糠星に聖なる願いを

眞石ユキヒロ

勇気味のココア(後編)(脚本)

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眞石ユキヒロ

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〇黒
見藤祐護(あの人がいなくなったのは、俺がここに迷い込んだ理由を話した直後だった)
見藤祐護(何年も考えた末にようやく打ち明ける決心をしたのだけれど、何の意味があったのだろう)
見藤祐護(あの人が最後に淹れてくれた紅茶を飲みながら確信したことがある)
見藤祐護(俺の大切な人は絶対にどこかへ消えてしまう)
見藤祐護(それでも誰も好きにならないなんてできなかったんだ)

〇コンサート会場
  目が覚めると白星にのぞき込まれていた。
美郷白星「私に寝るとこ譲ってくれてたんだ……」
美郷白星「ありがとう、ゆーごさん」
  起き上がって目を擦る。
  今すぐこの場を離れたかった。
見藤祐護「白星、何か飲みたいものある? 何でも頼んで良いよ」
美郷白星「……ココアもいいの?」
見藤祐護「いいよ」

〇L字キッチン
  冷蔵庫の中にココアパウダーはない。
見藤祐護「白星はここで冷蔵庫の中を見ててね」
  首をかしげる白星を置いて、俺は自室に向かった。

〇ダブルベッドの部屋
  ベッドサイドの時計は午前五時を指していた。
見藤祐護(この時間じゃツカサはまだ起きてこないよな)
  部屋の隅のカーペットをめくり、床板を外し、隠し階段を降りる。

〇地下室
  隠し階段の両脇にはランプが等間隔に並んでおり、俺が進む先には勝手に明かりが灯る。
  これは首から下げた鍵―――アガパンサスの鍵とあの人は呼んでいた―――の影響らしい。
見藤祐護(あの人が鍵の所有者だった時に、俺は一人でここに来て、結局暗闇を引き返したな)
見藤祐護(あの人は俺を迎えに来て、「僕を頼りなさいよ」って抱え上げてくれた)
見藤祐護(嬉しかったくせに「何するのも俺の勝手だろ」って反発したな、あのときの俺)
  階段を降りた先には、最低限の明かりと巨大な黒板だけが存在する殺風景な部屋がある。
見藤祐護(ここに書いたものはアスタリスクに届いたり設置されたりする。)
  チョークを手に取り、黒板に『冷蔵庫にココアパウダー』と記入する。
見藤祐護(外のムクロジは俺があの人に頼んだモノだったな)

〇L字キッチン
美郷白星「ゆーごさん!いきなり! ココアがいきなり!冷蔵庫に!出てきたの!」
見藤祐護「初めて見たときは俺も驚いたよ」
美郷白星「どうやったの!?」
見藤祐護「内緒」

〇高い屋上
  二人分のココアを持って屋上に出た。
  青黒い空には架空の星座が浮かんでいる。
  正面には物干し台が並んでおり、両脇には花壇を備えていた。
  花壇に腰掛け、白星を隣に招き、ココアを渡す。
美郷白星「ココア、やっぱりおいしいな。 甘いもの、自由に飲めるって良いね」
美郷白星「昨日パパがね、塩の飴くれたの。でも、それをママが怒っちゃって……」
美郷白星「ママ、甘いものはダメってパパと喧嘩して、それで……えっと……」
  焦る白星の背をゆっくり撫でる。
見藤祐護「白星、ゆっくりで良い。 ゆっくり、本当のことを話してくれ」
  静かな時間だった。
三ツ森ツカサ「俺抜きでか!」
  階段室のドアが勢いよく開かなければ。
見藤祐護「ドアは静かに開けなよ」
三ツ森ツカサ「ひどいだろ!俺は一緒に寝ちゃダメなのにそいつは自分のベッドに寝かすとか!」
三ツ森ツカサ「っていうか二人で屋上にいるってことは本当は二人で寝てたのか……? なら今日は三人で寝れば良いよな!?」
見藤祐護「ちょっと、いきなり出てきてめちゃくちゃなこと言わないでよ。 白星が驚くでしょ」
美郷白星「私は楽しいよ!」
見藤祐護「え、あ、そう、よかった。 ツカサの分のココア淹れてくるから待っててね」
三ツ森ツカサ「待てよ、俺も行くから!」

