残された時計の針(脚本)
〇研究施設のオフィス
19:00、広大な研究所。
仕事を終えた男が背伸びをする。
矢坂「お疲れ。コーヒー飲むか?」
暦「あぁ、お疲れ。頂くよ」
琥珀「あなたたちお疲れ様」
琥珀は暦と矢坂の上司で、天才的な科学者として知られている。
その専門は記憶に関する物らしいが詳しくは知らない。
暦「あぁ、君もお疲れ」
琥珀「ここでは私が上司よ、暦くん」
暦「あっ、すみません・・・」
琥珀「なんてね、帰りましょうか、あなた」
いたずらな笑みを浮かべる琥珀。
暦と琥珀は夫婦だった。
7年前、琥珀は暦を呼び寄せた。
リストラではないかと怯える暦に琥珀は想いを伝えた。
暦と琥珀は相思相愛だった。
それから半年後には結婚し、翌年には娘が産まれた。
〇高級マンションの一室
暦「ただいま」
緋翠「お父さん、お母さんお帰り!」
琥珀「ごめんね、1人でお留守番させて」
緋翠「大丈夫!」
暦「よーし、日曜日は遊園地行こうか!」
緋翠「ほんと!? お父さん大好き!」
琥珀「えぇ、全アトラクション制覇目指しましょう!」
その時、ふと暦がふらつく。
琥珀「あなた? 大丈夫?」
暦「あ、あぁ。なんてことない」
暦「それより遊園地のプランを練ろうか。緋翠は何に乗りたい?」
緋翠「お父さん、疲れてるんでしょ? だったらやっぱり家にいようよ」
暦「緋翠・・・お前は本当に優しいな。 でもお父さんは大丈夫だ! お父さんも遊びたいからな!」
緋翠「そう? 本当に?」
緋翠は疑いの眼差しを向けるが暦は遊園地に行く事に決めていた。
娘の笑顔が見たい、妻の明るい声が聞きたい。その一心で。
〇ジェットコースター
緋翠「きゃあああああ!!」
暦「うわあああああ!!」
楽しげに悲鳴をあげるのは緋翠、苦しげに悲鳴をあげるのは暦であった。
そして5分ほど高速で揺り動かされ、ジェットコースターは終着点に着いた。
緋翠「ジェットコースター楽しかったね! もう一回乗ろうよ!」
暦「え、えぇ!?」
琥珀「どうしたの? あなたが3回乗ろうって言ったんじゃない」
琥珀もすっかりスリルに病みつきになり、満面の笑顔を浮かべている。
暦「それは、そうだが・・・」
緋翠「早く早く!」
琥珀「あなた、手を繋いであげるから頑張って!」
暦「あ、あぁ・・・」
〇遊園地の全景
緋翠「楽しかったね!」
暦「緋翠が満足してくれたなら何よりだ」
琥珀「あなたったらお化け屋敷でも緋翠より怖がっちゃって」
暦「あ、あれはだな! 突然顔に冷たいのがぶつかったから驚いただけで、それに気付くと暗いのに隣に緋翠もいなくて・・・」
フォローすると暦はびっくり系の演出に弱く、つい大袈裟に反応してしまった。
その反応がお化け役に気に入られ、次々とターゲットにされたのだ。
緋翠「お父さんは私が守るから大丈夫だよ!」
暦「・・・はは、ありがとう」
その時暦はまたしても目眩がした。
琥珀「あなた? 大丈夫?」
緋翠「もしかしてジェットコースターに3回も乗ったから? ごめんなさい、お父さん」
悲しそうに緋翠は言う。
そんな顔を見たいんじゃない、そんな声が聞きたいんじゃない。
暦は慌てて明るく振る舞う。
暦「いや、大丈夫だ。 お父さん緋翠よりはしゃいじゃったからなー」
そして3人は帰路に着く。
〇諜報機関
暦「・・・」
暦は黙々とタイピングをしている。
石井「順調かね」
暦「はい。あなたは恩人なのにこれくらいでしか恩返しできませんが」
石井「結構だ。 君には十分すぎるほどに助けられている」
暦「はい。それに娘は・・・」
暦「あなたが作ったクローンは紛れもなく正常です」
石井「そうかね」
緋翠の正体、それはクローン人間だという。
暦は緋翠を事故で亡くした。
悲しみに暮れる暦に石井がそれならば、とクローンを作ったのだと。
石井はクローンを数年で成長させられるほどに研究を進めていた。
石井「君も家族がいるだろう、ここら辺にして休みたまえ」
暦「・・・すみません、そうさせて頂きます。 最近疲労が溜まってるみたいで」
石井「君という頭脳はかけがえのない資本だ、ゆっくり休んでくれ」
穏やかな笑みを浮かべ、労う石井。
暦もその好意を受け入れる。
〇高級マンションの一室
暦「ただいま」
22:30。
暦は琥珀より大分遅れて帰宅した。
琥珀「あなた、おかえりなさい。 緋翠が熱を出しちゃったの」
暦「緋翠が? 遊園地ではしゃぎすぎて疲れちゃったのかな」
緋翠「お父さん、おかえり」
暦「緋翠、寝てなきゃ駄目じゃないか!」
