遊撃班(脚本)
〇レトロ喫茶
浅葱明日香「ん・・・」
浅葱明日香「・・・?」
浅葱明日香「あれ・・・ここ・・・?」
知らない天井。
緩やかな音量で軽快なジャズが聞こえてくる。
外は雨だろうか、少しくすんだ窓ガラスに水が滴っている。
藤哲治「ああ、起きたかい?」
温和な顔立ちの初老の男性が、カウンターの奥から声をかけてきた。
どうやら明日香は、ボックス席のソファーで眠っていたらしい。
浅葱明日香「えっと・・・?」
藤哲治「はじめまして、私は藤哲治。 ここは喫茶店兼バーの『ノーチラス』で、私はここのマスターをやっているんだ」
藤哲治「昨晩、雪乃が君をここに連れてきたんだ。 雪乃、わかるかな? 公安隊の女の子だよ」
浅葱明日香「・・・!! あの時の・・・!!」
少しずつはっきりしてくる頭。
浅葱明日香(そうだ、昨日は・・・!!)
赤銅圭子「あっは──!! そっか君かぁ、昨晩雪乃が拾って来た子ってのはぁ!!」
どこから湧いて出たのか。
いつからそこにいたのか。
突然、すこぶる賑やかな女が目の前に現れた。
クセのある赤茶色の毛に、ド派手な寝癖。
ヨレヨレのシャツの上に雑に羽織られたシワシワの白衣。
浅葱明日香「・・・・・・」
マトモな人間ではないだろう。
赤銅圭子「やーやー、そんな警戒しないでおくれよぉ。 私も隣のボックス席で寝てたんだぜぇ?」
赤銅圭子「仲間仲間、あはははははは!! 何、君も酔い潰れ? だめだよぉ、身体は大切にしなきゃあ!!」
浅葱明日香「は・・・?」
赤銅圭子「そう怖がらなさんなってぇ〜 そろそろ雪乃も来ると思うしぃ? ま、起き抜けの一杯でも呑もうじゃないですか!! マスター!!」
浅葱明日香(・・・コーヒーのこと・・・だよね・・・?)
藤哲治「はい、コーヒー2杯ね。 お嬢さん、代金は気にしなくていいから、ちょっと一息お着きなさい」
藤哲治「圭子ちゃん、あんまりその子を困らせちゃいけないよ」
浅葱明日香「えっ、あ、 ありがとうございます・・・!!」
藤哲治「ん」
どうやらあの変な人は圭子というらしい。
何もかもが突然すぎて、明日香は全く展開について行けてなかった。
ここは喫茶店で、昨日会った人は現実で、
じゃあ、昨日のあの惨劇も
あの、『自分』の死体も──
「おはようございます。 って言っても、もう10時か」
カランカラン、とドアベルが鳴り、誰かが入店した。
月白雪乃「良かった、起きてるんだね。 ソファでごめんなさい、ちゃんと眠れたかな・・・?」
赤銅圭子「ゆっきのー!! おはよおはよ!! なんで昨日私の事置いて帰っちゃったのさぁ、つれないなぁ〜」
月白雪乃「おはよ、圭。 だって昨日、私がここに来た時はもう寝てたでしょう」
月白雪乃「それに、酔い潰れたあなたでも、誰かは隣にいた方がいいと思って。 私は本部に行かなきゃいけなかったし」
赤銅圭子「ひょー、頼られてるぅ〜♪」
どうやら圭子が雪乃の知り合いであることはよく分かった。
浅葱明日香「あ、えっと、雪乃、さん・・・?」
月白雪乃「うん、そう!! 月白雪乃。名前覚えててくれたんだね、 ありがとう」
月白雪乃「そしてあなたは・・・ 『浅葱明日香』さん、だよね?」
浅葱明日香「っ・・・!!」
浅葱明日香(私、自己紹介なんてしてない・・・!! っていうことは、私の身元はもう・・・!?)
