起 +2(脚本)
〇荒れた倉庫
や、やめてくれ! 頼む、頼む────!
泣き叫び、消化し切れていないものを吐き散らかした床の中心を転がる、残念な人間。
やめてくれ・・・・・・?
嘲笑を含んだ声音が、転がる人間の懇願を反復する。
やめてくれ・・・・・・
やめてくれ、ねぇ?
伸ばされた手、まさぐる手。
四肢を引き伸ばし、押さえ付けた手。
「やめてって、」
・・・・・・も言ったよね
あのとき。
無様に手足をばた付かせて。
やめて触らないでと切願した。
「でも、」
やめてくれなかった、
「でしょ」
────じゃあ、やめなくて良いよね。
やめてと言ったのに、やめてもらえなかった。
ただ嗤うだけだった。
嗤って、
“たいせつなもの”を、
引き裂いてぐちゃぐちゃに掻き回して。
蹂躙して、壊した。
じゃあ、・・・・・・良いでしょう?
・・・・・・ぁっ、
ぁあああああああああっ
踏み躙って、潰して、掻き荒らして。
ぶちっ。
ぶちっ。
あのときの血の味。
けど、今の血の匂いは────。
・・・・・・
〇公園のベンチ
沙汰「しっかし・・・・・・」
沙汰「被害者の共通点が端末ねぇ・・・・・・」
昏木「個人単体だったら不審に思わないでしょうけど、」
昏木「幾つもの端末が似たような内容となったら、不自然ですからね」
沙汰「ふん」
沙汰「・・・・・・で、どうすんだ」
沙汰「端末を調べるのか?」
昏木「それは科警研や鑑識に任せましょう」
昏木「・・・・・・それとも、沙汰さんがします?」
昏木「高専出身の、昔取った杵柄で!」
笑顔で昏木がした発言に、沙汰が顔を顰めた。
沙汰「お前ね」
沙汰「高専に行ってりゃ技術系は、何でも出来ると思うなよ」
沙汰「専科に依っちゃ、出来ることと出来ないことが在んだよ」
沙汰「大学で言う学部といっしょなの! わかってんだろ!」
沙汰の抗議に、
昏木「あはは、」
と昏木は笑うだけだ。
昏木「そうですね。じゃあ、僕らは・・・・・・」
昏木が言葉を切って周囲を見渡した。
規制線のテープを隔てて、群がっていたのは報道関係だけじゃ無さそうだった。
沙汰「ったく・・・・・・」
沙汰「あー言う、マスコミ気取りも増えたな」
舌打ちした沙汰の指す“マスコミ気取り”とは、
スマートフォンやカメラを構え内部を撮ろうとする一般人のことだ。
承認欲求を満たすため、どうにか刺激的な画を得てネットに上げたいのだろう。
右往左往する警察官の脇や肩の上へ端末を持つ手を差し込んで、撮影していた。
昏木「・・・・・・」
うんざりした体の沙汰。この隣で昏木が、じっ、と群衆を凝視する。
沙汰は
沙汰「────」
口を噤んだ。
無機質にも思える昏木の目線が探すみたいに彷徨って、
やがて焦点が
昏木「沙汰さん」
定まった。
昏木が微かに笑んで、沙汰を呼ぶ。
沙汰も、昏木の眼差しの示す方向を見定めて。
昏木「聞き込み、と参りましょうか」
〇ゆるやかな坂道
「────ちょっと良いかな」
びくっと、声を掛けた相手が体を揺らす。
沙汰が昏木の視線を追って見たとき。
相手も注目されていることに気が付いたようで、踵を返して公園を出ようとしていた。
そのまま一度逃がし、昏木と沙汰は公園からある程度の距離が出来てから呼び止める。
昏木「きみ、あそこの公園で撮影してたよね」
相手は、学生服の少年だった。
マスクをし、帽子を被っている。
制服はきちっと着こなして、明らかにアンバランスな格好をしていた。
沙汰「ちょっと話を聞かせてもらえるか?」
ゆったりと近付く二人に、少年はじりじりと後退する。
一気に間合いを詰めたのは、昏木だった。
昏木「きみ、」
昏木「・・・・・・の生徒だよね?」
小声で囁くみたいに耳打ちされ、
少年は先程呼ばれたときよりも、びくりと震えた。
昏木が出したのは都内でも有数の、有名進学校の校名だった。
沙汰「マスクと帽子で隠してるが、調べればすぐにわかる」
沙汰「・・・・・・この時間帯はとっくに学校が始まっているんじゃないのか?」
沙汰「それとも、制服は身分隠しのコスプレか?」
