〇手
現代知世「アナアナ・・・アナ・・・タタタタタタ マ・・・タコノノノノ・・・テテテテンカ・・・イネネネネネネネ」
　　やれやれと言わんばかりに首を横に振りながら、小さくため息を吐く。
　　そして赤黒い血のような光を放った筆先をそいつに向けた。
鏡己人「俺っちに、何の用だい。お姉ちゃんよ」
　　齢は16といったくらいか。
　　見た目はまるで女子高生だ。
　　
　　眼球がないことを除いては。
現代知世「ワタ・・・シコヒトヒトノ・・・エガガガガスキナノオオオ──」
　　俺はふふっと、鼻で笑った。
　　
　　すぐに俺は理解した。
　　今回の相手はホラーやそこらだろう。
　　うじゃうじゃと湧き続けるこの化け物は、こちら側の時間なんて全く気にしてはくれない。
　　本当に自分勝手なご都合主義だ。
　　まあ、それはお互い様か──
鏡己人「気持ち悪いねえ。でも残念ながら絵なんてどこにもねえぞ。この世界にはなぁ」
　　彼女と意志疎通が取れない。それでもなお、そう呟いた。
　　目や口が無数にある怪物や、人とは異なった構造のモンスターを期待されても困るんだよ。なんてったって、ここは文字の世界だ。
　　そしてもう一度そいつを見た。
　　
　　やはり、眼球がない。
　　両方とも抉り取られているように、からっぽだ。使いすぎたのだろう。
　　片側からは涙ではない、何か赤い液体が滴り落ちている。
　　もしも涙であれば、ハンカチくらい渡してやるが今回ばかりはお断りだ。違う世界に来てしまったのはお前の方だ。罰は受けてもう。
鏡己人「あばよ、お姉ちゃん。違う世界へ逝ってくれ。ここはお前さんが来るような場所じゃねえんだわ」
　　相手の急所に意識を集中させる──。
　　そのときにはもう、筆先が両目に突き刺さっていた。
　　どばっと、赤い液体が大量に滴り落ちる。気色が悪いにも程がある。
　　
　　そして、そいつは足先から黒い水蒸気となって消えていく。
　　別れの言葉を期待してはみたが、
　　そんなものは当然なかった。
　　そして跡形もなく消え去ったいくのを眺めながら、煙草に火をつけた。

〇手
浮世文豪離「汝身分相違、浅思慮恥──」
　　今度は和服姿の爺さんか──。
　　そいつは理解不能の言葉をつぶやき、どこからともなく目の前に現れた。
　　髪の毛はぼさぼさだが、額から禿げてきている。
　　胸元が少しはだけていて、どこかだらしない身なりだ。
　　それにしてもあぐらをかいて、腕を組んでいる仕草がなんとも偉そうだ。
鏡己人「相も変わらず、あんたたちは節操がないねえ。今何時だと思っていやがる」
　　目を擦りながら、そいつをよく見ると両方の耳がない──。
浮世文豪離「文学己崇高、学事生一」
　　耳がない上に、瞼は閉じているので俺はコミュニケーションをさっさと諦めた。
　　そのときだった。
鏡己人「ああっ──!!」
　　何となく見覚えがあるそいつは、
　　どこかの文豪だった。
　　
　　なるほど、と心の中でつぶやく。
　　今回の相手は、どこぞのくだらない純文学みたいだ。
　　
　　小学生のときに読んだその小説は、今でもよく思い出すことができる。
　　強烈なインパクトは、読み終わったあと脱力感を覚えるほどだった──。
鏡己人「あまりにもつまらなかったもんでね」
　　嘲笑を交え、ぼそっとつぶやいた。
　　
　　それでもこいつの恐ろしいところは、最後まで読みきらせてしまうところだ。
　　漫画や映画のような描写であれば、つまらないと感じたらすぐに見ることをやめるだろう。
　　しかし、文章という描写は文字の羅列でしかない。読み始めたら、簡単にはやめられないのだ。
鏡己人「あんたに奪われた俺っちの時間、あんたから奪い返させてもらうよ」
　　一応、宣戦布告しておく。何故なら、もう俺は相手の急所に狙いを定めていたからだ。
　　その瞬間にはもう既に、両耳へ筆先がめりこんでいた──。
　　そうだ、こいつが成仏する前に聞きたいことがある。
鏡己人「なぁ、あのつまらない与太話にはどんな意味があったんだ？」
　　尋ねたときにはもう、禿げ上がった額から下はもう消えていた。
鏡己人「またあいつらの思う壺・・・か」
　　うなだれつつ、俺はそっと煙草に火をつけた。

〇不気味
　　カリッカカカ・・・サッサッ──
　　シュッシュッシュッ・・・
　　なんだこいつは。
　　顔や身体の輪郭はあるが、
　　その他なにもない。
　　そう、色さえも。
鏡己人「一応聞くが、何者だい？ その音がうるさくて寝れないんだよ」
　　音が一向に鳴り止まない。
　　右手のような部分が止まることなく動いている──。
ラッセル▪ネロ▪カンティーネ「仕上げの段階に話しかケルナ。 乾いてしまったらドウスルンだ」
　　あの音といい、仕上げだの乾くだの、
　　こいつは、きっと絵画のなんかだろう。
　　西洋の画家ってところか──。
鏡己人「しかし、あんたもまた不気味だねぇ。 画家のくせに、何で自分は無色なんだい？」
　　相当集中しているのだろう。
　　一切返事がない。
　　こいつもまた、自分の都合で俺を振り回そうってことか。
　　俺は鋭くとがった筆先をそいつの右手に向けた。
鏡己人「どれどれ、どんな絵を描いてるんだい？」
　　俺は気付かれないように、
　　背後から描いている絵を覗き見た。
鏡己人「な、なんだよこの絵は・・・」
　　人の顔らしきものが描いてあるが、
　　目も、鼻も、口も、位置がぐちゃぐちゃだ。
　　そして『ヒト』とは似ても似つかない色で塗られている。
鏡己人「分かる人には分かる・・・ってやつか」
　　残念ながら俺にはさっぱり分からない。
　　余計に腹立たしくなってきた。
　　作品に注ぐ情熱は、
　　見れば否応なしに伝わってくる。
鏡己人「でもな、ここは俺っちの世界なんだよ。 お前とは趣味も合わねぇし、違う世界へ逝ってくれ」
　　『みんな違ってみんないい──』
　　裏を返せば、
　　『みんな同じではない、嫌いなものは嫌い』
　　それが俺の本音だ。
　　こんな時間に現れて、自分の好き放題やる。
　　そんな自分勝手なやつは、自分勝手な俺が成敗するぜ。
　　俺は急所めがけて、筆先を突き刺した。
　　そこからありとあらゆる色の液体が溢れ出た。
鏡己人「あーやだやだ。 絵もその液体も気持ち悪いぜ」
　　消えゆく体を見ていたが、
　　右手だけは最後まで動き続けていた。
　　執念だけは認めてやる──。
　　俺はポケットからライターを取り出し、煙草に火をつけた。