緋翠「ううん、大丈夫。 お母さん、お腹空いたなぁ」
琥珀「待ってて、今お粥作るから」
緋翠「・・・」
しかし緋翠は倒れてしまった。
暦「緋翠! やっぱり無茶したんだ・・・ 俺を心配させないよう明るく振る舞って・・・」
暦は緋翠をベッドまで運ぶ。
それから緋翠はしばらく高熱に魘されることになる。
〇諜報機関
石井「そうかね、娘が・・・」
暦「娘は3日間も熱に魘されています。 病院に連れて行っても原因が分からないとのことです」
石井「・・・考えられるのはテロメアの異常だな」
暦「テロメア?」
石井「簡単に言うと染色体の末端にある構造で寿命を決める物だ。 短くなると老化が進むのだがクローンはこれが短く生まれる傾向にある」
石井「そのテロメアが生まれつき短いことで異常が生じているのかもしれんな」
クローン羊のドリーもテロメアが20%短かったと言われている。
その結果ドリーは僅か6歳でこの世を去った。
暦「それが原因ですか・・・ なんとかそのテロメアを伸ばすことは出来ないのですか?」
石井「出来ない。 だが異常そのものは軽減できるかもしれん。この薬を飲ませるのだ」
暦「ありがとうございます、早速飲ませます」
〇高級マンションの一室
緋翠「お父さん、おはよう!」
暦「緋翠! もう良くなったのか!」
緋翠「うん! 熱も36.9度だったし大丈夫! 早く学校行きたい!」
暦「でもまだほんの少し高いし今日は休むんだ。明日になったら行こうか」
緋翠「はーい」
暦(あの薬が効いたか。たとえテロメアが短かろうがこの子は無事に成長させてみせる)
〇諜報機関
石井「そうかね、娘はあれから元気か。 ならよかった」
暦「感謝してもしきれません」
石井「まあ君のお陰で私も研究は進んだからな。 安い御用だ」
暦「はい、では失礼します」
石井「・・・出てきたまえ」
琥珀「・・・気付いてましたか」
石井「君たちの娘、緋翠とか言ったか。 あれは私が作ったクローン・・・」
石井「彼はそう思い込んでるようだな」
琥珀「はい、夫は娘がクローンだと信じ込んでます」
石井「この間の娘の熱はただの風邪だった。薬と偽ってビタミン剤を与えたが」
琥珀「夫はまだ気付いていません」
琥珀「自分がクローンだと言うことに」
石井「あの様子ではそうだろうな。 それに最近彼は頻繁に目眩を起こすという。 テロメアの異常かもわからん」
琥珀「やはり夫はテロメアが短いのですね」
琥珀「しかし何故娘をクローンと信じ込ませているのですか?」
暦に緋翠が死んだと偽りの記憶を埋め込む。
それがクローンを作る条件だった。
石井「ちょっとした思考実験だよ。 自分がクローンだと気付いたらどうなるか見てみたくてね」
琥珀は冷たい目で石井を睨む。
石井「君の夫を蘇生してやった恩人に失礼だな。 まあいい、引き続き彼の様子は報告してくれ」
琥珀「・・・はい」
石井(それに娘がクローンだと思えば私に頼る。 私の意のままに操ることが出来る)
石井(彼には〝期待〟しているよ)
石井は醜悪な笑みを浮かべる。
〇高級マンションの一室
暦「ただいま」
緋翠「お父さんお母さんおかえり!」
琥珀「いい子にしてたわね、緋翠」
緋翠「うん!」
暦「お土産もあるんだ。 欲しがってたチョコ」
緋翠「やった!」
暦「また日曜日はどこか出かけようか!」
緋翠「うん!」
暦(この子はクローンだが紛れもなく俺の娘だ。 娘は絶対に無事に成長させる)
その時、また暦は目眩がした。
琥珀「・・・あなた?」
暦「あぁ、大丈夫だ。 そんな悲しそうな顔をしないでくれ」
琥珀「・・・わかったわ」
琥珀(あなたのテロメアは残り短いのかもしれない・・・それでも私は──)
驚きの展開で面白かったです!
暦の調子が時々悪くなることが多かったので何かあるとは思いましたが、翡翠ではなく暦のほうがクローンだったという事実が面白かったです。伏線の張り方が上手いと思います。
この後の展開で、暦を作った博士がクローンをどういうふうに利用しようとしているのか知りたいです。
妻の翡翠が時々みせる暦への愛情と、クローンを実験の道具としか思っていない博士の態度との温度差も絶妙で話に引き込まれました。
ここまでくると「奥さんの琥珀も実はアンドロイドなのでは?」とか「全てが植物状態の暦の夢なのでは?」とか色々疑ってしまいますが。今回も一つの家族をめぐる別のパラレルワールドを堪能しました。ラム25さんは多作なのにどの作品もクオリティが高くて読みやすいです。