猫と狛(脚本)
〇湖畔
夜半の湖はとても綺麗だった。
見渡しきれる程度の大きさではあるが、
言いようのない荘厳さが海を想像させた。
漠々と果てしない青が子供たちの
未来じみたエントロピーを感じさせる。
きっと夕方には燃え足りない赤が青に
接近し煌々と華やいで、子供たちの持つ
エンタルピーを暗喩していたに違いない。
じきに黄昏を置き去りに赤も青も、
その全てが皓々たる月光と星屑どもに
飲み込まれるだろう。
暗幕を垂れた夜の仄暗さに子供たちは
見えない幽鬼を連想するのだろうか?
それならばこの夜という怪物は、
大人である私が請け負うとしよう。
・・・可哀そうな子供たち。
彼らの輝きが花火同様の脆さであっても、
どうか翳りは見せないでほしい。
それは母のような慈愛と父の侠気と、
閉じた瞳の暗闇から這い上がる、
実体のない恐怖に怯える
子供のような弱さが僕を祈らせるから。
桵江(たらえ)「パパを見ていてくれ、ヨウスケ・・・」
水面を滑る6月の夜風を体に受けて、
満月を肴に呷る火酒はとても温かかった。
〇事務所
同僚「タラエ先生、大丈夫かな? 今日から復帰するらしいけど」
同僚「大丈夫なワケないと思いますよ」
同僚「子供が好きな方ですから」
同僚「息子さんを失った悲しみを1か月で 乗り越えろってのは無理がありますよ」
同僚「そうだよな」
「あっ・・・」
桵江(たらえ)「おはようございます!!」
桵江(たらえ)「・・・どうかされましたか? 僕の顔忘れちゃいました!?」
同僚「そ、そんなワケないだろぉ。 休みあけでエンジン掛かってるか 心配だっただけだよ」
同僚「ゆっくり休めました?」
桵江(たらえ)「おかげさまでなんとか」
同僚「そうか・・・って、タラエ先生? 随分大きな荷物じゃない?」
桵江(たらえ)「これ全部授業道具なんです。 時間があったので 子供たちの為に色々用意したんですよ!!」
桵江(たらえ)「あ、授業の準備をするので失礼しますね」
「・・・」
同僚「元気過ぎじゃないか?」
同僚「きっと心配させまいと 気丈に振舞ってるんですね」
同僚「強い男だな、タラエ先生は」
〇学校の廊下
桵江(たらえ)「・・・」
桵江(たらえ)「──ッ!!」
昨日呑んだ酒の力を借りて
ヒステリックに叫んでしまいそうだった。
何故かと問われれば
生理的嫌悪としか言いようがないだろう。
憐憫の眼差し。
とにかく僕は、あのふやけた指の腹
みたいな顔してすり寄ってくるあいつらを
見ているとイライラが止まらないのだ。
桵江(たらえ)「イヌマガタマ、イヌマガタマ」
桵江(たらえ)「・・・」
桵江(たらえ)「あぶないあぶない」
桵江(たらえ)「授業前に壊してしまうところだった」
桵江(たらえ)「教育者たれ、教育者たれ」
〇教室
桵江(たらえ)「みんな、久しぶり~!!」
桵江(たらえ)「授業はじめるぞ~」
〇シックなリビング
桵江(たらえ)「ただいま~」
桵江(たらえ)「・・・」
桵江(たらえ)「・・・ヨウスケ?」
桵江(たらえ)「あれ?」
〇事務所
同僚「・・・聞いた?」
同僚「嫌でも耳に入ってきますよ」
桵江(たらえ)「おはようございます!!」
同僚「タラエ先生・・・」
桵江(たらえ)「どうしましたか? 嫌なことでもありましたか?」
同僚「い、いえ・・・」
桵江(たらえ)「・・・」
同僚「あのっ!! 昨日の荷物のことなんですけど・・・」
桵江(たらえ)「荷物・・・?」
桵江(たらえ)「授業道具だって言ってんだろぉ!!」
桵江(たらえ)「おっと」
桵江(たらえ)「すみませんね、否定しちゃって」
桵江(たらえ)「イヌマガタマ、イヌマガタマ」
桵江(たらえ)「・・・」
桵江(たらえ)「もう授業道具は持ってきていませんよ。 これで満足ですか?」
同僚「う、うん」
桵江(たらえ)「では失礼しますね」
「・・・」
〇教室
都浦(とうら)「タラエ先生がね、言ったんだ」
都浦(とうら)「ネコは1日に1回、 飼い主を殺そうとしているんだって」
都浦(とうら)「だからこっちも殺すつもりで 可愛がってあげるべきなんだって」
都浦(とうら)「それでね、タラエ先生はね、」
都浦(とうら)「教室の窓からネコを投げたんだよ」
都浦(とうら)「タラエ先生はネコが落ちている間ずっと、」
都浦(とうら)「「まだ生きてる、まだ生きてる」 って呟いてたんだけど、」
都浦(とうら)「少し経ってから 「おっ」って言って、」
都浦(とうら)「それでいのちの授業が終わったんだよ」
〇学校の廊下
桵江(たらえ)「イヌマガタマ、イヌマガタマ」
桵江(たらえ)「オーン、ナーム、スバーハ・・・ オーン、ナーム、スバーハ・・・」
桵江(たらえ)「祈ることを忘れちゃだめじゃないか」
桵江(たらえ)「だってパパだもの」
〇教室
桵江(たらえ)「よーし授業始めるぞ~!!」
都浦(とうら)「今日はネコいないんですかー?」
桵江(たらえ)「ここは天国じゃないからなぁ」
女の子「や、やっぱり 死んじゃったんですか・・・?」
桵江(たらえ)「・・・?」
桵江(たらえ)「別に死んではなくないか?」
女の子「え? で、でも、 ネコさんは天国にいるんですよね・・・?」
桵江(たらえ)「天国に行くことは死ぬことじゃ無いんだぞ~」
都浦(とうら)「うっそだ~!!」
桵江(たらえ)「・・・」
都浦(とうら)「えっ」
女の子「・・・ぁ・・・・・・」
桵江(たらえ)「うん、教育の敗北だな」
同僚「タラエ先生!? 何をやったんですか・・・!!」
桵江(たらえ)「何って、教育とか?」
同僚「嘘をつかないでくださいよ!!」
桵江(たらえ)「・・・」
桵江(たらえ)「嘘は悪なんですか?」
桵江(たらえ)「この世界こそが嘘ではありませんか?」
桵江(たらえ)「それなのに僕だけが嘘つき呼ばわりされて 皆から非難されるんですか?」
桵江(たらえ)「僕は騙っていない」
桵江(たらえ)「僕はただ救済を語ってるだけです」
桵江(たらえ)「罰を受けきれていないんですね、先生は」
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いいですね〜。壊れた人間の描写がとてもステキです😊特に都浦の心理描写〜ラストまでの展開にゾクゾクしました。「教育」を受けた彼がどんな風に成長していくのか楽しみですね。
お笑いコンビ、トムブラウンのオチを連想するも、いや、このマグマはある、隠しちゃいけねえと江戸っ子が啖呵を切る。表現の自由さとうそぶくのも、ちょっと寂しい。合掌。
反面教師ならぬ反転教師といったところでしょうか。
過度なストレスによる崩壊、依存、そして達観、伝染する狂気…
いい意味で悪い読後感でした!