灰色のカルテジア

八木羊

第15話 主よ、憐れみたまえ(脚本)

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八木羊

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〇学校の屋上
  無人の屋上。
  頭上には分厚い灰色の雲が立ち込めている
  合唱コンクールが終わり、
  気が付けば来週には6月。
  今年の梅雨入りは例年より早いらしい
キリエ(タタタン、タタタン・・・)
  頭の中に響く軽快な4分の2拍子に
  合わせて、えい、と勢いをつけて
  爪先立ちの旋回(ピルエット)
  1回、2回、3回・・・
キリエ(・・・全然だめ。軸足がぶれてる)
  春休みの事故から早2か月。
  ヒビが入っていた左脚の骨も、
  もうほぼ治っている
  しかし、2か月の間に左脚を庇う癖が
  ついたのか、脚の付け根、つまり股関節を
  開くことを体が躊躇うようになっていた
キリエ(こんなのじゃ、 とても来月のコンクールには間に合わない)
キリエ(推薦留学のためにも、実績が必要なのに、 なんでこんなことに・・・)
  霧雨けぶる春の日。レッスンの帰り道。
  家の近くの横断歩道
  事故の瞬間のことは気絶したせいか、
  よく思い出せない
  ただ病室で目覚めてから初めて
  ギブスの脚を見た時
  『こんなものか』と心の中で、
  他人行儀な声が聞こえたのは、覚えている
キリエ(『こんなもの』? 私にとって脚は、 こんなにも大切なものじゃない。 どうしてそんな・・・)
???「おや、金平糖の精の踊りですか?」
キリエ「眞秀理事長?」
眞秀理事長「君は、この屋上がお気に入りみたいですね」
キリエ「す、すみません!」
眞秀理事長「まあ、汚くしているわけじゃないですし、 大目に見ますよ」
眞秀理事長「それに、 素敵なものを見せてもらえましたし」
キリエ「・・・理事長先生、 ひょっとしてバレエお詳しいんですか? さっき、金平糖の精の踊りって」
眞秀理事長「『くるみ割り人形』の一曲ですよね」
眞秀理事長「詳しいというほどではないですが、 たまたま、娘と観に行ったことのある 思い出深い作品だったので」
キリエ「娘さん? そういえば、 前にここの生徒だったって言ってましたね」
眞秀理事長「ええ、バレエが好きで、 習いたがっていたのですが、 体が弱くて出来なかったんですよ」
眞秀理事長「だから私もバレエには思い入れが ありまして、今しばらくここは君たちの 秘密の練習場としてお貸ししましょう」
キリエ「ありがとうございます!」
眞秀理事長「では」

〇学校の屋上
  理事長は校舎へと戻っていった。その
  背中はただの用務員のオジサンそのもの。
  どうにも掴みどころのない人だ
キリエ(そういえば、理事長、 『君たちの練習場』って・・・)
カオル「おい・・・」
キリエ「へ!?」
カオル「なんて声出してやがる」
キリエ「ごめんなさい・・・」
カオル「そんな恐縮する必要ないだろ。 ここは俺の場所ってわけじゃないし」
カオル「理事長からもお墨付きなんだし、 好きに練習すりゃいいさ」
キリエ「聞いてたんですね」
カオル「ちょうど入れ違いだ。 それにしても、大したもんだな、キリエは」
キリエ「何のことですか?」
カオル「小学生の時からずっとバレエ続けててさ。練習も欠かさないし。 イツキもお前も偉いよ」
キリエ「ああ、私の事、萱沼から聞いてたんですね」
カオル「いや、お前がバレリーナなのも、 練習を欠かさないのも、 お前が自分から教えてくれたことだ」
キリエ「え?」
カオル「やっぱ覚えてないのか。6年前、俺が小6で、お前が小4の時、俺たちは会ってる。6月の花の日の病院慰問の時だ」
カオル「俺はボーイスカウトの合唱団として、お前はたしか、バレエ教室のボランティアで。覚えてないか?」
キリエ「6年前の花の日・・・」
  花の日と言えば、子供たちが
  病院や教会に花を持って慰問する
  プロテスタントの行事の一つだ
  たしかに、小学生のころ、
  何度か病院で慰問公演をしたこともある
  そう言えば、
  少年合唱団の催しもあったはずだ
キリエ「あの場にはたくさんの子がいたはずです。 よく私のこと覚えてましたね」
カオル「名前が印象的だったからな」
キリエ「私の、名前?」
カオル「キーリエー・エレイソン・・・」
  低く響く声でワンフレーズ。それは以前もこの屋上で先輩が口ずさんでいた歌だった
カオル「聖歌の中じゃメジャーな曲だ。 あの慰問会でも歌った」
カオル「そしたら、同じ名前の友達がいるって イツキがお前を連れてきて・・・」
  少しずつ記憶が戻ってくる。
  慰問会には萱沼もいて、病院に行く
  花の用意と、その飾りつけをしていた
  そして合唱を一緒に聞いて、
  自分の名前が歌われていることを
  不思議がっている私を、
  歌っていた八十島先輩に会わせてくれた
キリエ「キリエ・エレイソン・・・ 意味は『主よ憐れみたまえ』・・・ そう、教えてくれましたね」
カオル「ああ」
  私と八十島先輩と萱沼は、たしかに
  あの時、同じ場所で同じ時間を過ごした。
  どうして今の今まで忘れていたのだろう
カオル「・・・俺に、悪魔の歌声を 与えてくれたのは、キリエ、お前だ」
カオル「お前は俺の歌を褒めてくれて、でも俺が、 この天使のような歌声はいつまでも 出せるものじゃないって言ったら・・・」
カオル「『それでもいいじゃない。 天使は悪魔に堕ちるものだから。 悪魔になって歌い続ければ』」
カオル「って。・・・恐ろしい子だと思ったよ」
キリエ「私が・・・そんなことを?」
  慰問会で先輩と話したことは覚えている。歌の意味を教えてもらったことも
  でも、
  そんなことを言った覚えはまるでない
カオル「キリエ?」
キリエ「・・・何かがずれてる?」
  この微妙な噛み合わなさ。
  たしか、前に萱沼と話した時も感じた
  慰問会のことを詳細に思い出そうとする。
  でも思い出そうとするほどに、打ち払い
  難い『もや』のようなものが邪魔をする
キリエ(私の記憶を、私が拒んでる? 私は、いったい・・・)
カオル「さっきからどうした? 顔色が悪いぞ?」
キリエ「・・・天気のせいかな。 ちょっと眩暈が。今日はもう帰りますね」
カオル「送るぞ?」
キリエ「いえ、大丈夫です。 少し一人になりたいので。 先輩、さようなら」
カオル「ああ」

〇住宅街の道
キリエ(ポツポツ降ってきたな・・・ ひどくなる前に返らないと)
  リュックの中には折り畳み傘もある。
  けれど、わざわざ取り出して
  さす気にはなれない
  少しずつ強くなる雨音。
  まるで私の頭の中だ。
  ザアザアと肝心なところでノイズが起こる
キリエ(私は何かを忘れてる・・・ 6年前の慰問会の事・・・ 違う、それだけじゃない・・・)

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