聖女の朝は囂しく②ルイーズサイド (脚本)
〇豪華なベッドルーム
イングリッド・オールストレーム「それで、今日は何をすればいいの?」
鏡台の前に座られたイングリッド様が、物憂げな表情で私《わたくし》に尋ねられました。
こうして静かになされていれば、イングリッド様は聖女に相応しい気品とお美しさを兼ね備えた方でございます。
艶を帯びた柔らかい黒髪と深い光を湛えた大きな黒い瞳。
雪のように白く滑らかな肌に覆われたお顔の中心には整った鼻筋が通り、その下には小さく可愛らしい唇が結ばれています。
ルイーズ・ホフス「本日は王宮まで慰問と祝福にお出ましになる予定でございます」
私がイングリッド様の髪を梳《す》きながらお答えすると、イングリッド様が眉をピクリと動かします。
イングリッド・オールストレーム「慰問と祝福って・・・・・・もしかして一ヶ月くらい前にも行ったアレ?」
ルイーズ・ホフス「はい、前回は東部国境地帯で隣国の偵察隊を撃退した騎兵隊でしたが、」
ルイーズ・ホフス「今回は北部の獣人国への遠征を終えた旅団への慰問と祝福とのことです」
次の瞬間、イングリッド様のお顔が見る間に青白く変わっていきました。
イングリッド・オールストレーム「い・・・・・・いやあああああああああっ!」
ルイーズ・ホフス「と、言われましてもご聖務ですので」
お身体をガクガクと震わせながらイングリッド様が首を横に振ります。
イングリッド・オールストレーム「それって怪我人の傷を治したり、死人が迷って出てこないように祝福与えたりするヤツでしょ!?」
ルイーズ・ホフス「はい、そうでございますが」
イングリッド・オールストレーム「いやいやいやいやいや! 取れた腕や脚を繋いでくれとか、割れた頭を塞いでくれとか普通に頼まないでよぉっ」
イングリッド・オールストレーム「焦げた死体とかも見たくないわよぉぉっ」
ルイーズ・ホフス「ええと、僭越ながらそのような事は日常茶飯事なのでは?」
ルイーズ・ホフス「私も男爵様のお屋敷に居りました頃にはよく怪我をした兵士の傷の縫合などお手伝いしておりましたし」
イングリッド様は何か恐ろしいものでも見たような表情を浮かべながら頭を掻きむしられました。
イングリッド・オールストレーム「ああっ、それ! この世界の人間ときたら切った張ったが当たり前みたいに思ってるけど、」
イングリッド・オールストレーム「『ワタシんとこ』ではそんなの外科医か救急隊員でもなきゃまず見ないわっ!」
イングリッド・オールストレーム「内蔵がまろび出ちゃってるのとかもう見たくないのよぉぉ。グロいのダメなのよぉぉぉ」
無学の私にはイングリッド様の仰る「キューキュータイイン」が何かは解りかねますが、
そういえばイングリッド様はそもそも公爵家のご令嬢ですから、そのような場に慣れておられないのかもしれません。
ルイーズ・ホフス「イングリッド様、心をお鎮めくださいませ。今お茶をご用意いたします」
お茶の用意をしながら私は、どのような手管を用いてイングリッド様をなだめすかすかを思案しておりました。
ルイーズ・ホフス「そういえばイングリッド様、城下の菓子工房で、新しい焼菓子が売られているとのこと――」
振り返った私の視界にイングリッド様の姿はありませんでした。
ルイーズ・ホフス「イングリッド様?」
その時、パタパタと何者かが回廊を駆けていく足音がします。
ルイーズ・ホフス「イングリッド様!」
〇結婚式場の廊下
お部屋を飛び出すと、イングリッド様が回廊の先の階段を駆け上がる姿が一瞬だけ見えました。
ルイーズ・ホフス「お待ちください、イングリッド様!」
私が階段まで辿り着くと、螺旋状に延びる階段の上方からペタペタと階段を登る足音が聞こえます。
イングリッド様は高貴なご令嬢ですので体力的にはあまり優れてはおられません。
私は迷わず階段を駆け上がっていきました。
〇らせん階段