背中を冷や汗が下る。
先程の会話から、昨晩雪乃が本部へ行ったことも分かっている。
ということは、本部の人間も、明日香がここにいることを知っている可能性が高いということで、それはつまり──
月白雪乃「あっ、そんなに緊張しないで。 私の判断で、まだあなたの存在は本部には伏せてあるの」
浅葱明日香「え・・・?」
月白雪乃「藤さん、テレビつけてもらえますか? 報道チャンネルで、追憶街3番地区を指定していただけるとありがたいです」
藤哲治「うん、わかったよ。 ちょっと待ってね。 えーっと確かこれを・・・」
〈──孤児院『さくら』にて発生した殺人事件では、孤児院に在所していた全員が犠牲となりました。
犠牲者は、職員の桜智美、入居児童の笹木麻里、原玄弥、・・・・・・
・・・、そして元入居児童で現臨時職員の
『浅葱明日香』
合わせて7名が犠牲となりました。
この小規模孤児院では──〉
孤児院の家族の写真と共に犠牲者として画面に映されたのは、紛れもなく明日香の写真だった。
月白雪乃「私が昨日本部に行った時にはもう、あなたの死亡が確定されていた」
月白雪乃「本部では、人生に悲観したあなたが家族全員を道連れにして無理心中をしたってことになってる」
浅葱明日香「そんなっ!! 私は死んでないし、 殺してなんて・・・ない・・・!!」
月白雪乃「でも、現場からはあなたの死体が出てるの」
浅葱明日香「それはっ・・・!!」
自分の知っていることは今全て話すべきなのだろう、と明日香は考えた。
浅葱明日香(でも、私は殺してないけど殺した感触は知ってるなんて、どう話しても不審に思われるに決まってる)
浅葱明日香(ましてや、私の知らない『私の死体』なんて・・・)
赤銅圭子「まーまー、そう身構えなさんなってぇ」
赤銅圭子「雪乃は別に、あっすーを取って食おうってわけじゃないんよ? 大丈夫、雪乃はあたしと違って真人間よん」
赤銅圭子「しょーじきに言っちゃいなよ 「殺してないけど自信ありません、私の死体は知らない人です〜」つってさぁ」
浅葱明日香「な、んで、それをっ・・・!?」
赤銅圭子「バレバレよん、その話ぶりぃ。 語尾、表情、仕草・・・ 全部出てるって〜!!」
浅葱明日香「っ・・・!!」
ただの変な人というのはどうやら間違いのようだった。
もう観念するしかないと、明日香は小さく息を吐いた。
どの道もう1人では抱えきれない問題になっている今、話をするなら雪乃が適任なのだろう。
月白雪乃「ゆっくりで、いいからね」
昨晩と同じようにそっと両手を包んでくれる雪乃の手は、ほんのり温かかった。
その温もりが、明日香の背中を押した。
〇血まみれの部屋
ようやく就職が決まり、報告するために一度家に立ち寄った後に孤児院へ向かったこと。
孤児院へ行ったら普段とは違って静かで部屋も暗かったこと。
部屋に入ったら辺りには血が飛び散っていて家族がみんな死んでしまっていたこと。
そこに知らない死体がひとつあり
それが自分と同じ顔をしていたこと
気が付いたら自分が包丁を握っていて
その包丁が人を刺し殺す感触を
『思い出した』ということ──。
ひとつひとつ、明日香は言葉を紡いでいった。
〇レトロ喫茶
月白雪乃「・・・はい、これ、使って」
差し出されたのは綺麗にアイロンのかかったハンカチ。
浅葱明日香「え、あ・・・私・・・」
明日香はその時初めて、自分が涙を流していることに気が付いた。
浅葱明日香「あれ、おかしいな・・・ はは、昨日は大丈夫だったのに・・・」
月白雪乃「無理もないと思うよ。 辛かったよね、よく頑張ったね」
月白雪乃「話してくれて、ありがとう」
口に出すことで、昨日の悪夢が現実のことであだだという事実が、明日香の弱りきった心に改めて突き刺さった。
戸惑い、恐怖、怒り、嫌悪、悲しみ、悔しさ
あらゆる感情が溢れ出し頬を濡らす。
明日香は雪乃の優しさに甘えることにし、
ハンカチに顔を埋めると声を押し殺して泣いた。
