悪夢(脚本)
〇月夜
「アハハハハハハ! アハハハハハハ!」
眼下に月が座す夜。超音波の笑い声は当人以外には聞こえない周波数で響き渡る。
耳を裂き、脳を焼く何よりも凶暴な声だ。当人はそれを知らない。ただ楽しくて笑っている。
ただただこの夜を自由に駆け回る楽しさに酔いしれている。
逆さまのビルからビルへ飛び移り、上に伸びる地平線に向かってひたすらに走る。悪夢の中で彼だけが自由だった。
〇女の子の一人部屋
ジリリリと目覚ましが鳴る。朝。剃多勇は目が覚めると心地よい疲れと満足感に体を包まれていた。
名残惜しそうにベッドから出て、着替える。
〇アパートのダイニング
そして重い足取りでリビングに向かう朝食はご飯を三杯とみそ汁を二杯。鯵の開き二尾食べた。
「朝からよく食べるなあお前」
「育ち盛りなのよ」
〇教室
学校に着き、教室のドアを開けると、自分の机の上にクラスの人気者な女子が座っていた。
それを見て何をするわけでもいうワケでもなく勇は授業開始までトイレで待機することにした。
個室に入り、鍵をかけて、便器に座って腕時計をじっと見る。いつもの朝の光景だ。二分前、鍵を開けて教室に向かう。
きっちり二十歩で教室前にたどりつく。ドアを開けて教室を見るとまだ座っていた。チャイムが鳴ってようやくどいた。
急いで教室に入って座る。ポケットからハンカチを取り出して机を拭く。机に残った温度すら拭き取るような勢いでハンカチを擦る。
鞄から教科書とノートを取り出してこれ見よがしに広げて、覆いきれない部分には資料集も広げる。一限は日本史だった。
黒板に書かれたことを何も考えずノートに書き写していく。何度も書けば勝手に覚える。それで少なくとも落第はしない。
授業なんかに頭を使ってはいられない。
一限二限は終わって中休み。疲れて眠くなったが眠りはしない。
小出しに眠っても満足感を得られない。きっちり八時間眠るに限る。だから授業中はできるだけ頭を使わない。手だけを動かす。
三限の体育は仮病で休んだ。四限の理科は実験だったので少し動いた。こんなことで疲れたくはなかった。
昼休み。理科室から真っ先に教室に移動して席に座り、弁当箱を開ける。これで誰も机に座ることはできない。
下に敷いたナプキンが防衛線だ。じっと下を向いて弁当箱を見つめて食べることに集中する。
食べ終わったらノートを開いて予習をするふりをする。パラパラとめくって適当に眺めるだけだ。ちょっとは覚えられる
人間は分類できないものを恐れたり蔑んだり排除しようとするが、真面目というレッテルを自分から張ってしまえば納得するのだ。
人間関係という負担を無くすための勇が考えた処世術だった。
五限六限は一限二限と同じだ。終わったら後は帰るだけだ。
〇アパートのダイニング
家に帰って適当に宿題を片付ける。半分以上正解なら教師も親も何も言わない。後は準備だ、一日はこれから始まる。
夕飯も米三杯食べておかずもいっぱい食べた。寝る前にホットミルクも飲んだ。時刻は二十二時。ベッドに入ってすぐ眠りに落ちた。
〇月夜
夢の中。何よりも自由な一匹の狼になってどこまでも駆け回る。それが勇にとっての本当の人生だ。
ドリーマー「アハハハハハ!」
思いっきり笑えるのは、本当に笑えるのは夢の中。
〇月夜
明晰夢を見るようになったのは二週間前からだ。不眠症で精神科に行ったら処方された薬を飲み始めたのと同時期だった。
チョコやミルクに浸して飲んで下さいと、処方箋には書いてあった。
普通水じゃないかと思ったがとりあえず書いてある通りホットミルクと一緒に飲んだら気が付いたらこの逆さになった街の中にいた。
いや、より正確にその感覚を表現するとしたら目覚めるという感覚だった。夢の中という認識はあるが、目はばっちり覚めている。
周りには誰もいなかった。静けさの匂いが鼻腔を満たしていた。建物に使われるコンクリートや鉄の匂い、道路の匂い。
。命を感じられぬ孤独とはこういう匂いなのだろうと思った。
思いっきり息を吸って吐いた。空気が美味しいと思ったのは初めてだった。
手を見るとごわごわとした硬質の毛に覆われていて、指先には鋭い爪があった。足も同じだ。おそらくは全身も。
舌先に牙が当たる。これは正に獣だ。
