糠星に聖なる願いを

眞石ユキヒロ

渡したいバナナ(前編)(脚本)

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〇神殿の門
  六月五日。ツカサの誕生日前日。
  アスタリスクに人語を解する馬が現れた。
キャロルアスター「スペース兄ちゃんは!? スペース兄ちゃんどこ!?」
  アスタリスクの玄関は十二畳ほどで、人間にとっては充分な広さがある。
  しかし馬の巨体にとってはそうではない。
  真ん中をぐるぐる回られるだけで、玄関に人間の通り道はなくなる。
見藤祐護(せめて、外に出てもらわないと・・・・・・)
  両開きの玄関ドアと、首から提げたアガパンサスの鍵に意識を向ける。
見藤祐護「・・・・・・!?」
  『開け』という命令がツカサの手のひらに塞がれた。
三ツ森ツカサ「ダメ。急に光ったら馬が驚いて最悪俺らが死ぬことになる。 赤い光で驚かなかったのは運が良かっただけだと思って」
三ツ森ツカサ「部屋の窓から外に出て、森の側から手動で玄関ドアを開こうぜ」
  ツカサの汗ばんだ手が俺の手首を掴んで優しく引く。
  俺は言いようのない気持ちを抱いて、導かれるまま部屋の窓から外へ出た。

〇けもの道
三ツ森ツカサ「いいか祐護さん。大声や大きな音や強い光は絶対にダメ。 後ろから近づくのも絶対にダメ」
三ツ森ツカサ「馬を安心させるように穏やかに、な!」
  ツカサは足取りも軽く、弾む声で馬の話ばかりしている。
見藤祐護(さっきまでツカサの誕生日プレゼントは何がいいかって考えてたけど。 馬を一頭あげたら喜ぶんじゃないかな、これは)
見藤祐護(まぁ、さすがにそんなことはしないけど。 ・・・・・・生き物を飼うのは大変だってあの人も言ってたしな)

〇森の中
  アスタリスクの玄関ドアには「Asterisk」と書かれたプレートが吊されている。
  俺とツカサは二手に分かれてそれぞれドアノブを力一杯引っ張った。
キャロルアスター「スペース兄ちゃん、そっち!?」
  指示するまでもなく、馬は蹄を鳴らしてムクロジの森へ飛び出した。
  馬の尻が森の奥に消えていくのを確認してから、ツカサがすうっと大きく息を吸った。
三ツ森ツカサ「馬!実物はじめて見たんだけど! めっちゃかっこいい!乗ってみたい!」
  ツカサの瞳が、永遠の夜の中でキラキラ輝いている。
見藤祐護(なんか、俺のことを語るときよりまぶしくないか?)
  少し面白くない、けれど。
見藤祐護(動物園とか行ったら、もっと喜ぶんだろうな・・・・・・)
  ツカサと行く、元の世界の施設を夢想する。
  動物園の景色はひどく曖昧だけれど、隣を歩くツカサの笑顔だけははっきりと想像できた。
見藤祐護(二人で色んな場所に行けたら、もっと楽しいのかもな)

〇森の中
  ムクロジの森を巡回してきた馬は今、水の入ったバケツを前に座っている。
  俺とツカサは馬の前に並んでかがんだ。
キャロルアスター「おれはキャロルアスターっていうの。スペース兄ちゃんからはアスターってよばれてる」
キャロルアスター「スペース兄ちゃんはキャロルスペースっていうの。 ジューショー勝ってるけど、しらない?」
  アスターはツカサが持ち上げたバケツに口を突っ込んで、ごくごくと水を飲んだ。
  最初に要求されたのはビールだった。
  馬の体はアルコールの分解が早いらしいが、未成年のツカサの前で出すのは気が引ける。
見藤祐護「ジューショーって何?」
三ツ森ツカサ「重い賞。競馬の特別な競争のこと」
  ツカサがバケツをおろして、苦々しげに説明する。
  ツカサは動物が好きだが、金銭の関わることは苦手だ。恐怖していると言った方が正しいかもしれない。
見藤祐護「わかったよ、ありがとう」
  努めて微笑むと、ツカサがぎこちない微笑みを返した。
キャロルアスター「ねぇ、このおうちに、スペース兄ちゃんいないの!?」
見藤祐護「馬のお客さんはアスターが初めてだよ」
キャロルアスター「本当に!?兄ちゃん、どこに行ったんだよ。 こないだ急に出てきて、一緒に走ったのに・・・・・・」
キャロルアスター「走ってたらまた出てきてくれるかも! おれ、もう一回兄ちゃん探してくる!」
  アスターはムクロジの森へ再び消えた。
  俺は震えるツカサの背に手を置いて、いたわるようにゆっくりとなでた。
  素早さを伴う轟音が遠くで翻ってこちらに駆けてくる。
キャロルアスター「バナナちょうだい!スペース兄ちゃん、バナナ好きなんだ! バナナがないからおれの前に出てこないのかも!?」
三ツ森ツカサ「ははっ、祐護さん知ってるか?馬って甘いものが好きなんだぜ」
見藤祐護(ツカサ、そこで笑顔になるんだ・・・・・・)
見藤祐護「じゃあツカサはアスターの相手しててよ。 俺はバナナ取ってくるから」