そっと明日香の頭を撫でると、雪乃は通路でソワソワとしている圭子へと向き直り口を開く。
月白雪乃「圭、どう?」
シンプルな問いかけ。
しかし、圭子には十分だ。
赤銅圭子「んー、問題は3つだなぁ。 誰が殺したか、『死体あっすー』が誰なのか、殺した記憶は本物か、ってとこかに」
赤銅圭子「誰が殺したかについては4通りだねぇ。 あっすーか、『死体あっすー』か、孤児院の誰かか、犯人Xか」
赤銅圭子「『死体あっすー』はもしやドッペルゲンガー!? まぁでも、単純に考えて3通り、 双子かテラによる能力説か異形かが無難かな」
赤銅圭子「んでもって殺した記憶な!! これも3通りぃ あっすー本人の記憶か、誰かの記憶か、はたまたただの幻かぁ〜ってな!!」
赤銅圭子「ざっと考えても36通りはありますわよ、月白班長ぉ さらに、犯人Xなんて無限通りだし、記憶が幻としてもまた謎は増えるね!!」
赤銅圭子「たーいへんだこりゃあ!!」
月白雪乃「それで、圭。 あなたの見立ては?」
赤銅圭子「わかんない!!」
月白雪乃「そう、ありがとう」
ぼんやりと話を聞きながら、明日香はようやく、ゆっくりと自分の置かれた状況を冷静に整理することができるようになってきた。
この状況で最初に出会ったのが雪乃であったことは唯一の救いだろうと明日香は思った。
どうしたらいいかなんて、わからない。
何をすべきかはおろか、どうしたいかも、
何もかもがわからない。
昨日出会ったばかりだが、立ち居振る舞いや言葉遣いやその視線から、雪乃は信頼できる人物であると素直に思うことができた。
だから明日香は、雪乃の次の言葉を待つ。
月白雪乃「・・・・・・」
月白雪乃「うん、決めた」
月白雪乃「明日香ちゃん。 遊撃部隊第13班、私の班に入って一緒に捜査しませんか?」
浅葱明日香「えっ!?」
しばらく目を閉じて何かを考えていた雪乃の口から飛び出した提案に、明日香は完全に意表を突かれた形となった。
赤銅圭子「公安隊の遊撃部隊は、部隊なんて名ばかりの、問題隊員達を飼い殺すためだけの追いやり部署だからねぇ いつでも人手不足なんさぁ」
赤銅圭子「そんなあたしも、雪乃の隊の隊員よん」
月白雪乃「遊撃部隊の各隊は、公安隊の正規隊員である隊長1人と、あとは隊長の裁量で勝手に班員を集めて構成するの」
赤銅圭子「捨て駒の遊撃部隊なんかに、正規隊員はいらんってことさね。 だから各班には腕に自信のあるロクデナシが揃ってるんだぜぃ」
月白雪乃「圭、言い方」
浅葱明日香「で、でも私、喧嘩もしたことないし、 それに・・・」
赤銅圭子「んじゃ死ぬかい?」
月白雪乃「圭!!」
ケラケラと笑う圭子だが、その目の奥の真意が全く読み取れず、明日香は思わずたじろいだ。
赤銅圭子「どうせ『浅葱明日香』は世間的にはもう死んでる。 今からノコノコ出ていったって、プラスになることなんてほとんどないねぇ」
赤銅圭子「良くて逮捕、悪くてその場で刑執行。 雪乃の隊に入らなかったら、遅かれ早かれ そーなるのは目に見えてるっしょ」
月白雪乃「圭、やめなさい」
浅葱明日香「いえ、その、私こそ・・・ すみません・・・」
月白雪乃「ううん、今のは圭が悪い。 ごめんね、明日香ちゃん。 急な話で驚いたと思うけど、聞いてくれる?」
そう言うと、雪乃は突然、明日香に向かって深々と頭を下げた。
月白雪乃「まずは、ごめんなさい」
浅葱明日香「え?」
月白雪乃「私、あなたと初めて出会った時、口では優しいこと色々言いながらね、裏でこっそり私が使役してる異形を使ってたの」
異形。
それは、空間に裂け目ができたのと同じ頃に出現し始めた、テラが生き物の形をとったエネルギー体のようなものだ。
それは地球上の生き物の形を模しているようなものから空想上の化け物のような形まで様々なものがいる。
人類はテラを練出して鎖を作り、それを使って異形を捕獲することでその異形を使役する術を生み出したのである。