〇L字キッチン
  牛乳を火にかける俺の横で、長い指をワークトップの端に引っかけたツカサがしゃがんでいる。
見藤祐護「言っておくけど、白星と一緒に寝たわけじゃないよ」
三ツ森ツカサ「なんだよその余裕、むかつく」
見藤祐護「別に、余裕とかじゃ……ひゃっ!」
  ワークトップからツカサの指が離れたと思ったら、首筋が急に冷たくなった。
三ツ森ツカサ「俺の指、冷たくて気持ちいいだろ。 冷えてたんだぜ、一人で」
  人差し指で何度もうなじをなぞられて、喉の奥からむずがゆさが這い上がってくる。
  鍋の中では牛乳がぐつぐつと煮えている。
見藤祐護「あ、熱々の牛乳ぶっかけられたくなかったら離れてよね!」
三ツ森ツカサ「嫌だ。一緒に寝れない分、ここでぶつけてやる!」
  首筋をなぞる指が二本に増える。
見藤祐護「今、火ぃ使ってるんだってば!っひゃ!やめ……!」
美郷白星「ゆーごさんとつかささん、喧嘩してるの?」
  ひゅっと、乾いた息が喉を通り抜けた。
  書斎に続くドアが開いていて、白星が立っている。
美郷白星「あっ!お鍋!アワアワこぼれちゃってるよ!」
  吹きこぼれることで空気を変えてくれてありがとう、牛乳。
  ……飲み物を粗末にしてごめんなさい。

〇高い屋上
美郷白星「喧嘩してないんだね、良かった! 私のせいだったらどうしようかなって」
見藤祐護「白星のせいで喧嘩するなんてないから、心配しないで」
美郷白星「ゆーごさんは優しいね。 ……パパとママもそうだったら良いのに」
  白星が二杯目のココアに視線を落とした。
  物干し台の傍らに立つツカサが白星に向けて自分のマグカップを突き出す。
三ツ森ツカサ「両親の喧嘩、お前が自分で止めれば良いんじゃないか」
美郷白星「どうやって?……わかんないよ」
三ツ森ツカサ「まず聞くけど、お前って両親に喧嘩やめろって言ったこと、ある?」
  白星が黙ったまま首を横に振った。
三ツ森ツカサ「祐護さん、書斎にあの絵本、ずっと置いてあるよな」
  話を振られはしたが、ツカサ主導で勝手に展開していく話について行けていない。
見藤祐護「ちょっと待って、何の話」
三ツ森ツカサ「九年前に舞台で一緒に読んだじゃん。 俺は子供役で・・・・・・」
見藤祐護「ああ、あれか。あの書斎にずっと置いてあるのか? ……確かに白星には必要かもね」
見藤祐護(ここに来た頃のツカサに、性格がちょっと似てるし)
美郷白星「ねぇ、なにするの?」
見藤祐護「読み合わせ。でもその前にご飯、かな」
美郷白星「お魚を食べるんだよね!私、ハマチが良い!」
見藤祐護「マグロとかサケじゃないんだ」
美郷白星「あと、お風呂入りたい……」
見藤祐護「ツカサ、お風呂用意しといて」
三ツ森ツカサ「用意したらどういうご褒美があるんだよ」
見藤祐護「朝食だね」

