エピソード1(脚本)
〇SHIBUYA109
乗り換え以外で渋谷駅を出たのは何年ぶりだろう。
といっても、今日みたいに仕事でもなければ来る用事もないのだけれど。
相変わらず、ほんとうに人が多い。
若者の街──渋谷。
ただ、ぼく自身がその「若者」だった頃、この街を自分の街だと感じたことは一度もなかった。
田舎から上京したばかりのぼくには、東京の象徴みたいなこの街への憧れより先に、妙な気後れのようなものがあったんだと思う。
よく周りを見てみれば、案外街並みは古いし、歩く人たちみんなが気張ったオシャレをしているわけでもないのだけれど。
ようやく周りを見回せるくらいの余裕をもつことができるようになったときには、ぼくはもう若者ではなくなっていた。
うまく行かないもんだね──そんなことを考えながら、人混みを縫って道玄坂へと歩いた。
〇道玄坂
随分早く着いてしまったので、約束までの時間を2階の喫茶店で過ごすことにした。
窓から道玄坂の並木が見える。
何となく人の往来を眺めていると、一組の若い──大学生くらいの男女が目に止まった。
ふたりは恋人のように見えた。
道端に並んで、男の子がもつ携帯電話の画面をふたりで眺めている。
たぶん道に迷って地図を見ているのだろう。
画面を見ながら、坂の上を指差したり、辺りを見回したりしている。
実際の道と地図とを重ねるように男の子が画面を傾け、つられて女の子も首を傾けた。
男の子はおどけてその仕草を真似てみせる。
往来の真ん中で同じポーズをとっていることが可笑しかったのだろうか。
ふたりは弾けるように笑った。
そんな他愛もない光景を眺めながら、ぼくはいつしか学生時代に秋乃と同じこの道を歩いたときのことを思い出していた。
〇道玄坂
思い出していた──といっても、もうほとんど思い出せることもないのだけれど。
その日どうしてこの坂をふたりで歩いていたのか。
そして秋乃がどんな顔をしていたのかさえも。
ただ今でもはっきりと覚えているのは、恋の終わりがすぐ近くまで来ているという予感、そして喉を締め付けるような焦燥だ。
それはこの後、別の恋愛で何度も経験するものと同じ痛みで、やがてその消化の仕方も覚えていくものだけれども。
その頃のぼくにはどうしようもなく、まだ名前をつけることもできない感情だった。
・・・
ぼくが上京して初めての恋は、空回りの恋だった。
それはきっと誰もが経験するような、ありきたりで独りよがりの、幼い恋だ。
2回生のときにぼくから告白して付き合いはじめた秋乃は、その名前の通り穏やかな秋の日のような子だった。
彼女はぼくの言葉を強く否定することは決してしなかった。
ただ控えめに微笑みながら、小さく頷くのが常だった。
ぼくは秋の陽だまりの中、箱庭のベンチに腰掛けてまどろむような、否定も肯定もない穏やかな時間を愛した。
ただ、そんな時間に心地よさを感じながら、空虚さも同時に感じていた。
その美しい箱庭には、秋乃自身の姿はなかったのだ。
いつからそうだったのだろうか。
はじめからそこに秋乃はいなかったのかもしれない。
あるいは、ずっと秋乃はそこにいたのに、ぼくが秋乃を見ようとしてなかっただけなのかもしれない。
その答えは、今はもうわからない。
もしあの頃のぼくが、秋乃の目を、仕草を、表情を、もっと正面から見ることができていたら、違った結末もあったのだろうか。
もしあの頃の、何も持っていなかったあの頃のぼくがありのままの自分で彼女の前に立てていたら、違った結末もあったのだろうか。
けれども、あの頃ぼくが見せようとしたのは、爪先が震えるほどに背伸びした自分だった。
そしてあの頃ぼくが見ていたのは、幼な子のようにただ形ある愛を求めるだけの自分自身だったのかもしれない。
まどろみの時間は、そう長くは続かなかった。
いつからか、ぼくばかりが話すようになった。
秋乃は否定も肯定もしない。
ただ微笑んで頷いていた。
ぼくと秋乃の間に天秤があって、ぼくはその均衡を願い、傾きを恐れた。
なのに、ぼくはますます自分の皿に重りを乗せ続けた。
いつからか、ふたりで出かける場所はぼくが決めるようになっていた。
上野、表参道、横浜、神保町・・・
共通体験のどこかに、秋乃の姿を見つけるきっかけがあると信じて。
たぶんぼくらがあの日渋谷を歩いたのも、そんな理由だろう。
ふたりとも、渋谷が苦手だった。
喧騒から逃げるように、道玄坂を歩いた。
道玄坂の途中。
隣を歩いていた秋乃がいない。
振り返ると、そこに立ち止まったままの秋乃が、「もう帰ろうか」と言った。
そうしてぼくは、この恋が終わるのを知ったんだ。
〇道玄坂
ぼくがみっともない恋の思い出にふける間に、さっきの恋人たちは行き先を見つけたようで、ふたり並んで道玄坂を上っていった。
ガラス越しでも伝わってきそうな、軽やかな足音を残しながら。
ああなりたかったんだけどな・・・。
なれなかったなあ。
そんなことを考えながら、ぼくは席を立った。
街にいるカップルに自分と誰かを重ねてしまうことってありますよね。私の場合は過去に重ねることよりも、ご高齢のカップルをみて、いつかこんなふうにこんな場所でふたりのような関係が作れたらいいなと未来を夢見ている瞬間があることにも気付かされました。どちらにしても、いまはなき幻想だから美しいのでしょうか。
過去を思い出し彼女との思い出を回想する中で、彼女の穏やかな性格に、言葉では言い表せない二人の終焉を醸し出したストーリーが寂しかったです。
切ない気持ちが絡まって、でもたぶん今じゃないと、それがわからないような気がするんです。
道玄坂を歩くカップルと、かつての自分を重ねてるんですね。