しいの。スマートフォンが欲しいの」
私は岡田さんが、どんな反応をするかなんて考えていなかった。ただ、何か私の想像とは違っていた
岡田さん「みあさん、グループホームに引っ越さない?」
〇果物
みあ「岡田さん、私はスマートフォンが欲しいんだよ~」
岡田さん「そうね。スマートフォンについてもお話するから、岡田さんのグループホームについてのお話も聴いて」
岡田さんがとても真剣な表情に変わっていた事に気がついた
〇児童養護施設
岡田さんは「入所施設」について説明してくれた
「入所施設」は障がいの重い方が利用している場所
病院にいた頃の私は、言葉も話せず、歩行も不安定だったから「入所施設」である「杉の森学園」に入ってきた
しかしここに来てからの私は、凄いスピードで成長していった。とはいえ、まだ計算等苦手な状態が続いていることもある
そのため私は「入所施設」よりも、「グループホーム」の方が良いと、「杉の森学園」のスタッフや岡田さん達で話し合っていたのだ
〇簡素な部屋
少し分かったが、分からない事も多い。そもそもスマートフォンの話が気になっていたし
岡田さん「みあさんはさっき、スマートフォンが欲しいって言ってたけど、スタッフさん以外で持っている人は見たことある?」
そういえば、先輩達は誰も持っていなかった
岡田さん「ここでは皆、自分で出来ることを増やしていくために訓練をしているけれど、成長はゆっくりな人が多いの」
岡田さん「楽しみもあるけど、スマートフォンは複雑で使える人が少ない上に、壊れてしまう可能性も高いから、誰も持ってないの」
岡田さん「だから、みあさんもグループホームに移った方が良いかと思って。今日はそういう話をしにきたの」
〇簡素な部屋
みあ「えっじゃあスマートフォンくれるの」
岡田さん「すぐは無理なの。買わなければいけないし、みあさんのお金もまだそんなに貯まってないし」
岡田さん「それにグループホームに入ることが、まず先よ」
〇簡素な部屋
みあ「分かった。いつから入れるの」
実はあんまり分かってなかったが、入らないとスマートフォンは手に入らない。なので答えは決まっていた
岡田さん「そうね、約1ヶ月後くらいかな?その頃に確か、学園のお祭りがあったから、それを楽しんでからにしようか」
岡田さん「それに皆と一緒に過ごせる時間もあと少し。何か思い出を作ってみたら?」
〇簡素な部屋
ふと冷静な気持ちになった
出ていくってどんなところに。先輩達ともスタッフとももう会えないのかなぁ
話したい事が出てこないのに、たくさん言葉が足りないような気持ちになった
みあ「もう、会えなくなるのかなぁ」
ふと呟いた
岡田さん「あら、みあさんはここでお仕事があるでしょ。それにピアノも弾けるんだから、ボランティアもしてみたら?」
〇水玉2
そうだ、私は皆のために出来ることが増えたんだ。山下さんも話してくれた。皆に楽しんでもらうことが嬉しいって。
また、昔聴いた事のある「音楽」が、頭の中を流れていた
みあ「岡田さん、この音楽知ってる?」
私はそう言って、メロディーを口ずさんだ。メロディーは分かるのだが、歌詞が分からないからだ
岡田さん「なんか知ってるような、知らないような」
岡田さんは少し考えこんでいたが、急に思い出したようにスマートフォンを取り出した
岡田さん「みあさん、もう一回口ずさんで。スマートフォンのアプリで分かるかもしれないから」
もう一度口ずさむと、アプリが反応して教えてくれた
みあ「岡田さん、この歌の歌詞教えて。それとこの事は皆に内緒にして。私この歌練習して、皆に歌いたい」
〇児童養護施設
岡田さんはその日「杉の森学園」から出ていった後、歌詞を印刷して次の日にわざわざ持ってきてくれた。
皆に分からないように、封筒に入れて
岡田さん「みあさん頑張ってね。私もみあさんが歌う事を楽しみにしてるね」
〇簡素な部屋
私はその日から、空想のピアノでその曲を弾く練習と、歌詞カードと英語の辞書で歌う練習をした
ただ歌の練習は苦戦した。人に聞かれたくないから、周りに人がいない時に、小さな声で行わなければならなかったから
〇音楽室
少し日が経ち、ボランティアさんが来て「音楽」が行われた日、私はボランティアさんに一つお願いをした
みあ「あのーお祭りの日なんだけど・・・」
みあ「一曲だけピアノを弾かせてほしいの。私もうすぐ違う場所に行っちゃうから」
ボランティアさんは、笑顔で承諾してくれた
ボランティアの人「スタッフさんには私からも話しておくね」
〇一軒家
お祭りまでの間には、グループホームというところにお泊まりの体験にも行った
元々ある家を改築して、新しくグループホームとしてオープンする建物。そこには私と同じように何人か体験しているらしい
「しているらしい」については、新しくオープンするので、皆バラバラの日に体験利用をしていたのだ
体験利用は不安もあったが、初めての体験を楽しめる私にもなっていた
〇児童養護施設
お祭りの日がやってきた。その日は朝から賑やかだった。知らない人達も次々とやってきた
先輩達のご家族や、岡田さんのような相談員、他の施設等からも来ていたらしい
〇チョコレート
そして次第にいい匂いや、大きな音で音楽が鳴ったり止まったり。本番直前の準備だ
実はお祭りをよくわかっていなかった私。てっきり「音楽」を半日以上やるくらいだと思っていた
だからいい匂いの正体である、焼きそばや焼き鳥にはとても興奮をした
カラオケ大会もあって、先輩達は楽しそうに歌っていたが、私は参加をしなかった
私は自分の決めた一曲だけを歌うつもりだったから
〇音楽室
祭りの後半、ボランティアさんも色んな歌を演奏してくれた
そしてボランティアさんの演奏が終わる頃、ついに私の出番がやってきた
スタッフ「皆さん、突然ですが、先月から入所をしていたみあさんが、今月いっぱいでグループホームに移る事になりました」
スタッフ「そこで、みあさんから皆さんに音楽のプレゼントがあるそうです。それではみあさん、お願いします」
私は少し緊張していたのか、皆の前で一礼だけして、何も話さずにピアノの前に座った
〇商店街の飲食店
♪♪~♪
みあ「When you’re alone and life is making you lonely」
みあ「You can always go downtown」
その時歌った曲は、ペトゥラ・クラークの「downtown」
まだ施設の外の生活をほとんど知らない私。でもきっと楽しくなると思ったから
先輩達にも同じように体験してほしかったから。私はこの歌を頑張って大きな声で、優しく誘うように歌った
〇音楽室
弾き終わると、少し照れながら、それでも満足を噛み締めて、大きく深呼吸をした
入居者「みあさん、ありがとう」
入居者「みあさん、どっかいっちゃうの。やだー」
入居者「みあさん、もっと歌ってよ~」
たくさんの拍手とともに、先輩達が声をかけてくれた
〇音楽室
成長がゆっくりな先輩達。でも私の名前を覚えてくれていた。私の「音楽」を楽しんでくれていた
私の事をしっかり見ててくれていたのだ
痛くも悲しくもないのに、涙がたくさん溢れてきた
みあ「ありがとう先輩達。私に色々な事を教えてくれて。私に楽しみを教えてくれて」
〇一軒家
数日後、最高の思い出とともに、グループホームに入ることになった
今日からまた新しい生活の始まりだ