第一話 田舎温泉の女神、東京へ行く(脚本)
〇温泉街
温泉・・・それは、身体と心に休息を与える不思議な泉。
古来より、人は言う。
温泉には神様が宿っている──と。
〇温泉旅館
竜宮温泉郷 温泉旅館かみや
???「た、大変だァーッ!」
〇露天風呂
湯治客A「な、なんだ!? 温泉が、いきなり濁り始めたぞ!?」
湯治客B「しかも、なんだか白くて細いものが・・・なんじゃ、これは」
湯治客のひとりが、不意に流れてきた一本の塊を手に取りまじまじと見ると、それは・・・
湯治客A「う、うどんじゃ! しかも手打ちのうどんじゃ!」
湯治客B「誰だ、温泉の湯でうどんを茹でたのはっ!」
温泉の清らかなお湯は一瞬にしてグルテンの溶け込んだうどんの茹で汁に変わってしまったのだ。
〇温泉街
神谷ヒロシ「・・・というわけで、竜司(りゅうじ)。源泉の様子を見に行ってきてくれ」
神谷竜司「どうして、俺が・・・」
予備校からの帰り道。運が悪いことに、親父に捕まってしまった俺・神谷竜司(かみやりゅうじ)は
起きた事件のあらましを聞かされる羽目になった。
神谷ヒロシ「お前はこの由緒正しい竜宮温泉郷の次世代を担う湯守だ。当然だろう?」
神谷竜司「勝手に決めるなって。俺は来年には大学生になるんだ」
神谷竜司「温泉がうどんの茹で汁だろうがそばつゆだろうが知らないよ」
神谷ヒロシ「大学生? 寝ぼけたことを言うな。受験なら2回もやって、どこにも受からなかっただろうが」
神谷竜司「・・・・・・」
神谷ヒロシ「浪人2年生のお前が家業の手伝いを拒否するなど片腹痛い! つべこべ言わず行ってこんか!」
〇山中の坂道
竜宮温泉卿 裏山
・・・というわけで、親父に言い負かされた俺はしぶしぶ源泉へと向かった。
神谷竜司「はぁ。あんな、観光客も来ない温泉街のために、なんでこんなことを・・・」
それにしても、誰だよ温泉でうどんなんかを茹でたバカは。
いったい、何を考えてそんなことを・・・。
そう考えていた直後──
???「えぇい! やぁ、とぉぉっ!」
妙な声が源泉のほうから聞こえてきた。
神谷竜司「な、なんだぁ!?」
〇源泉
謎の女「どおおりゃあああっ!」
神谷竜司(お、女の人が、こんな山のなかでうどんを打ってる!?)
謎の女「よぉし! 会心の出来よ! それじゃあ、これを温泉のお湯でゆでて、と・・・」
そう言って、女性は沸騰した源泉にうどん玉を放り込もうとしている。つまり──
神谷竜司「犯人はお前だぁ!」
謎の女「きゃあっ!? 誰!? いきなり大きな声上げないでよ不審者!!」
神谷竜司「こんなところで、うどんを打ってるやつに不審者扱いされる筋合いはねぇよ!」
謎の女「失礼ね。こう見えても私は・・・」
謎の女「あれ?」
女性はまじまじとこちらを見つめてくる。
謎の女「神谷竜司? 『温泉旅館かみや』の」
神谷竜司「え・・・俺の事、なんで知ってるの?」
謎の女「あはは、そりゃそうよ。だって、私・・・」
謎の女「竜宮温泉の女神様だもん」
神谷竜司「・・・は?」
謎の女「大きくなったねー。いくつになったの? あ、私の打ったうどん食べる?」
神谷竜司「いや、遠慮しとく・・・」
謎の女「お腹いっぱいなの?」
神谷竜司「いや、そうじゃなくて! なに言ってるんだよ!? 温泉の、女神様・・・?」
謎の女「そ。私はここ、竜宮温泉の守り神ミコト。昔から、この温泉を見守ってるのよ」
うん、どう考えてもヤバい人だ。温泉でうどんを茹でて、自分を神様とか言い出すあたり。はやく通報を・・・
ミコト「誰がヤバい人よ。通報しないでよ!」
神谷竜司「え!?」
ミコト「あのね、私は神様なんだから。考えてることくらい簡単にわかるわよ」
神谷竜司「そ、そうなの?」
