ある怪人の憂鬱(脚本)
〇シックなバー
嫌な予感はしていた。
マスター「今、手が離せないから、少しの間カウンターについてくれる?」
バーテンダー莉子「出勤するなり、いきなりカウンターを任せられるなんて、なんか変だ」
もしかして。
そんな思いを頭の中で打ち消しながら、莉子は厨房の先にあるカウンターの方に目をやった。
バーテンダー莉子「いらっしゃいませ」
怪人「あ、いつもの。 カルーアミルク、ストレートで」
──やっぱり。
バーテンダー莉子「かしこまりました」
莉子は半ば諦めたように小さく頷くと、静かにカウンターの下にある冷蔵庫の扉を開けた。
怪人「・・・」
怪人「男というものは、家族を養わなくちゃならないから、嫌でも仕事を続けなければならないわけよ」
怪人「わかる?」
バーテンダー莉子「・・・はじまった」
バーテンダー莉子「”バブル期を忘れられない男の代名詞”として、語りを使っている団魂世代のおじさま・・・いや、怪人さん」
怪人「家に帰れば妻が『私の話しは全然聞いてくれない』とか『外に女がいるんじゃないか』とか絡んでくるし」
怪人「でも、仕事で不安があることを妻に言えば、家族をも不安にさせてしまう恐れがあるじゃないですか」
バーテンダー莉子「怪人さんたちは、立場上、普段クールで残虐でいなくてはならない分、口数が少ない」
バーテンダー莉子「だから、こうしてここに来た時は、やけに饒舌になるのだ」
怪人「だから、無理をして、強がってつまらない冗談とか言っちゃったりしてね」
怪人「安らげないんですよ。どこにいても」
怪人は深くため息をつくと、大きな背中をキュッと丸めた。
バーテンダー莉子「大変ですね」
莉子は当たり障りないトーンで、ひとことだけ囁く。
『バーテンダーは、あまり喋らない』が、この店の鉄則だ。
怪人「それなのに妻は、SNSで知らない男たちと楽しそうにコメントのやり取りをしていたんですよ!」
怪人「コメントのやりとりだけ。会った事もない。結婚していることも公言しているし、それくらいいいでしょ?って」
怪人「あなたみたいに、飲み会だのゴルフだの。そんなお金のかけかたしてないしって・・・」
怪人「・・・」
怪人「でも『人妻ミイコ』ってニックネーム。完全に誘ってるよねー!」
怪人「私は付き合いのため、今後の仕事がやりやすくなるため、全ては家により多くのお金を入れるためにやっているのに」
怪人はグラスを掴むと、しゃべっている途中で一気にカルーアミルクを流し込んだ。そして、顔を真っ赤にして咽せ込む。
怪人「妻のやってることは、自分のためだけじゃないか」
咽せて苦しかったのか、本当に悲しくなってきたのか。怪人の目からジワジワと涙が溢れてきた。
バーテンダー莉子「台拭きだけど、おろしたてだから大丈夫だろう」
莉子は反射的に手にしていたフキンを差し出した。
ドラキュラの女「お待たせしましたー♪」
バーテンダー莉子「いらっしゃいませ」
ドラキュラの女「あ、私もいつものレッドアイ。 おねがいしまーす♪」
弾むような軽快な女の声が、そんな重苦しい空気に割り込んで来た。
バーテンダー莉子「はい。かしこまりました」
ドラキュラの女「で、早速ですが、今回の案件に使えそうな子は、この三人なんですけど。どうです?」
ドラキュラの女「一週間だったら一人時給2500円。あ、もちろん、準備金もいただくんで、仲介料を含めてまず頭金20万・・・」
空気を読まずに電卓を叩きながら薄ら笑いを浮かべている女の口元には、不自然な量の赤いルージュが光っている
怪人「・・・」
怪人「ちょっと高くないか?」
ドラキュラの女「大きな案件なんでしょー。ケチケチしない!」
怪人「・・・」
怪人「ふんふん、まー、確かに。悪くはないな」
カウンターに置かれている写真を手にした怪人は、眉間にシワを寄せながら頷いた。
怪人「ま、出来高次第だな。逆に良い仕事すれば、うちからボーナスも出してやるよ」
ドラキュラの女「毎度ありっ♪」
女の「毎度ありっ♪」という声を聴き終わらないうちに怪人は手のひらをヒラヒラさせて莉子を呼び寄せた。
怪人「で、『本当は、自分で店を持ちたかった。チャレンジしてみたかった。それを全部諦めて頑張っているんだぞ!』って妻に言ったら」
怪人「『私はそんな話し、今まで一度も聞いたことがありません。自分ができなかったことを、私たちのせいにしないでください』って」
怪人「酷くない?」
怪人は手にしていた台拭きを目頭にあてる。
ドラキュラの女「あー、そうだ、そうだ。社長。カスタム代ももらっていいですか?一人人間風にした方がいいと思うんですよ」
怪人「誰をカスタムするって?」
怪人は真顔で女の方を向く。
怪人「ああ、この子ね。オーケー。年齢ももう少し若くした方がいいんじゃ?」
と言いながら、怪人は振り向きざまにまた、台拭きを目頭にあてた。
怪人「離婚を決めかねている女性の中で『どうせ住むなら綺麗なマンションで、月収はこれくらいあってという条件が揃わないと』って」
怪人「今の生活水準、もしくは、それ以上を求めている人がいるんだよね」
怪人「それだけのスキルを持ち合わせているのなら問題ないけど」
怪人「そういう努力もしないで、その水準をクリアできる『再婚相手』を先にチョイスしようとする女性も少なくない」
怪人「わかる?」
怪人は雑巾を絞るように台拭きを両手で捻じる。
バーテンダー莉子「そんなに涙は出ていないでしょう・・・」
女の、ノートパソコンを打つ音が、BGMのように店の中に響き渡る。
怪人「正直、私はそんなバツイチの妻に『再婚相手』として選ばれてしまった人のように思えてきた」
怪人「私は単なる生活を維持するための保険なのかもしれない」
ドラキュラの女「企画書、でっきましたー!」
ドラキュラの女「あー、お腹すいた! ホットサンドとレッドアイ、お代わり!」
バーテンダー莉子「かしこまりました」
怪人「おいおい、まだ話の途中だぞ?」
怪人「・・・」
怪人「じゃあ、私もおかわり。 カルーアミルクを」
眉間にシワを寄せておんなを見る怪人を横目に、莉子は極上の笑顔で挨拶をし、裏手にまわる。
バーテンダー莉子「今日でこの話しを聞くのは何回めだろう」
莉子は、苦笑いしながら目の前の扉を開けた。
バーテンダー莉子「カルアミルク。少しホイップクリームを入れてあげようかな・・・」
怪人と哀愁の相性って良いんですね
台拭きのくだり、笑いました😆
怪人とドラキュラという空想の世界に、ポピュラーなカクテルとリアリティある会話がうまく融合されていたと思います。
憂鬱な日常会話を怪人がたんたんと語るギャップも面白かったです。
なんだか哀愁漂う怪人さんですね。
でも、言ってることは普通のサラリーマンみたいで、こう言った人達はとりあえず話を聞いてもらいたいんだよなぁ…と思いました。
SNSで「人妻」とか「JK」とか名乗ってるのは誘いですよね。笑