〇コンサート会場
  アスタリスクの書斎はあの人が作ったモノだ。
  蔵書はその時の利用者に必要なモノに変化し続けている。
  例外もある。俺があの人に一番最初に渡された本はずっと定位置に存在し、俺はいつでも手に取ることができる。
  件の絵本はツカサがさっくりと入手した。
見藤祐護(ツカサ、どれだけあの本が必要だったんだよ……)
  ソファに座り絵本を膝に置く白星の前に、ツカサが仁王立ちしている。
三ツ森ツカサ「この絵本はな、自分の意見をはっきり言えなかった俺に祐護さんが選んでくれたモノなんだ」
三ツ森ツカサ「だからお前は良くて後輩。そこはしっかり認識しておけ」
見藤祐護(なにそれ、ちょっと、白星にそんなこと言うなよ。恥ずかしいんだけど)
美郷白星「後輩。学校だね!」
  恥ずかしい話があらぬ方向に脱線する前に指揮を執らないと。
見藤祐護「白星は主人公の女の子、俺は妖精役、ツカサは両親役」
三ツ森ツカサ「祐護さんは妖精と母親の兼ね役でよくね? 俺と夫婦でよくね?」
見藤祐護「い、いいから、ツカサは両親役、ね!」
美郷白星「ね、ねぇ、この絵本の子って、弟とかいないの?」
三ツ森ツカサ「いないぞ」
  白星がうつむいて絵本の両端をぎゅっと握る。
  俺は白星の左隣に座って、その手に右手を重ねた。
見藤祐護「いてほしいんだ」
  白星が潤んだ瞳で俺を睨んだ。
美郷白星「いるよ、勝利は私の弟なんだよ。 でもパパは俺の子じゃないって……」
美郷白星「勝利、大きい声で泣いてて……。私、怖くなって、それで……」
  泣き付いてきた白星をそっと抱きしめる。
  ツカサに聞こえないように、白星に耳打ちする。
見藤祐護「白星、これはツカサには内緒なんだけど。 ……俺はもう二度と家族に会えないんだ」
見藤祐護「白星は絶対に家族に会って、弟のことを守ろう?」
  腕の中の白星が頷いた。
  白星を抱え上げて、舞台の脇の階段を上る。

〇コンサート会場
  俺のあとをついて舞台に上ったツカサと向き合い、白星をおろす。
  白星が開いた絵本にあるのは、妖精のセリフだけだ。
  困り顔の女の子の絵には吹き出しがついているけれど、セリフは一切存在しない。
見藤祐護「『君は誰に何を思ってるのかな?』」
  俺はしゃがんで白星に笑いかける。
  白星が細々とした声でしゃべり出す。
美郷白星「ママとパパに、喧嘩しないでって……。 勝利は私の弟だよって……」
  白星がページをめくる。
  女の子は眉根を寄せて腕を組んでいる。
  絵本を持ってやると、白星も同じように腕を組んだ。
見藤祐護「『どうしてそう思うの?』」
美郷白星「えっと……ママもパパも、笑顔がいいから。 勝利は……勝利は私のあとに生まれたから私の弟なんだもん……」
  ページをめくると女の子の両親が登場した。
  両親も女の子と同様に、吹き出しはあるけれどセリフは設定されていない。
  ツカサは顎に手を当てて難しい顔をしていた。
見藤祐護「『思ったことを一つずつ言ってごらん?』」
  白星のこわばった横顔がツカサを見上げる。
美郷白星「あのね、私、パパとママに喧嘩してほしくない」
  俺もツカサを見上げる。
  ツカサは一瞬、俺を見て嗜虐的な笑みを見せた。
三ツ森ツカサ「喧嘩するのは俺らの自由だろ?」
見藤祐護「『君が思った理由を話して』」
美郷白星「……ママもパパも、笑顔がいいもん」
三ツ森ツカサ「嘘の笑顔だったら?」
見藤祐護「白星の性格を考えれば、そんな歪んだ両親のわけないだろ」
三ツ森ツカサ「わかったよ。 ほら、もう一つ言ってみろ。さっき言ってただろ」
  白星が洋服の裾をぎゅっと握って、ツカサをにらみつけた。
美郷白星「パパとママ、そんなに意地悪じゃないよ!」
  思わず吹き出してしまった。
三ツ森ツカサ「祐護さんを見習って一所懸命意地悪になった甲斐があったな」
見藤祐護「俺ってここまで意地が悪いか?」
三ツ森ツカサ「胸に手を当ててよ~く考えてみてくれよな!」
三ツ森ツカサ「まぁいい、次だ次。もっと言いたいことあるだろ」
  白星が大きく息を吸う。
美郷白星「勝利は!私の弟だよ!」
  落ち着いたところのある白星から発されたとは思えない大声が舞台に響いた。
見藤祐護「ご両親ちょっと驚いちゃうかもね。 もっと落ち着いて話そう。ココア淹れてあげるから」
  急いでキッチンに向かう。
  白星に振る舞うココアはきっとこれが最後だ。