〇L字キッチン
  黒板に書いたとおりにキッチンテーブル上に現れたバナナを一房持ち上げる。
見藤祐護(ここに来た馬はアスターが初めてだけど、今はそれを言い聞かせるより、好きにやらせた方が良さそうだ)
見藤祐護(というか、俺たちではアスターを止められそうにないというか・・・・・・)
見藤祐護(アスター、絶望しているようには全然見えないよな。 ごくまれにテンションの高い人がやってくることはあるけど・・・・・・)
見藤祐護(そういう人は決まって、疲れて壊れたって感じなんだよな。 ここで何日か休んだら、冷静になって帰っていく)
見藤祐護(スペースを探すアスターはものすごく力強い。 疲れて壊れたなんて風には見えない)

〇森の中
  寝転ぶアスターの首に抱きつくツカサから、多幸感すら感じる。
見藤祐護(俺もアスターを見た時、馬って綺麗だなぁとは思ったけど。 ツカサのこれは本物だよな・・・・・・)
キャロルアスター「ツカサ、なでるの気持ちいい!もっとやって!」
三ツ森ツカサ「こうか?こうか?」
キャロルアスター「きゃは~!」
見藤祐護「お取り込み中のところ申し訳ないけど。 アスター、バナナ持ってきたから。はい」
  アスターの斜め前から近づき、かがんでバナナの房を口の前に差し出す。
  バナナを見たアスターの尻尾が高く持ち上がった。
キャロルアスター「よーし!兄ちゃん!待ってろよ~! ツカサ!あとで兄ちゃんのこともなでてくれよな!」
  ツカサがアスターの首から離れて大きく手を振る。
  アスターはバナナをくわえて勢いよく森の奥へ消えた。
見藤祐護「ツカサは本当に動物が好きなんだな」
三ツ森ツカサ「別に、ただいちゃついてただけじゃないぜ。 スペースとどんな関係だったのかとか聞いてたんだよ」
三ツ森ツカサ「併走って訓練で、常にいっしょに走ってたとか、同じ飼葉を二人で分け合ったとか」
三ツ森ツカサ「部屋が隣とか、ずっと一緒にいたいとか。 そんな相手が、2ヶ月くらい前から急に隣の部屋にも訓練にも現れなくなったって」
三ツ森ツカサ「・・・・・・他人事だと思えないよ」
  ツカサの潤んだ瞳が俺を見上げて、微笑みかけてきた。
見藤祐護「・・・・・・そうだね」
  意地の悪い発言もできないくらい、切なさの籠もった泣きそうな笑顔だった。
三ツ森ツカサ「祐護さん、なでて」
  素直に要求に従い、ツカサの頭を撫でる。
  ツカサの笑みに、純粋な喜びが混じっていく。
三ツ森ツカサ「ありがと、もっと好きになった」
  誰がとも何がとも聞かず、そのまっすぐな好意を受け止めた。

〇L字キッチン
  アスターの帰りを待つ間にツカサが紅茶を淹れる。
三ツ森ツカサ「アスターがリンゴ好きだっていうから、今日はリンゴの香りな」
  俺はツカサの隣で、リンゴのうさぎを作っていく。
見藤祐護(ここに来た頃は包丁を見ただけで泣いてたんだよな、俺・・・・・・。 あの頃はなんでか、包丁がすごく怖かった)
見藤祐護(ツカサを盗み見ながら包丁を扱えるようになったのも、成長なんだろうか)
  ティーポットの蓋を閉めたツカサと目が合った。
見藤祐護「いつっ!」
  手元をおろそかにして、親指を切る。
三ツ森ツカサ「何やってんの祐護さん!?」
見藤祐護(ツカサを盗み見てたらこうなったとか絶対言いたくないんだけど・・・・・・)
三ツ森ツカサ「指、なめてあげるから包丁置いて!」
見藤祐護「何言ってるんだよ!?」
三ツ森ツカサ「そーゆー恋愛漫画が書斎にあったから参考にした!」
見藤祐護「それ、未成年が見ていいやつなの!?」
  傷ついた指をツカサに任せるのが恐ろしくて、自分でバンドエイドを貼った。
見藤祐護(先月の『少しずつもらっていく』といい、ツカサが自分のわからない方向に成長している)
見藤祐護(これは・・・・・・止めるべきなのか?)

