エピソード(脚本)
〇男の子の一人部屋
昨夜は色々と考えてなかなか眠れず、明け方近くまで起きていた。
今朝だけは早起きして迎えたかったが、結局いつも通りの時間にスマートフォンの目覚まし時計に起こされる事になってしまった。
今日は、私にとってとても重要な日だ。
それを説明するには、時計の針を二年前に戻す必要がある。
〇教室
二年前
二年前の今日に当たる三月二日は、私が担任を努める一組の生徒を含めた三年生の卒業式だった。
滞りなく式が終り、校庭で一組の生徒と名残惜しい別れをした後、私は誰もいない夕陽が射す一組の教室に一人でいた。
最後方の席に座り、この一年間の出来事や生徒たちの顔を思い出す。
そうやって感傷に浸っていた私は、ふとある生徒の席に目をやっている自分に気づく。
東城あかね。
教師としてではなく一人の男として、彼女は私にとって特別な存在だった。
初めて彼女を見た時、スッとした切れ長の目からクールな印象を抱いた。
実際に接してみると、何事に対しても常に冷静に受け答えをする事がわかり、その印象が間違っていなかったことを知った。
いつも彼女の周囲には多くの友達がいて笑いが絶えなかったが、私の目には彼女は少し距離を置いてそれを見ているように思えた。
それは、友達を見下しているという感じではなく、集まった家族の会話を温かく見守るお祖母ちゃんのような感じに見えた。
それが、あかねの事が気になり始めたきっかけだった。
そして決定的だったのは、ある日の授業中の出来事だった。
私が口にしたオヤジギャグにクラス中の生徒が無反応な中で、あかねだけが目をカモメのような形にして、口元を隠して笑っていた。
私はそれを見た途端に、彼女の普段とのギャップにやられてしまった。
ここで断っておくが、私は惚れっぽい性質ではない。
その証拠に、当時、教師として三年のキャリアがあったが、それまでに一度として生徒を好きになったことはなかった。
生徒とは常に一定の距離を保つように心がけてきたし、自分を「私」と呼ぶことで年上の大人であることを生徒に印象づけてきた。
そんな私が、その時のあかねを見て一瞬で好きになってしまった。
それでも、私は教師だ。
そんなことはおくびにも出さないように気をつけていたし、実際にそれを悟る人間はいなかったと思う。
それでも、一度だけ私が理性を失いかけた瞬間があった。それは、五月にあった体育祭の時のことだ。
〇体育館裏
東城あかね「先生、これ食べて。みんなのやつから集めたものだから見映えは悪いですけど」
私がトイレから出るとあかねが待っていて、弁当箱を私の前に差し出した。
私「え?」
私は、状況がわからずに戸惑う。
東城あかね「先生、昨日の大雨のせいで、今朝は早くからグランド整備とかの準備をしてくださったんですよね」
私「泥まみれの東城さんは見たくないからねー」
私の軽口を、あかねはいつものニッコリ笑顔で受け流す。
東城あかね「きっと、お昼ご飯を用意する暇もなかったんじゃないかと思って」
私「東城さんが集めてくれたの?」
東城あかね「いいえ、みんなでそういう話になって自然に。残り物なので気にせずにどうぞ」
あかねがぐいと差し出した弁当箱を私は受け取った。
私「実はお腹ペコペコだったんだ。ありがたく頂きます。みんなにもお礼を伝えておいてください」
私がそう言うと、あかねは一礼して軽い足取りで去って行った。
もちろん、私はその弁当を有り難く頂いたのだが、その後、あかねの友達の木村さんから驚く事実を聞いた。
実は、私が食べた弁当は、みんなの残り物をかき集めたものではなく、あかねが早起きして作ってくれた物だというのだ。
木村さんによると、女子生徒が手作りしたと言って渡した弁当を受け取った先生が、
誤解されるような事にならないようにということで、みんなの寄せ集めと言うことにしようとあかねが考えたらしい。
そのために見た目もそう見えるように作ったらしかった。
〇階段の踊り場
体育祭の終了後、私はタイミングを見計らってあかねに声をかけた。
私「お弁当、ありがとう。助かったよ。これ、水で流しただけで申し訳ないけど」