自分の姿を見たくて、鏡を探して走りだした。探しても探しても見つからなかった。けれどその内どうでも良くなった。
ただ走って笑う。それだけが楽しい。
獣の脚力は人には到達しえない速度を生みだす。
その研ぎ澄まされた感覚は風を、匂いを、音を、月の柔らかな光をどんな絵画よりも美しく感じさせた。
それからずっと夢が生活の中心になった。眠るための体力を温存しエネルギーを蓄える日々。眠るために生きている
起きている時間は眠りと次の眠りの間の時間でしかない。だが勇にとってそれは今までよりもずっと生き生きとした生活だった。
眠りと言う目的ができたからだ。明晰夢を見た日に十七年の人生でようやく生まれたと言えるだろう。
走って走って走って、走っている内に目覚めてしまう。未だに道の終わりにはたどり着かない。
果たして先に何があるのか、それほど興味があるわけでもないが、起きた時考えるのはそれだった。
〇アパートのダイニング
目が覚めたらまた次の眠りに向けて動き出す。朝食をしっかりと食べて、学校に行く。
学校ではできるだけ体力を使わないように過ごして、帰ったらまた食事をして寝る。
〇ゆるやかな坂道
その日は少し違った。学校からの帰り道。見るからに胡散臭い男が勇の目の前に現れた。
鋭い眼の男「君、最近変な夢見てないかい?」
無視してそこから走り去った。ただその目が嫌に鋭くて、頭の中にこびりついていた。
家に帰り、夕食を食べ、宿題を適当に埋めて、錠剤を溶かしたホットミルクを飲んで寝た。
〇月夜
夢の中、目覚めるのはいつもビルに囲まれた道路の上。起き上がり、走り出す。
両足は固い大地を踏みしめてその爆発的なエネルギーを破裂させ、推進力へと変える。
一歩一歩ごとコンクリートの道に大きな足跡を残し、獣の巨躯は進んでいく。
嗅ぎ慣れた匂いになにか混じるものがあった。思わず足を止める。そして、匂いの元を探り始めた。
なぜかわからないが探し出さなければいけない気がした。探し出して・・・・・・。
鋭い眼の男「俺をお探しかい?」
排気ガスの匂いがした。それと繊維と、人の匂い。
鋭い眼の男「やっぱ、今日会った子だ。見てすぐに気付いたよ」
ドリーマー「アンタは・・・・・・」
勇の目の前にいたのは街で出会った男だった。止まったバイクに腰掛けながらこちらを見ている。あの鋭い眼で。
鋭い眼の男「何しに来たかわかるかい?」
ドリーマー「わかる必要はない」
牙を剥きだし、唸り声を上げた。何も言わなくとも目の前の相手がどういう存在かは直ぐに理解した。やるべきことも。
相手も慣れているといった素振りでバイクにまたがり走り出した。当然追いかける。
鋭い眼の男「まだ取り返しはつくぞ! 薬を飲むのをやめればいい。そうすればこの夢も終わる。人のままでいられる!」
聞こえている。言葉の意味も理解している。しかしそれを振り切るように勇は加速する。
鋭い眼の男「夢から戻ってこられなくなるなんて話じゃないんだ。この夢は現実なんだよ。君は街を走って有毒の声をまき散らし人を殺してる」
ドリーマー「構うもんか! 人間のままじゃ笑えなかった! 何もなかったんだ! 何も、いいことも悪いことも全部どうでもよく思えた」
ドリーマー「ここで初めて笑えたんだ! 例え何人死のうと、何人殺そうと僕は思いっきり笑ってやる!」
二人は街を走り抜ける。咆哮がガラスを割り人々を殺していく。
ドリーマー「ああああああああ!」
バイクが大きく右に傾いて、そのまままっすぐ進んで潜り抜けた。勇は気にせず駆ける。
その瞬間硬質のワイヤーがその足を切り裂いた。その速度が威力となったのだ。道路に倒れ伏した勇は最後に吠えようとする。
しかし、男が上から踏み、押さえつけた。
唸り声を呑み込んだまま、勇は目を閉じて、二度と目覚めることはなかった。
それを確認すると、帽子の男は耳栓を外した。
これで目が覚めることがなくなって、よかったね!(よくない!)
起きている時は喜怒哀楽といった感情がない生活を送っている彼が、夢の中では身体中の感覚を使って楽しく活動している。謎の男が気になります。
主人公は人間でいることを選ばなかったんですね。
現実の生活で笑うこともなく、無味無臭な日々を暮らしていて…あの薬は自己解放だったのかもしれないと思いました。