〇コンサート会場
  ココアをこぼさないようにゆっくりと舞台に上がる。
見藤祐護「白星、ココアの前に一つだけ聞いてくれ」
見藤祐護「今日教えた『君が誰に何を思っているか』『なぜそう思うのか』を時々考えてほしい」
見藤祐護「そうすれば、この先何があってもきっと、君はここに迷い込まずにすむから」
美郷白星「なんで?」
見藤祐護「君は俺やツカサよりも、よっぽど心が強いから」
  淹れてきたココアを白星に差し出す。
美郷白星「うーん、わかんないけど、わかった。 ココアを飲む時、思い出すね!」
見藤祐護「もうちょっと練習したら玄関に行こう。 きっと君は帰れるから」
美郷白星「うん!頑張るね!」

〇神殿の門
  ココアパウダーを抱えた白星が玄関に踏み出すと、玄関ドアの宝石は予想通りに青い光を放った。
  青い光は来客の絶望が癒えた証だ。
美郷白星「すごい、綺麗!」
  白星が一歩、また一歩と両開きのドアに近づく。
  ドアは自分から開いて、白星を出迎えた。
美郷白星「おうちだ!」
  ツカサが俺のシャツの背を握る。
  ドアの向こうは青く輝くばかりで、俺には視認不可能だ。
美郷白星「じゃあね!ゆーごさん、つかささん!」
  白星が俺たちを振り返って大きく手を振った。
  俺も負けじと振り返すと、白星が寂しげに笑ってドアの向こうに踏み出した。
  白星の気配が消える。
  青い光は消えて、いつも通りの暗い玄関に戻った。

〇ダブルベッドの部屋
見藤祐護(『五月三日、美鄕白星がアスタリスクから消えた。 彼女は帰るべき場所に帰る人間だった。』)
見藤祐護(『アスタリスクは元いた世界に居場所がないと絶望した人間が集まる場所。』)
見藤祐護(『俺もツカサも、あの年の頃にアスタリスクにやってきた。 ツカサは白星に優しくしないように努力していたようにみえる。』)
見藤祐護(『俺は大人ぶるだけで精一杯だった。』)
見藤祐護(『今日の紅茶:徹頭徹尾ココア』)

〇ダブルベッドの部屋
  電気を消して、ベッドに転がる。
見藤祐護(俺のこと、白星にちょっとだけ話しちゃったな)
見藤祐護(……ツカサにも言ってないくせに)
三ツ森ツカサ「祐護さん!お休み!」
  ドアが開いてツカサが部屋に入ってきた。
三ツ森ツカサ「なんだよ祐護さん。寂しいの?」
  俺のベッドの端に膝を乗っけてツカサが俺を覗き込む。
三ツ森ツカサ「今の祐護さん、初めて会ったときと似たような顔してんだけど」
見藤祐護「何それ」
三ツ森ツカサ「俺がいなくなったら死ぬ、みたいな」
  ツカサの手が俺の頭の横に置かれて、顔が近づいてくる。
三ツ森ツカサ「いなくならないよ。俺は祐護さんが一番だから」
見藤祐護「そう。おやすみ」
三ツ森ツカサ「目を閉じるってことはキス待ち? 許可してくれたら、するよ」
見藤祐護「……保留で」
三ツ森ツカサ「今は録音してないけど、言ったこと覚えておけよ。 じゃ、あらためておやすみ」
  ツカサがいなくなった部屋は静かで、いらない不安がどんどん押し寄せてくる。
見藤祐護(馬鹿だ。離したくないならもっと許せばいい。 離したいならもっと拒めばいい)
見藤祐護(……どっちつかずの臆病者だ、俺は)

次のエピソード:二人だけの世界

コメント

  • 淡々としているけれど温かみのある世界観がとても好きでした、面白かったです!
    主人公の詳しいバックボーンや、世界観設定などがまだ見えてこないので、あれこれ想像しながら読み進めるのが楽しいです。
    祐護とツカサの関係も瑞々しくて、やり取りから二人の心の機微が丁寧に感じられました。帰れない二人はこれからどうなっていくのか、続きが気になります。

  • 主人公たちが暮らす世界観が凄く独特で、非常に魅力的でした。セリフや文章にも情緒があり、世界観に浸れました。なにより、男の子二人の、つかず離れずという距離感がとても好きです! 作品全体に漂う、温かくも切ない雰囲気も好きでした。読後は、とても紅茶が飲みたくなります笑

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