すぐにイングリッド様に追いつくはず――。
そう考えていたのですが、私は浅はかでした。
本日、私の靴には鉄板が仕込まれていたのを失念していたのでございます。
思いのほか距離を詰めることが出来ないまま、私はイングリッド様の後を追いました。
それにしてもよりによってこの聖女宮で一番高い尖塔へ逃げ込まれるとは、何をお考えなのでしょうか。
塔の最上部は物見のテラスがあるだけで逃げ場はありません。
〇洋館のバルコニー
ようやく私が尖塔の上端へ辿り着いたとき、イングリッド様は外のテラスに手をかけてよじ登ろうとされていました。
ルイーズ・ホフス「ハァ、ハァ、イングリッド様、いったい何をなさっているのです?」
イングリッド・オールストレーム「もうウンザリなのよ! 訳もわからない内に聖女とかにさせられて人の怪我や病気直したり一日中祈らされたり、早起きも嫌いっ」
イングリッド・オールストレーム「あーっ、もうイヤ、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ァッ」
イングリッド様がテラスの縁に立ち上がって絶叫します。
ルイーズ・ホフス「落ちついてください、イングリッド様! どうかこちらに降りてくださいませ」
ですがイングリッド様は遠くを見るような眼差しで口角を上げました。
イングリッド・オールストレーム「イヤ。ワタシはこんなところとはサヨナラしたいの」
そのまま「じゃあね」と言われると、イングリッド様は虚空へと身を踊らせます。
ルイーズ・ホフス「イングリッド様!?」
テラスに駆け寄り下を覗くと、遥か眼下の地面の上に伏すイングリッド様の姿が見えました。
ルイーズ・ホフス「イングリッド様、そんな・・・・・・なんて、なんて『無駄なことを』!」
イングリッド様の周りには、物音を聞きつけた付近の人達が徐々に集まりつつありました。
ルイーズ・ホフス「はっ!? いけませんわ、早く回収しなければ!」
〇教会
私は急いで階段を駆け下りると聖女宮の入口へと向かいます。
ルイーズ・ホフス「ああ、申し訳ありません、ちょっと通してくださいませ!」
既に二重三重となった人垣をかき分け輪の中心へと抜け出ると、
そこにはまるで馬車に轢かれた蛙のような格好で地面に貼り付いたイングリッド様が居られました。
ルイーズ・ホフス「お気は済みまして?」
私の声に、伏したままイングリッド様は小さく頷かれます。
ルイーズ・ホフス「さあ、それではお立ちになって。このままでは皆様が心配されますわ」
私に促され、イングリッド様は地面に手をつくとスクッと立ち上がられました。
あの高さから落ちてなお、そのお顔とお体には傷一つございません。
人垣から「おおっ」とどよめきがあがります。
ルイーズ・ホフス「皆様! 本日は特別に聖女様が奇跡を見せてくださいましたわ。聖女様のご厚意に盛大な拍手を!」
ルイーズ・ホフス「さあ、聖女様も皆様にお手をお振りになって」
力なくブラブラと手を降るイングリッド様を拍手の輪が包み込みます。
ルイーズ・ホフス「それでは聖女様ご退場ですわ。少し道を開けて頂けますかしら。ご協力感謝いたします」
ルイーズ・ホフス「あ、お代はけっこうですのよ。お気持だけで――」
私に肩を押されながら、イングリッド様が拍手に見送られトボトボと左右に分かれた人垣の間を歩き出しました。
私は何度か観衆の皆様にご挨拶をしながらようやく聖女宮の入口をくぐり、イングリッド様を押し込めるように扉を閉めます。
〇大広間
ルイーズ・ホフス「はぁ・・・・・・何とかなったようですわね」
ルイーズ・ホフス「イングリッド様、御身《おんみ》は息災かと思いますが、装束が傷んでしまいますわ、無茶をなさらないで頂けますかしら」
華奢な御身体が更に小さくなられるほどうなだれたイングリッド様は、小さく「うん」と頷かれました。
エピソード1ルイーズサイド 終
面白い話ですね! 続き、待ってます!