東城あかね「大丈夫です。食べてもらえて良かったです」
あかねは、弁当箱を自分のバッグに入れていたが、その手がふと止まる。
東城あかね「あの・・・」
私「ん、どうした?」
東城あかね「寄せ集めじゃ美味しくなかったですよね?」
私「そんなことないよ。みんなの優しさが伝わってきて、とても美味しかった」
東城あかね「良かった・・・。みんなにもそう言っておきますね」
あかりは、そう言ってニコリとカモメの目で微笑んだ。
その瞬間、私は自分の立場も今いる場所も忘れ、ただ目の前にいるこの愛しい女性を抱き締めたい衝動に駆られた。
もし、あかねが一礼してすぐに去っていってなければ、きっと、そうしてしまったであろうと今思い出してもそう思う。
〇教室
そんなあかねが、今日限りでこの学校を去ってしまう。
体育祭以降、自分の感情を殺して過ごしてきた。
そんな日々も今日で終りということだ。
そう前向きに考えようとした時、教室の前のドアが開いて、あかねが入ってきた。
彼女は、私の姿を認めるとゆっくりと歩いてくる。
私は、戸惑いを隠して席を立った。
私「東城さん、卒業おめでとう」
東城あかね「先生、私は明日からこの学校の生徒ではなくなります」
私「そうだな、四月から晴れて大学生だ。 君は良くがんばって第一志望のー」
東城あかね「そうやってはぐらかさないでください! 最後くらいは真っ直ぐに目を見て、私の話を聞いてください」
私は衝撃を受けた。あかねは、私が教師の立場を守ろうと彼女を避けていた事に感づいていたのか。
私は、何も言い返せずにあかねの顔を見る。
東城あかね「先生、私、先生の事が好きです。 付き合ってください」
あかねの真剣な眼差しに吸い込まれそうになったが、首を大きく左右に振ってこらえる。
私「東城さん、あなたは大学生になって、これからあなたの世界はどんどん広がっていきます」
私「今までの狭い世界で知った冴えないオジサン教師ではなく、その世界の中で、あなたに相応しい人を見つけてください」
東城あかね「どうして自分を卑下するような言い方をして、はぐらかすんですか!? 先生の正直な気持ちを言ってください!」
これまで抑えてきた気持ちを、いまここで大声で叫びたい。
でも、あかねの事を想っているからこそ、それは出来なかった。
だが、目の前のあかねはこのまま引き下がりそうにもない。
私「二年後の今日にしましょう」
東城あかね「え?」
私「二十歳になった東城さんが、その時も私の事を好きでいてくれたら電話をください。番号はその日まで変えないでおきますから」
こんな大人のずるいやり方では引き下がってくれないかと思ったが、あかりはあっさりとその申し出を受け入れた。
東城あかね「わかりました」
〇学校の校舎
おそらく、私の立場を理解して引き下がってくれたのだと思うが、もし、今日彼女から電話があったら理由を聞いてみたいと思う。
二年後の今日は卒業式ではなく、三年生の担任でもない私は普通に授業をするために高校に出勤する。
あかりから電話がくることはきっとないだろう。
大学で新たに好きな人を見つけて楽しく過ごしているに違いない。
何かのきっかけで私を思い出すことはあっても、今日という日のことを覚えてさえいないのではないか。
私は、頭ではそう思いつつも、その日はスマートフォンを常にワイシャツのポケットに入れて持ち歩いた。
普段、教室に持って行くことはないが、その日はかかってきたら授業中だろうが何だろうが出るつもりでいた。
〇散らかった職員室
しかし、そんな私の努力も虚しく、電話がかかってくることはなかった。
一日の授業が全て終り、職員室で残務をしていても全くはかどらない。
電話などかかって来ないと覚悟していたくせに、いまだ私の中であかりの存在は思った以上に大きいようだった。
その時、スマートフォンがぶるぶると震えた。
あわてて画面を見ると知らない番号だ。
指を震わせて電話に出る。
私「もしもし!」
木村愛理(電話)「あ、先生、ごめんなさい。木村です」
私「木村・・・」