〇森の中
  ティーセットとリンゴを持って外に出ると、息を乱したアスターが寝転がっていた。
  その足下には唾液にまみれたバナナの房部分が転がっている。
キャロルアスター「いろんなところにバナナを置いてきたんだ。 これで兄ちゃんも出てくるよ!」
見藤祐護「アスター、さっきも言ったけど、ここに馬のお客さんは・・・・・・」
キャロルアスター「こないだいっしょに走ってたんだもん!」
キャロルアスター「ダービー、嫌だけど走ってたら、兄ちゃんが急に出てきて! 兄ちゃんと走れるのが嬉しくって、兄ちゃんを追いかけて・・・・・・」
キャロルアスター「追い越せなくって、それなのに一着って言われて、布かけられて」
キャロルアスター「兄ちゃん、どうしちゃったんだろ・・・・・・。 おれがもっと本気で走ったら、また兄ちゃんが出てきてくれるのかな!?」
キャロルアスター「隣の部屋に兄ちゃんが帰ってくるのかな!? 今までみたいに一緒にへーソーしてくれるのかな!?」
キャロルアスター「あいたいよぉ!兄ちゃん!!」
  ツカサが両膝をついて、アスターの首に抱きついて撫でた。
三ツ森ツカサ「今日はもう考えなくていいから。 ・・・・・・俺らのリンゴも全部あげるから」

〇L字キッチン
  ティーセットを片付けて、どちらからともなくキッチンテーブルについた。
三ツ森ツカサ「アスターの話を聞いて、動物のエピソード本で読んだ話を思い出したんだ」
三ツ森ツカサ「『ある競走馬と仲の良い馬が亡くなった。 その直後の重賞で、その競走馬は亡くなった馬とよく似た走りで勝った』」
三ツ森ツカサ「『関係者曰く、亡くなった馬が最後の併走にやってきて、競走馬はそれを追いかけたのではないか』」
三ツ森ツカサ「現実離れした話かもしれないけど、それこそアスタリスクだって現実離れしてるのに実在するからな」
三ツ森ツカサ「・・・・・・なぁ、祐護さん。アスターはずっとここにいても良いんじゃないかな?」
見藤祐護(ツカサの気持ちはわかる。けれど、まだ死んだと断言できる情報はない)
見藤祐護(それに、アスターは・・・・・・あんなにもスペースを求めている)
見藤祐護(スペースともう会えないかもしれない絶望と、スペースと会えるかもしれない希望を、両方しっかり抱えている)
見藤祐護「俺は、元の場所でスペースを探した方がいいと思う」
見藤祐護(自分はあの人を探そうとしなかったくせに、アスターの希望に賭けてみたいと思っている)
見藤祐護(俺が探したら、あの人は喜んでくれたかな・・・・・・)
  ツカサが俄に席を立った。
見藤祐護「ご飯にしない?」
三ツ森ツカサ「ちょっと今、食欲ない」
  ツカサらしくない素っ気なさに、止めることがためらわれた。

〇屋敷の書斎
  覇気のないツカサに競走馬のことを聞く訳にもいかず、書斎を当たる。
見藤祐護(『日本ダービー(東京優駿)は東京競馬場で開催される重賞。』 競馬場にスペースが住んでいるとかはないのかな・・・・・・)
見藤祐護(この本、ツカサがさっき言ってたヤツだな。 『あいつらは本当の姉妹みたいだった。』って、勝手にオス同士だと思ってた)
見藤祐護(ロマンチックな話だな。・・・・・・少し、うらやましい)
  考えを巡らせながらあれやこれやと手をつけるが、スペースの件をはっきりさせる記述はなかった。
見藤祐護(いっそ黒板に『キャロルスペースをムクロジの森に出せ』とでも書くか・・・・・・?)
見藤祐護(本当に取り寄せられたら、それこそどうしていいかわからない。 馬主さんだって困るだろう)
キャロルアスター「ツカサ!ツーカーサー!」
  二つドアを隔てた向こうからアスターの呼ぶ声がした。
  ツカサを呼びに行くか迷っている間に、次の命令が飛んできた。
キャロルアスター「おれをダービーにつれていって!」

次のエピソード:渡したいバナナ(後編)

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