異形を使役することで人間はテラの練出精度が向上し自然に干渉する能力が向上するほか、テラの貯蔵量も飛躍的に向上できる。
そして何より、鎖を通じて、ある程度の感覚を共有することができるのである。
月白雪乃「怯える明日香ちゃんを宥めながら、こっそり異形を使って明日香ちゃんの持ち物や心拍数を調べてた」
月白雪乃「危ないものを持っていないか、嘘をついていないか、異形ではないか・・・って」
浅葱明日香「うわっ!!」
突然、雪乃の腕に巻き付いた白いヘビのような生き物が姿を現した。
よく見ると目らしきものが見当たらず、表裏もわからない。
月白雪乃「この子が、私の使役してる異形」
月白雪乃「裏でコソコソと・・・ 本当にごめんなさい」
もう一度、深く頭を下げる雪乃。
なんて誠実な人なんだろう、と明日香は思った。
明日香は雪乃からの告白を聞いて、むしろ胸につっかえていた違和感が拭い去られるのを感じていた。
浅葱明日香「・・・いえ、最初に話してくれて、ありがとうございます」
浅葱明日香「なんかずっと、なんでこの人はこんなに私の話を全部信じるんだろうって、逆にちょっと不安だったんです」
浅葱明日香「でも今、スッキリしました。 ちゃんと、吟味してくれていたんですね」
明日香の言葉に、雪乃もホッとしたように表情を緩めた。
月白雪乃「私ね、明日香ちゃんが言っていた、「全てを知ってから死んでも遅くない」って言葉にすごく納得したの」
月白雪乃「私も、知りたくてずっと追いかけてるものがあるから・・・」
月白雪乃「実は明日香ちゃんの事件は、私の追いかけてるものと少しは関係してるかも知れなくて」
月白雪乃「だから、純粋な善意なんかじゃない、私の都合と打算の混ざった提案なんだ。 ねぇ明日香ちゃん。 私に力を貸してくれないかな」
月白雪乃「危険は何もない、とは言えない。 でも、班長として、班員のことは全力で守る」
月白雪乃「明日香ちゃん。 公安隊遊撃部隊第13班、月白班に来て。 一緒に真実を追いかけましょう!!」
浅葱明日香「・・・はいっ!!」
浅葱明日香「その、よろしくお願いします」
月白雪乃「ありがとう!! 改めまして、公安隊遊撃部隊13班班長の、 月白雪乃です。 よろしくね、明日香ちゃん!!」
赤銅圭子「シュッ!!」
浅葱明日香「ひっ!!」
赤銅圭子「ひっ、とはなんだねあっすーよ」
赤銅圭子「コホン」
赤銅圭子「私は若き”超”天才練能力者、赤銅圭子だ!! サインが欲しいなら色紙を持って来なぁ!!」
赤銅圭子「よろしくねん」
〇シックなバー
藤哲治「お話は終わったかい? こっちへおいで、君達の話が長引きそうだったから、ケーキを焼いていたんだ」
藤哲治「コーヒーのおかわりも、淹れてあげようね」
赤銅圭子「やったーラッキー!!」
月白雪乃「藤さんはここのマスターで、うちの班の協力者なの。 このお店を事務所兼情報収集場所として使わせてくれてるんだ」
赤銅圭子「んでもって作るものが全部美味なり」
月白雪乃「明日香ちゃんの住む場所が用意できるまでは、ここの二階の空き部屋を使わせてもらうといいよ」
浅葱明日香「何から何まで、ありがとうございます」
月白雪乃「遊撃部隊の班員への登録は明日本部でしてくるね。 微々たるものだけど、ちゃんと報酬も出るようにするから」
赤銅圭子「安心しな、本部の連中は遊撃部隊の班員に興味なんてないし、働けるなら誰でもいいとさえ思ってるから!!」
赤銅圭子「どんなやべーやつでも、むしろ公安の目の届く範囲に入るならよしって感じで色々とお目溢しもあるので!!」
月白雪乃「私もちゃんとついているからね」
浅葱明日香「はい、ありがとうございます!!」
昨夜からいろいろなことがあった。
明日香はようやく、少し上手に息ができるような心持ちとなった。
惨劇の真実を追いかけてから、死ぬ。
それは、絶望の底に居た明日香が掴んだ、一筋の細い光だった。
公安の遊撃部隊...どんな敵と対峙するのか、ドキドキです!