〇劇場の舞台
　　満員の観客席を前に、音楽が流れ始める。華やかな宮廷にふさわしい管弦楽
　　間違いない。ここは『白鳥の湖』第３幕、
　　舞踏会のパ・ド・ドゥ
　　そして黒いパニエの私は、王子を誘惑する
　　黒鳥（オディール）だった
キリエ（私が、あれを踊る？ ・・・無理でしょ。 そもそも、ここは一体・・・）
　　戸惑う私をよそに、
　　音楽はクライマックスに近づく。
　　バレリーナなら誰もが憧れる一番の見せ場
キリエ（これは夢？ ・・・それなら、いっそ！）
　　王子が舞台袖にはけていくのと同時に、
　　回転しながらステージの前に躍り出る
　　連続32回のグランフェッテ。仮に脚が万全でもこなす自信のない大技だ。でも・・・
キリエ（脚が・・・軽い。 回れる・・・いくらでも回れる！ もっと早く！ もっと美しく！）
　　軸足はぶれることなく、左脚は思うように
　　開いては閉じ、強い遠心力を生み続ける
　　両足で地面に立ったと同時に
　　鳴り響くのは、割れんばかりの拍手喝采
　　私は高揚感とともに観客席に跪き、
　　充実感とともに舞台袖へとはけた

〇舞台下の奈落
　　舞台裏につくなり熟練のスタッフたちが
　　黒い衣裳を脱がし、
　　白い衣裳に着替えさせてくれた
キリエ「着替えぐらい自分でやるのに」
スタッフ「これから世界に羽ばたくプリマに そんなことさせられないでしょ」
キリエ「え？」
スタッフ「宣言通り、 今年のコンクールの賞を総舐めにして、 来年からはスカラシップ留学・・・」
スタッフ「そんなキリエさんの年内最後の 国内公演だもの。VIP待遇にもなるわ」
キリエ「VIPだなんて、そんな・・・」
スタッフ「ロビーの花輪見た？ みんなキリエさん 宛てよ・・・さあ、準備出来た。 行ってらっしゃい、主役さん」

〇劇場の舞台
　　スタッフに押し出されて、今度は
　　白鳥（オディット）として舞台に上がり、
　　王子の裏切りを同胞たちに嘆く
　　体が思い通りに動くとは、
　　こんなにも気持ちの良いことだったか
　　心にも体にも温かく
　　満ち足りたものが感じられる
　　再び観客の喝采の中、幕は下りた

〇大ホールの廊下
　　最終幕を前に演者も観客も休憩に入る。
　　楽屋前には花がいくつも飾られていた
イツキ「たいしたものだね。全部で幾つあるんだろ」
キリエ「萱沼？ どうしてここに？ ここは 関係者以外立ち入り禁止のはずだけど」
イツキ「君のお母さんに捕まって。 キリエに会って、ってね」
イツキ「この鉢の花、右に偏ってるな。 ちょっと直させてもらうよ」
　　そう言うと萱沼はジャケットを脱ぎ、
　　シャツの袖をまくって、
　　花器に腕を突っ込んだ
キリエ「その腕・・・」
イツキ「まくらないと汚れるでしょ？」
　　そこにあるのは傷跡のない腕。
　　ああ、私と同じだ
　　やはりここはウツホが作った
　　満たされた世界なのだ
キリエ「ねえ、萱沼・・・あんた今幸せ？」
イツキ「なに？ 自分が幸せの絶頂だってアピール？」
キリエ「・・・まあ、そんなところ」
イツキ「灰瀬ほどじゃないけど、充実してるよ。 今度父と二人で展覧会を開くんだ。 大変だけど、やりがいがある」
キリエ「そっか」
イツキ「そういえばカオル先輩、残念がってたよ」
キリエ「え？」
イツキ「部活の合宿がなければ、 今日、観に来たかったって。 でもコンクール近いんじゃ、仕方ないよね」
キリエ「コンクール？」
イツキ「ほら、合唱の全国大会。先輩は 合唱部のエースで先生の信任も厚いし、 抜けるのは難しいでしょ」
　　喝采を浴びるプリマ、
　　自信あふれる華道家、
　　合唱部の頼れるエース・・・
　　私たちは間違いなく満ち足りていた
キリエ（幸福な物語を わざわざぶち壊す理由なんてない）
キリエ（みんなが笑顔になる舞台を 演じ続けられるなら、本望じゃない）
　　あの舞台上での高揚が、心を侵食していく
　　完璧な脚で私はこの完璧な舞台を踊る。
　　それでいいじゃないか、と
　　ただ、ふと、ある疑問が口をついて出た
キリエ「ウツホはどこ？」
イツキ「ウツホ？ ・・・誰？ 君の知り合い？」
キリエ「え・・・」
　　ジリリリ・・・
イツキ「ほら、観客たちが今日の主役を待ってる。 早く行かないと」
　　萱沼はそう言って、
　　私を舞台のあるほうへ押しやった
　　開演のベルが鳴る舞台に、私は立つ。
　　最終の幕が上がった