昏木に続き沙汰が言う。
声には凄味が有り、言われた少年は硬直して唾を飲み込んでいる。
昏木「沙汰さん、」
昏木「駄目ですよ」
昏木が頬を膨らませて、沙汰を咎めた。
昏木「彼の服装はコスプレなんかじゃないですし、どう見ても未成年ですよ」
昏木「そんな言い方、脅しているみたいじゃないですか」
昏木「怖がらせちゃ駄目ですよ!」
めっ、なんて幻聴が聞こえそうな怒り方で、沙汰は顔を顰める。
沙汰「お前ねぇ・・・・・・」
沙汰「別に脅してないだろ」
昏木「沙汰さんは、無駄に圧が在るんですよー!」
昏木「子供なんだから、もっとソフトに・・・・・・ソフトに!」
昏木「ねぇ?」
沙汰を非難しながら、後半は固まった少年に投げ掛けた。
柔和な昏木にほっと息を付く少年は、
次には目を見開く羽目になる。
昏木「────じゃあ、」
昏木「話を聞かせてくれるよね?」
昏木は、やわらかい笑みを浮かべているだけのなのに。
動画撮影者「っ、」
昏木「大丈夫」
昏木「怖くないから・・・・・・」
昏木「ね?」
少年には猛獣が牙を剥いて、舌嘗め擦りしている風に錯覚したのだ。
誘導に添えられた背中の手も、砥がれた刃物が宛てられているような・・・・・・。
沙汰「・・・・・・」
少年の様相に、沙汰が溜め息を吐く。
どっちが無駄に圧が在って、どっちが脅しているみたいなんだか、と。
〇新緑
昏木と沙汰は、現場とは反対方向へ少年を連れて行く。
少年が先導されたのは、マンションとマンションの間に作られた、
木々と金網でぐるりと囲いがされている小さなスペースだった。
元は喫煙所だったのだろうか、
時代の流れに逆らえず撤去された灰皿の台座らしきものが、残っている。
ベンチは在っても遊具は無く、本意で休憩所のようだ。
少年をベンチに座らせ、事情聴取する。
少年は昏木の想定正しく、着ている制服通りに都内の有名進学校の生徒だった。
動画撮影者「・・・・・・」
動画撮影者「俺、この辺に住んでて」
動画撮影者「今朝も学校行く途中でした」
動画撮影者「そしたら、あんな大騒ぎが起きていて」
とっさに、持っていたスマートフォンのカメラ機能を起動させて撮影を開始したのだそうだ。
帽子とマスクは、せめて学校以外の身元がバレないようにと言う配慮でなく。
沙汰「・・・・・・ん、」
沙汰「もうマスクを戻して良いぞ」
昏木「花粉症なんだっけ」
昏木「大変だね、アレルギーは」
動画撮影者「あ、いえ・・・・・・」
動画撮影者「ありがとうございます」
どうやら極度のアレルギー体質だそうで、普段から欠かせないのだとか。
帽子は髪の毛に物質が付着するのを防ぐためで、精神的な意味合いも在るみたいだ。
学生証との身元確認を終えたら元に戻させる。
動画撮影者「知り合いに見せようと思っただけで」
動画撮影者「・・・・・・あっ、」
動画撮影者「だからあのっ、動画上げたりとかするつもりは無くて!」
警察相手に、動画を拡散しようとしていると思われるのはマズいと考えたのか、
ごにょごにょ言い訳を始めた。
昏木「そう」
昏木「そうしてくれると助かるよ」
動画撮影者「ぅえ・・・・・・?」
動画撮影者「信じてくれるんですか」
昏木「信じるも何も」
昏木「きみ一人がやめても、あれだけの大勢が撮っていたからね」
沙汰「ま。誰かしらはネットに上げるだろうよ」
昏木に追随して、沙汰が呆れを隠さず愚痴る。
二人の反応に拍子抜けした少年は、更にさっぱり、あきらめている二人に吃驚した。
動画撮影者「た・・・・・・大変なんですね・・・・・・」
ご時世なのだろう。
撮っていた自分が言うのも烏滸がましいが・・・・・・
少年は自戒する。
己を戒めている少年を顧みず
昏木「それより、」
昏木が、じぃ、と見詰めた。
昏木「きみ、何か知ってるよね?」
昏木「ガイシャ・・・・・・被害者のこと」
動画撮影者「ぇ、」
昏木「知ってるよね?」
にこにこ微笑を崩さず、昏木は重ねて問うた。
少年は、冷や汗が出て来る。
〇血しぶき
