多重露光(脚本)
〇渋谷駅前
雑多。雑多である。
私にとって渋谷はそんな街に映って見えた。
めまぐるしく動く人の群れ。
車の波。音。気配。
隙間がない。居心地がない。そんな感覚。
〇ハチ公前
ハチ公像はふたつある。
私はそのことを知っている。
渋谷のハチ公像はいつだって喧騒に包まれ、記念撮影に、目印にとその役目に追われている。
――疲れないだろうか。ふと思う。
「疲れないだろうか」
実際に問うてみれば、ハチ公像は小さく笑んだ。
「ぼくはこれが好きなのだ」
曰く、楽しいらしい。
――楽しいのか。
私には理解できない境地だった。
「変わってみるかい?」
ハチ公像に見下ろされる。
愛想笑いしか返せなかった。
〇渋谷の雑踏
雑多。雑多である。
どこへ行っても静かなところはない。
渋谷は眠らない。
人の気配があるからだろう。
街の明かりがあるからだろう。
闇がない。暗さがない。
陽気で軽やかで、騒がしい。
私は、私を否定された心地になる。
闇は在ってはいけないのだろうか。
「視点を変えるのだよ」
渋谷という街が、俯く私にそう囁いた。
「この街は、闇で活きられない者を掬っているだけさ」
視点を変える。・・・視点を変える。
つまり私は、ただ渋谷に、馴染めないだけなのだろうか。
「きみが馴染める街もあるよ」
渋谷の街は快活に笑った。煩い笑い声だったが、不思議と嫌な感じはしなかった。
〇渋谷の雑踏
――眠くならないのだろうか。ふと思う。
「眠くならないのだろうか」
実際に問うてみればまた煩く笑われた。
「騒がしくないと眠れない質でね」
私は目を丸くして、なるほど目から鱗が落ちるとはこういうことかと感心した。
先入観とは恐ろしい。
視点を変えよう。
渋谷の街がそう言うのなら。
〇渋谷のスクランブル交差点
雑多。雑多である。
騒がしいとは賑やかであり、隙間がないとは一体化である。
渋谷は加算式なのだ。誰かが居なくても機能するが、誰かが増えれば隙間が埋まる。声が広がる。音が膨らむ。
そうして渋谷の街は安寧の眠りを得て、ハチ公像は逸楽に耽る。
ならば私も敢えて隙間に埋まり雑踏に溶け込めばどうなるか。
試してみようとして、やめた。
きっと私はその瞬間、個性を失い、渋谷の街の一部になって、機能することをやめてしまうだろう。
人で在ることをやめてしまうだろう。
それはきっと、ただ悲しいだけだった。
〇駅のホーム
発車ベルの音が鳴る。私は駆け足で電車に乗った。少し息が上がった。ハチ公像に見られていたら笑われたかもしれない。
「またおいで」
渋谷の街の声がする。
見送りに来てくれたらしい。
「また来るよ」
はっきり言って渋谷は苦手だ。でも。
そういう場所にこそ、私が見落としているものがあるのかもしれない。そう思ったら少しだけ、雑多であるのも悪くないと思えた。
いつか大館のハチ公像の写真を撮ってこよう。渋谷のハチ公像に見せたら喜ぶかもしれない。
・・・その光景は、他人に見られたら珍妙かもしれないが。
〇黒
渋谷は雑多で陽気な街だ。
人も、人以外も、音も、空気も歌っている。
今度母にそう伝えようと思った。
チェロがメインの、バッハのプレリュードが浮かんできました。たゆたう、初めての感覚でした。感謝。
絵本のような、ドラマのような、
ゆったりと見ていたくなる物語でした😌
タイトルがオシャレです✨
新しい環境に馴染めないとき、意外と自分がバリアを張っていることってありますよね。何だか共感しながら、分かると思いながら読ませて頂きました。