さよなら空を飛んでいく(脚本)
〇黒
何でもかんでも電子化する世の中の風潮には辟易している。
私は渋谷川の側のベンチで、私はスマートフォンをアレコレいじっていた。
〇公園のベンチ
男「あの・・・すみません」
顔を上げるとスーツ姿の男が立っていた。
「なんでしょうか?」
男「難しい顔をされておりましたので、ちょっと気になりまして」
男は、私の猜疑心と警戒心を和らげるような笑みを浮かべた。
男「何か、お手伝いできることはありますか?」
私は目を閉じて自分への苛立ちを吐き出すようにため息をついた。このまま、画面をいじくり回しても解決しそうにない。
「あそこのビルの屋上に行くための券を買いたいんですけど、どうもスマホといった類は苦手で・・・」
男「ビル? あぁ、渋谷スクランブルスクエアのことですね」
〇渋谷スクランブルスクエア
男は目を細めて、私が指差す方向を見上げた。
〇公園のベンチ
男「屋上ってことは・・・」
顎を撫でながら、視線を私に戻す。
男「スマホで、SHIBUYA SKYのチケットをご購入されようと?」
私は恥ずかしさ堪えながら、うなずいた。
「いやね、どうしても明日、あそこに行きたいので」
「当日に窓口で買う方法もありますが、並ぶ時間を省きたい諸事情がございまして・・・」
男「よかったら、やり方をお教えしますよ」
男「会員登録の際のパスワードやクレジットカードの番号は、ご自身で入力をお願いします。私は見ないようにしますから」
「いやいや、そんな申し訳ない」
私が頭を振ると、男は肩をすくめた。
男「いいんですよ。お気になさらずに」
男「私“世話好き”なんです。よく職場の部下から“余計なお節介だ”と、叱られることもありますがね」
男は冗談めかして笑った。
〇黒
娘の容態が急変したのは、その日の夜だった。
〇病室
「他のご家族に連絡されてはいかがですか」
医者の言葉で、私は時期が予定より早まっていることに気づいた。
「夏帆・・・今日、親切な人がいてな」
看護師が立ち去ると、虚空を見つめている娘に話しかけた。
「お前と一緒に買いにいったスマホで、なんとかチケットが取れたよ」
「この窓を眺めながら、鳥になって空を自由に飛びたいって言っていたよな?」
「空にいる母さんに逢えるかもしれないって」
「父さんとあの渋谷のビルの屋上から、鳥みたいに空を見渡す約束だったよな」
お気に入りのピンクのパジャマから伸びた腕に触れる。枯れ枝のように固い。
「父さんを一人にしないでくれ」
私の言葉に応えるように、娘は微かに指先を動かしてくれた。
そんな気がした。
〇幻想空間
空が白み、太陽が高く上り、やがて暗赤の色を帯びて落ちていく。
そして、また新しい1日が始まった。
生命力の強さに医者は感心していた。
だが、夏帆に残された時間は僅かなことには変わりない。
やるなら、今しかない。
〇病院の廊下
娘の生命を留めているあらゆる医療機器から伸びた管を外し、車椅子に乗せると身体をベルトで固定した。
看護師の目を盗み、駐車場へと連れていく。
愚かな行為だと分かっていた。
でも、このまま無機質な病室で終わらせたくなかった。
〇黒
せめて最後は
〇繁華街の大通り
「いい天気で良かったよ」
車中で話しかけると、少し口角を上げて笑みを浮かべてくれたような気がした。
〇渋谷スクランブルスクエア
渋谷スクランブルスクエアに着くと、スマートフォンに表示させたチケットをスタッフに見せる。
スタッフ「入館の期限が切れております」
スタッフ「それにこちらの方は・・・」
彼女は画面と車椅子に乗せた娘を交互に見て、困惑の表情を浮かべる。
「お願いです。そこを何とかして、展望台まで行かせてください」
私は膝をついて、頭を下げる。
「ご案内してください」
顔を上げるとチケットの購入を手伝ってくれた男が立っていた。
スタッフ「館長。しかし・・・」
男「私が責任を取ります」
そう言って、あの時と同じ柔らかい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。何と申し上げれば・・・」
館長と呼ばれた男は、膝を曲げて娘を見つめる。
館長「おそらく、お時間が限られているのでしょう。早くエレベーターへ」
スタッフは気づいたように、パーテーションを取り外した。
〇エレベーターの中
私は車椅子のハンドルを固く握りしめ、早足でエレベーターに向かった。
〇SHIBUYA SKY
「高いなぁ」
「あそこ代々木公園だな。よく母さんとお弁当を持って行ったよな」
夏帆は目を閉ざしていた。呼吸の度に微かに上下していた胸も動かない。
「見ろ、あそこのデパートで買ったぬいぐるみ、いつも抱いて寝てたよな」
「文化村で観た演劇。俺は途中で寝てしまったけど、お前は幕が降りても、ずっと拍手していたっけ・・・」
「みんなで行った都庁やスカイツリーまで見渡せる」
どれも楽しい思い出ばかりだ。
夏帆、ありがとう。
〇水たまり
「おつかれさまです」
渋谷川の掃除をしていると館長と呼ばれていた男が欄干から顔を出した。
館長「この時期は水が冷たいので、大変ですね」
革靴が濡れることも構わず、男は川底に降りてきた。
「いやぁ、とてもやりがいのある仕事ですよ」と差し出された暖かいコーヒーを受け取った。
「特に天気の良い日は、水面に映る青空が綺麗なんです」
立てかけたデッキブラシに小鳥が羽を休めていた。
〇空
小鳥は私を見つめると、小さな鳴き声をあげて空に帰っていった。
切なくて、読みながら泣いてしまいました。
子を思う親心って、なによりも深く広いものなんですね。
最後にちゃんと景色を見せてあげられてよかったです。
とても心に響く物語です。渋谷最高峰の屋上展望台、父娘にとって最初で最後の眺望は最高のものだったでしょうね。家族の思い出とともに。
最後に娘の願いを叶えてやりたいと奮闘する姿に感動しました。子供をもってから自分のことよりも子供が大事という心境の変化があったので共感しました。