この昏木と言う刑事は、人の好さそうな微笑を湛え一見温和に見えるけれど、
その実、唐突に畏怖を抱かせる人間だった。
動画撮影者「・・・・・・っ」
少年の背筋に悪寒が走る。
言うなれば楽しい道中で、崖で足を踏み外したときみたいに。
少年は
動画撮影者(“一件の重大事故には、二十九の軽い事故と三百の事故とも呼べない事故が在る”)
────ハインリッヒの法則をなぜか想起した。
振り払おうと、頭《かぶり》を振る。
〇新緑
昏木「どうかした?」
動画撮影者「ぃ、いえっ・・・・・・」
踏み外した崖を覗き込んで確認し、後悔した・・・・・・
少年は昏木を前にこう感じていた。
妄想だ。
けれど、はたと、少年は考え直す。
踏み外したのは崖じゃなく、沼だったのではないだろうか。
〇森の中の沼
底が見えない、
水面は鏡面で自らの姿が映るのみの、
底無し沼。
嵌まれば、どろりとした水に自由を奪われる。
昏木はヒトなのに、人のはずなのに、
・・・・・・少年は恐ろしい沼を覗き見した気分に襲われていた。
〇新緑
昏木「で、」
昏木「きみは知ってるよね」
昏木「被害者のこと」
動画撮影者「え、や、」
動画撮影者「知りません」
動画撮影者「どうして・・・・・・そう思うんですか?」
昏木「ん?」
昏木「勘?」
動画撮影者「勘、て・・・・・・」
あっけらかんと、昏木が言い放つ。
少年は昏木の調子に、気が抜けた。
気を抜いてはいけないと、ハインリッヒの法則まで思い至っていたのに。
昏木「だって、きみだけ違ったから」
動画撮影者「へ・・・・・・?」
昏木「きみだけが、」
昏木「好奇心や興味本位の中で、怯えているのにカメラを回していたから」
昏木はにっこり笑った。
昏木「安全なラインの内側にいる人間は、怖がって見せても所詮、」
昏木「肝試しにお化け屋敷へ入る気持ちにしかならないんだよ」
昏木「他人事だからね」
昏木「けれども、きみは違ったよね、」
安全なラインの外側で足踏みしている人間の目だったよ────
説く昏木に、少年は唾を飲み込んだ。
両手を摩る。
昏木「宥め行動」
動画撮影者「ぇ」
昏木「きみは、何を知っていて、」
昏木「何を恐れて、」
昏木「何で“踏み止まって”いるの?」
動画撮影者「・・・・・・」
少年の完全に下がってしまった目線が、
振り子の如く地面の上を左右に激しく振れて這った。
動揺し、萎縮する少年を、すくったのは。
「やめてやれ、昏木」
〇新緑
沙汰だった。
苦虫を潰した面持ちで、昏木を睥睨している。
昏木「やめてやれ・・・・・・」
昏木「とは?」
沙汰「追い詰めるな、って言ってんだ」
沙汰「はぁ、・・・・・・」
沙汰「悪かったな」
膝を折って、沙汰は少年と目を合わせて謝った。
少年は久方振りに人間を見た気になって、涙目になってしまった。
実際の時間は、ほんの数分足らずだっただろうに。
動画撮影者「ぼ、僕っ・・・・・・」
沙汰「ん?」
沙汰の介入に安心した少年は、
堰を切ったように喋り出した。
動画撮影者「ネクタイを見て・・・・・・!」
沙汰「ネクタイ?」
動画撮影者「公園の木に引っ掛かってた、」
動画撮影者「ネクタイ」
動画撮影者「・・・・・・警察の人が、回収してた」
少年の説明に、沙汰と昏木は、ああ、と得心した。
少年が言うのは、現場に散らかっていた遺留品のことだろうとわかったからだ。
昏木「そのネクタイが、どうかした?」
昏木が口を挟むと少年は、
動画撮影者「ひっ、」
と声を飲み込んでしまう。
沙汰が片手をひらひらさせて、昏木を追い払う。
ぶーっと唇を尖らせ、昏木は数歩分、少年と沙汰から離れた。
沙汰「・・・・・・」
沙汰「ネクタイが、どうかしたのか?」
沙汰が再度、昏木が尋ねたことを訊くと、少年は今度こそ答えた。
動画撮影者「あのネクタイ・・・・・・」
動画撮影者「姉ちゃんが買って、大学の人に贈ったものと、そっくりだったんだ・・・・・・」
動画撮影者「同じ大学じゃなくて、」
動画撮影者「“サークルでお世話になった人”」
動画撮影者「だとか、言ってた」