ミコト「もちろんよ。で、うどん食べる?」
神谷竜司「いや、大丈夫だけど。というか、なんでうどんなんだ?」
ミコト「ほら、言いにくいけど今って竜宮温泉の危機じゃない。経営的な意味で」
神谷竜司「・・・まぁ、そうだね」
ミコト「だから新しい名物を作ろうと思って」
神谷竜司「なるほど、それでうどんを」
ミコト「そう! さ、食べて!」
神谷竜司「いや、だからいらないって! というか、なんでさっきからしきりにうどんを勧めてくるんだよ!」
ミコト「大丈夫、お代はいらないわ。湯守を継いだお祝いよ」
神谷竜司「いやいや。湯守なんか継いでないって」
ミコト「ええ!? なんで!」
神谷竜司「だって、さっき自分で言ったじゃん。経営難の赤字温泉街で、観光客も来やしない補助金頼りの腐った街だって」
ミコト「そこまでは言ってないわよ!?」
神谷竜司「ごめん言い過ぎた。だけど、そんな温泉街の湯守なんて継ぎたくないでしょ?」
ミコトは俺の言葉を聞き、ムッとした様子でうどんの入ったどんぶりをつきつけてきた。
ミコト「食べてよ! この新しい名物『温泉うどん』の味を知れば、湯守を継ぐ気にもなるわ!」
神谷竜司「いや、いいって!」
ミコト「なんで!」
神谷竜司「何を言われたって継ぐ気はない。それに俺・・・」
神谷竜司「そば派だし」
ミコト「うう・・・そう! もういいわ!」
声を震わせながら、ミコトは面打ち台にどんぶりを置いた。
ミコト「私、東京へ行く!」
神谷竜司「え?」
ミコト「見てなさい、竜司! 後から謝ったって遅いんだから!」
そう言ってミコトはこちらに背を向け、どこかへ走って行ってしまった・・・。
神谷竜司「あ・・・」
神谷竜司「なんか悪いことしちゃったかな」
今度会ったら謝ろう・・・そのときの俺はそんな甘いことを考えていた。
大変なことをしでかしていたことにも気づかず。
〇温泉旅館
旅館A主「昨日は温泉にうどん、今日はついに温泉そのものが出なくなったぞ! どういうことじゃ、組合長!」
神谷ヒロシ「わからん。調査中だ!」
旅館B主「明後日には県知事様が視察に来るんだぞ!? もしこのことがバレたら・・・」
神谷ヒロシ「・・・補助金が出なくなる、か」
旅館A主「補助金は竜宮温泉郷の生命線! なくなったらわしらはのたれ死ぬしかない! どうしてくれる!」
いやいや、どんだけ補助金におんぶにだっこなんだよ。
それにしても・・・なぜこんなことに?
神谷竜司「まさか、ミコトが家出したから・・・?」
一同「!?」
神谷ヒロシ「・・・おい、竜司。さてはお前何か知っているな?」
神谷竜司「え、いや、別に・・・」
神谷ヒロシ「なんでもいい、言え!」
神谷竜司「その、温泉の女神ってのが源泉にいて、それで、その、東京に・・・いくって」
一同「・・・・・・」
神谷竜司「ハハ・・・信じらんないよね?」
神谷ヒロシ「女神さまが東京へ家出だとぉぉ!?」
旅館A主「バカモン! なぜそれを止めんかった! それでもお前は湯守か!」
旅館B主「これだから最近の若いもんは! 責任を取って連れ戻してこんかぁぁい!」
〇田舎の線路
こうして俺は、ミコトを追いかけて東京へ向かうことになった。
なぜ、いつの時代も責任を取らされるのは若者なのか。
とはいえ、今回の件に関しては俺に責任がないわけではないのだが。
神谷竜司「でも、どうするかな・・・? 東京なんて広すぎて、見つかりっこないぞ?」
しかし、まだ俺は理解していなかった。
温泉の女神──ミコトの恐ろしさを。
〇温泉の湧いた渋谷
東京・渋谷駅。はじめて下車する大都会で俺が見た風景は・・・
神谷竜司「な、なんだ、これ・・・」
あちこちから温泉がわき出した、巨大な温泉街そのものだった──!