#月萩町(脚本)
〇電車の中
ひとり、ボックス席に腰かけながら、
私は規則正しい列車の揺れに身をゆだねていた。
がらんとした車内は静かで、
車輪が線路の上で跳ねる音だけが聞こえている。
窓の外は、もうずいぶんと長いこと、
真っ黒な闇があるだけだったけれど、
なんてことはない、
トンネルの中を走っているというだけだった。
ともすれば、
今が日暮れ前であることすらも忘れてしまいそうになるほどの、長いトンネルだ。
とうに見飽きた黒塗りの闇から、
窓ガラスに映る自分の顔へと焦点を合わせる。
退屈そうな眼差しが、私を見つめ返した。
私が目指す町の奇妙な噂話は、
あるいは、
この――あまりにも長すぎる――トンネルに由来しているのだろうか。
〇電車の中
ややもすれば、
トンネルとは異なる世界へとつながる道の象徴として語られる。
鏡や階段、
四つ辻などといったものも同じだが、
少なくとも、
トンネルというものに人がそういった神秘性を見出すのは、
入る前と出た後の景色が、
がらりと変わるからなのだろう。
そしてそれは、
胎中の赤ん坊が
狭い産道をとおって、
人の世へと生まれ出ることに似ていると、
私は思う。
私自身はもう覚えていないものの、
人間なら誰もが一度は経験しただろう、
生命誕生の神秘だ。
あるいは、
潜在的なものとして当時の記憶を残しているからこそ、
私はその神秘を
トンネルというものに重ね合わせているのかもしれない。
〇電車の中
語り合う者もなく、
詮無いことを考えながら、
私はトンネルの向こうにあるという町の噂を思い起こした。
そこでは、
人も、事象も、町並みも、
すべてがツギハギである──
〇電車の中
ツギハギのまち、
とまで称されるその町は、
正式な名を月萩町という。
別称は、
本来の町名をもじったものなのだろうが、
それにしても、
人や事象、町並みがツギハギである
というのは、はたして一体どういうことなのだろうか。
町並みについては、
様々な建築様式が入り交じっていると推察することもできる。
だけど、
人と鳥獣が接ぎ木でもされたように混ざり合っているというわけではないだろうし、
事象にいたっては
何をどうしたらツギハギになるのか見当もつかない。
とあるオカルト雑誌によるところでは、
現世と三千世界とのあわいにあるため、
神隠しなどといった怪現象が日常的にあるのだとあった。
現代社会においては、眉唾ものだ。
しかし、
火のないところに煙は立たないともいう。
すべてが真実ではなくても、
噂のもとになるような逸話などはあるのかもしれない。
〇電車の中
私が月萩町へ向かっているのは、
ひとえに
小説のネタにできないかと思ってのことであった。
作家ではなかった。
ただ、
作家にあこがれ、
作家を志していた。
私は、常に興味深いネタを探していた。
思い立つが早いか否か、
私は荷物をまとめ、実家を飛び出していた。
〇電車の中
ほどなくして、
窓の外に石造りの壁が見えた。
すこし苔むしたそれは、
トンネルの壁面だった。
進行方向に、まっしろな光が見える。
がたんと、車両が揺れた。
さっと、窓から日の光が差しこむ。
たまゆら、
まぶしさで目をつむったうちに、
私が乗る列車は、トンネルを抜けていた。
〇電車の中
遠くに、赤い、大きな鳥居が見えた。
向こうには、
月萩町とおぼしき町並みがあり、
そのさらに先には
鮮やかな青が広がっている。
車窓を押し上げて、
車内に風を呼びこめば、
かすかに、潮のにおいがした。
「あれが、月萩町」
誰にともなく呟いた言葉だった。
けれど、
私はそれに応える誰かの声を聞いた。
背後を振り返る。
列車の中には、
私以外の、誰の姿もない。
無論、列車の外にも。
それでも、たしかに私は聞いていた。
若い男の声で、ようこそ、と──