読切(脚本)
〇黒背景
僕は数学が苦手だ。
いや違う。
苦手というのは恐らく適切ではない。
ではなにか。
言い直そう。
僕は数学が嫌いだ。
数学的記号を見れば眉間にしわが寄る。
読書好きで未知と探求を愛すはずの脳は、そこに意味を見出す行為そのものを拒否しようと激しく抗う。
そうだ。
奴との出会いは第一印象からして良くなかった。
〇通学路
O府H市。
テーマパークと有名な書店以外、住宅しかない片田舎にあった小学校を卒業した僕は
いわゆる家庭の事情でK府K市へと引越した。
〇神社の本殿
ザ・K都、という風情の繁華街の中心にこじんまりと建つ
それでいて歴史があり由緒正しく閉鎖的な、ザ・K都、という趣の中学校へと入学した。
〇大きな木のある校舎
新しい学び舎は控えめな校舎に合わせ生徒数も少なく
グラウンドは直線で百メートルを取る広さがなく、長距離走では曲線を疾走した。
恐らく倍はあったであろう小学校のグラウンドを懐かしく思いながら、僕は常に斜めになって走った。
〇数字
事の本質に触れておこう。
どうして数学と呼ぶようになるのか。
これまで算数であったものの名称が変わるだけだろう。
O阪からK都へと移り住み、小学生から中学生へと変化し、斜めに走る僕がそれでも僕であるように。
最初の授業の前は、まだそんなふうに考えていた。
算数は嫌いではなかった。
むしろ友人たちと解答の速さや得点を競うのはゲームのようで楽しかった。
だが僕と奴の交わらぬ宿命を象徴する日は、否応もなくやってきた。
〇教室
初めての数学の授業の日。
もしかするとその授業は初日ではなく二度目であったりしたかもしれない。
なにぶんその後の印象が強烈で細部は覚えていない。
しかしはっきりと覚えている。
奴と出会ったそのとき、僕は強烈な違和を感じた。それだけは今でも決して忘れはしない。
まず正と負の数という概念と表記について習った。
記号そのものには小学校でも馴染みがある。マイナスに関しての理解はすんなりといった。
そして次にやってきたのが奴だ。
『文字と式』。
中身を知る前はふうん、と、特に何の感想もなくページをめくった。
そして。
「文字を使った式。さまざまな数量について、文字を使った式で表すことができる」
「文字の表し方【積】。かけ算の記号×は省くことができる」
「このとき、数を文字の前に書く。
(例)80×x=80x 文字はアルファベット順に・・・・・・」
待て。
なぜおまえがそこにいる。
念のため続きに目を通す。
「(例)y×x×5=5xy」
・・・・・・違う。
そこは数字の領域だ。
「x」そして「y」。
おまえたちは数字ではない。
文字、それもきちんと言語表記として認識されているアルファベットだ。
さらに次の式では「a」が三度掛けられており、
イコールのあと、あろうことか遠慮がちに小さくなった3を肩に乗せるように、我が物顔の「a」がそこに収まっていた。
そこは数字の場所だ。
なぜ貴様が当然のように彼らを押し退けそこにいる
驚愕だった。
文字と式。文字式。
意味は分かる。
特定の文字を数字の代わりとして、計算を円滑に、効率的に処理するための仕組みだ。理解はできた。
だが理解できるのと納得できるのは別だ!
これは「数」学ではないのか。
本質が数ではない文字どもが堂々と、数字よりも目立つ形で前に出ているのが「数」の学問だとでも言うのか。
そんな不条理がまかり通っていいのか!
馬鹿げている。
そこからは全てが理不尽で、疑わしく思えた。
〇おしゃれなキッチン
僕「○○と△△を混ぜ合わせオーブンで十分焼くとこちらができ上がります」
僕「○○と△△は2:1の割合がおすすめです。△△がなければ□□でも美味しくできます」
〇教室
汎用性の高い調理方の場合、○△□には様々なものが入るだろう。
文字式とは、それを文章以外で簡潔に纏めたようなものなのだろう。確かに便利だ。
だが数字たちよ。
利便性のために我こそが数であるという誇りを売り渡していいのか。
この学問の主役は紛うことなく我々であるのだと胸を張って言えるのか。
あるいは彼ら自身がそれを欲したのか。
直売所で売られている瑞々しく気高い野菜ではなく、袋入りのカット野菜のような望まれる利便性と手軽さを。
数字を、覚えにくい、見づらい、ややこしいと嫌うものもいる。
文章と違い連続的意味の薄い分、数字を暗記するのは難しい。
しかしだ。
一つ一つの数字には個性があり美しさがある。
自らを他と均等に分かち合えるもの、孤高のもの、その意味、その形。
果ての見えない羅列が奏でる円周率が内包する美しさ。
たとえ咄嗟に浮かぶのが3.1415までだとしてもだ。
それなのに。
「π」て。
パイだぞパイ。
こちとら思春期だ。
絶対違うもん思い浮かべるわ。
しかも「x」や「y」ならともかくおまえ誰だ。何語だよ。
そしてこのおまえ誰だ問題は、この後高校数学を経てピークを迎える。
〇学校の校舎
外科医って格好いいよな。と、
ハマったドラマの影響程度で進路を決めたド文系の阿呆が、
とち狂って理数クラスを志望し、うっかり受かってしまうためだ。
かくして因縁の扉は開かれた。
サイン・コサイン・タンジェント。
引き伸ばされたSにしか見えないインテグラル。(こいつ→∫)
ラテン語とギリシャ文字の影に忍ぶ、ドイツ語の頭文字(イニシャル)よりの刺客。
文系の魂の叫びが響き渡る。
僕「言語統一しろやああぁぁぁ!!」
そして・・・
バイトにかまけサボることを覚えた高校生の僕が数日ぶりの数学の授業で出会ったものとは。
――次回、「呪文」
※ウソ予告です
END
〇ソーダ
僕「最後までおつきあい下さりありがとうございます!」
僕「このエピソードはほぼ実話でして」
僕「おバカな話として少しでも笑って頂ければ幸いです」
僕「それではまたお会いできますように」
僕「ありがとうございました!」
こんばんは
私も文系ですが同じく数式というくせに例えてxやyが出てくる感覚はとても違和感がありました(笑)なぜ?なぜ?てひとつひとつ考えて最終的に数学とはみたいなばかな哲学に発展してました😂
大人になって一番嬉しいことがもう数学を学ばなくていいことだと思うくらいゴリゴリの文系の私ですら苦笑いを禁じ得ない作者さんのこじらせぶりが最高です。「文字の助けを借りる数学って、敵国の武器を借りて戦争するヘナチョコ軍隊かよっ」という心の叫びが虚しかった当時を思い出しました。
多くの人が感じたであろう”数学”への違和感、これを理路整然と言語化していて笑ってしまいました。言語統一の要望、同じこと考えましたww 私は「点P大人しく止まれ!」という叫びを繰り返していました