〇劇場の座席
　　盛大な拍手。しかし観客席にはたった一人
　　いつかの少女が座っているだけだった
キリエ「あれ？ 服が・・・」
ウツホ「続きを踊るには、劇場を完成させないとね」
ウツホ「どう？ これが私の劇場。私の見る世界。 気に入ってくれた？」
キリエ「ウツホ・・・」
キリエ「たしかにここは、すごく素敵な世界。 私も萱沼も八十島先輩も、 みんなが満ち足りてる」
ウツホ「でしょう？ だから、あと一歩。 一緒にこの幸福な舞台を完成させましょう」
キリエ「その前に一つ聞かせて」
キリエ「この幸福な舞台の、 あなたは一体、どこにいるの？」
ウツホ「どこって、私は、ここに・・・」
キリエ「どうして、観客席なの？ いつまでお客さま？ それとも演出家気取り？」
ウツホ「な・・・」
キリエ「教えてあげる。演者になることを 怖がって、観客席にいる限り、 あなたの欠落が満たされることなんてない」
キリエ「ずっと孤独のままよ」
ウツホ「・・・るさい。貴方に私の何がわかる？」
キリエ「もう一人のあなたが・・・ 鈴木先生が教えてくれた」
キリエ「あなたが本当になりたいのは、 神様なんかじゃない」
キリエ「あなたの願いは、ただ、 みんなと同じ場所で同じように 触れ合いたかった、そうでしょ？」
ウツホ「・・・ちがう」
キリエ「その願いにこの劇場は決して応えない。 だから、私はこの舞台を降りる」
ウツホ「違う！ 違う！ 違うっ！」
　　いやいやと駄々をこねるように
　　身をよじるウツホ
　　その背中からパキリパキリと
　　鳥の翼のようなものが生え始めた

〇劇場の座席
ウツホ「・・・たしかに、 病室から窓の外を羨んだこともある」
ウツホ「遠くチャイムの音を聞くたびに、 涙したことも・・・」
ウツホ「でもある時、気づいたの」
　　ウツホの背がぐんと伸びる。
　　ウツホのスカートから、
　　いつぞやの巨大蜘蛛の脚が６本生えたのだ
　　その両の腕も、
　　すでに鋭い爪を伸ばした着ぐるみの腕に
　　空っぽの右目からは
　　黒い灰が垂れ流されていた
ウツホ「私は特別なんだって。特別だから、 みんなとは違うところにいるんだって」
ウツホ「だから、私のいるべき場所は、ここなの。 ここしかないの！」
　　ウツホがその着ぐるみの腕を
　　横に振りかぶる
キリエ「くっ・・・」
　　かろうじて転がって避ける。
　　が、背中が暗幕にあたる。
　　もう逃げ場はなかった
　　武器を探し、自分の脚を見るが、
　　それは最早マネキンでも、
　　ダイヤでもないただの脚
　　とても怪物に太刀打ちできる
　　代物じゃなかった
ウツホ「私は慈悲深い神様だから、 もう一度あなたに憐みを与えてあげる。 キリエ、この舞台でずっと踊り続けなさい」
キリエ「ありがとう。 じゃあ、何度でも言ってあげる。 お断りだって！」
　　ウツホは少し、眉をひそめただけで返事もせず、その腕を私目がけて振り下ろした
　　ビリビリっと何かの裂ける音。私の体？
　　いや、違う
カオル「間一髪か」
イツキ「いつまでそんな無様に ひっくり返ってるつもり？」
　　勝算があったわけじゃない。
　　でも、なんとなく予感はあった
　　背後の暗幕が裂けて、
　　そこから萱沼と八十島先輩が
　　私を思いきり後ろに引っ張ったのだ
　　私は暗幕の裂け目に転がり込み、
　　すんででウツホの腕を避けていた
キリエ「今までどこにいたの？」
カオル「ここと同じような劇場だ。合唱部の公演で 気持ちよくソロパートを歌ってたのに、 急に、何か喉につっかかる感じがしてな」
カオル「そしたらちょうど、舞台後ろの暗幕から キリエの声が聞こえて、とりあえず 声のするほうに手を突っ込んだんだ」
イツキ「僕は自分の個展で、死んだはずの父と 共同で作品をつくってたよ」
イツキ「我ながら会心のできなのに、 何か一つ色を欠く気がして・・・」