叫ぶ女

mozu9

読切(脚本)

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〇雪山
  女は歩く。
  飛騨山脈の岩場を踏みしめ、一定に漏れる息が風に乗って流れてゆく。
  一人分にしては十二分に詰め込まれたザックは、彼女の肩に爪を食い込ませている。
  目的地まではあとわずかとなっていた。
  頭の中を空っぽにするように、歩くことだけに集中する。
  踏み出す足の間隔は短く、その分ペースは速い
「こんにちは」
  視野が狭くなっていたのか、声を掛けられるまで人の存在に気付かなかった。
  山道の端に座る女性が一人いる。
女「こんにちは」
女性「あなた一人?」
女「はい」
女性「まあ、すごいわね」
  貴女こそ、という言葉を飲み込んで、会釈をしてから先を進む。
  少し休みたかったが、この女性と話し続けることを考えると先を急ぐほうがよさそうだった。
  吐息だけを置き去りに歩を進め、10分ほどで頂上付近に着いた。
  ここまで来れば、とザックを下ろして荷物を漁る。
  双眼鏡を取り出して、周囲を見渡した。
  目当てのものは、ない。
  荒かった呼吸は少しずつ収まってきている。
  同時に、透明だった思考に一滴の不純物が混じる。
  考えたくもない雑音が、やがて目の前も濁らせる。
女「ばかやろー!」
  肺が締め付けられるように、痛みが走った。
  それは言葉のせいか、高所のせいか。
「嫌なことでもあった?」
  女が振り向くと、先ほどの女性が立っていた。
  いつの間にか追いついていたようだ。
  ため込んでいたものが堰を切ったように、そして言い訳でもするかのように口を開く。
女「登山クラブの先輩が、ここまで来たはずなんです」
女「冬のアルプスが見たいって」
女「でも、それっきりで」
女「ほんとにバカですよね」
  女は言葉を吐き出す。
女性「そう」
女性「でも、さっきの言葉は本心かしら」
女「本心ですよ」
女「先輩はほんとにバカです」
女「登山なんて生きて帰ってこそなのに」
  女性は首を振る。
女性「ごめんなさいね」
女性「でも、あなたは言いたいことを言ったようには思えないの」
女性「ここまで来たのなら、ちゃんと本心に向き合うべきじゃない?」
女性「ほら、こんなにも綺麗な景色よ」
  促されて、女は見渡す。
  どこまでも遠く一望できる山々。
  何一つ隠すことのできない光景に、女は呟く。
女「バカなのは私なんです」
女「結局何も言えずに」
  暖かい感情が頬を伝う。
  たちまち風に冷やされるが、女はそれに心地よさを感じた。
女「せんぱーい!すきでしたー!」
  胸の奥の言葉を絞り出す。
  たちまち霧散するが、紛れもない真実としての言葉が残る。
  相手に届くことをただ祈って。
  女は叫ぶ。

コメント

  • 彼女は叫びながら死んでしまった先輩とやっとその山への情熱を共感したんじゃないかなあと思いました。山の魅力、そしてその恐ろしさがストレートに伝わりました。

  • 女性二人がサクサク登ってきて叫んだり会話したりできる山で死んだ先輩は山に向いてなかった。登った本人は山で命を落としても本望かもしれないけれど、残された人はやり切れないですよね。

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