私は相手があかりでないことに落胆する。
木村愛理(電話)「二年前に卒業した木村愛理です」
私「おお、木村さん!お元気でしたか?」
あかりの友達だった木村さんだった。
木村愛理(電話)「その様子だと、あかりから電話はないみたいですね」
木村さんは、私の質問には答えず、いきなり痛いところを突いてくる。
私「ご存知でしたか。 電話、ないですね。 きっとないと思いますよ」
木村愛理(電話)「おかしいな・・・。 半年前に会った時は、あかり、まだ先生のこと好きでしたよ」
私「そう・・・。惜しかったですね」
つい本音が口から出てしまった。
大切なものは自分の手で手に入れないとこういう事になるという教訓か。
木村愛理(電話)「まだ、あと今日は六時間くらいあります。諦めないでください!」
私は、木村さんに励まされて電話を切った。
私があかりを好きだという前提のもとに木村さんが話している事に気づいたのは、それから少し後の事だった。
〇男の子の一人部屋
その後、部屋に帰ってお風呂も入らずにスマートフォンとにらめっこしたが、電話がかかってくる事はなかった。
私に罰を与えようと、日付が変わる直前にかけてくるつもりかもしれないという期待も、目の前の時計があっさりと
0:00
と変わったのを見て絶望に変わった。
私は教師という立場を守った変わりに、これまで生きてきて一番好きになった女性を失った。
〇男の子の一人部屋
翌日は土曜日で学校は休みだった。
私はほとんど眠れずに朝を迎え、朝陽が窓から射し込んだのを見ると、そこでやっと諦めたように眠りに落ちた。
嫌な夢を見ていたように思うが良く覚えていない。
スマートスマートフォンの目覚ましの音がけたたましく鳴っている。
ああ、もう朝か。
私は手探りでスマートフォンを探し、いつもの目覚ましを止める動作をするが、一向に鳴り止んでくれない。
諦めて目を開けてスマートフォンの画面を見ると、目覚ましが鳴っているのではなく、電話の着信音だった。
私は寝ぼけたまま電話に出る。
東城あかね(電話)「先生、お久しぶりです」
昨日一日待ち焦がれていた声が、耳に飛び込んできた。
私は、一気に目が覚める。
私「ああ、東城さん、久しぶり」
白々しくそう答えながら頭をフル回転させ、やがて昨日電話しなかった事に対するお詫びだろうと思い至る。
東城あかね(電話)「先生、二年前の約束覚えてますか?」
声に曇りがあるように感じる。
やはりお詫びか。
私「そういえば、約束したね」
私は彼女の罪悪感を減らそうとしらばっくれる。
だが、次に彼女は予想外の言葉を発した。
東城あかね(電話)「私、電話しました。先生の返事を聞かせてください」
私「え?」
東城あかね(電話)「先生の事が今でも好きです。 付き合ってください」
私「ちょっと待って。 約束の日は昨日だよね?」
東城あかね(電話)「いえ、私のいる所は、いま三月二日になったばかりです」
私「どういう事ですか? いま東城さんはどこにいるの?」
東城あかね(電話)「アメリカのロサンゼルスです。 短期留学で来てます」
その時の私の頭の中を説明することは非常に難しい。
様々な思いや情報が飛び交って混乱した状態に陥っていた。
これは、二年前に返事をすることから逃げた僕に対する仕返しなのかもしれない。
しかし、そのために短期留学までするとは思えないが。
反則じゃないかと思う部分もあったが、こうしてあかりは電話をかけてきてくれた。
私も誠実に自分の気持ちを伝えなければならない。
私は、二年間分の想いをあかりに伝えた。
私「僕も変わらず君の事を愛しています」
完
あぁ、時差トリック! 最後の作者コメントも含めて楽しませてもらっています。
彼女が2年間先生のことを思い続けていた事に感動すら覚えました。先生も好きという気持ちは変わらず、彼女からの電話を心待ちにしていた心情はナイスです。
久しぶりに胸がキュンキュンしました!若い子の真っ直ぐな恋愛っていいですね!運命の日は主人公の先生とリンクして私までドキドキしました。まさか留学して1日ずれるなんて まんまとヤラれてしまいました!