スカーレットちゃん

空飛ネズミ

エピソード1:モモ(脚本)

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〇団地のベランダ
  カーリーはベランダから見える景色が好きだ。
  自転車のベルの音と共に公園で遊んでいた子供たちは姿を消し、残された遊具がオレンジに照らされている。
  皆が自分の家に帰る。夕風には切なさと幸福が混じり合っている。
  少し冷たくなってきたその風を、ベランダのプランターに植えられた花の香りと一緒にカーリーは胸に吸い込んだ。
  束の間、扉をバンと強く閉める音が家の中から聞こえてくる。
  モモが帰ってきたみたいだ。
  モモはカーリーの高校生の弟で、少し前から家であまり口を開かない。
  お母さんの声を遮断するように自室の扉を閉ざしてしまう。
  ベランダに面したモモの部屋の窓にカーリーがそっと近づくと、窓が開いて少し泣いてるみたいなモモの顔が現れる。
モモ「カーリー」
モモ「父さんと母さん、また喧嘩してるね」
モモ「父さんも仕事で行き詰まってるのは分かるけどさ、昼間から毎日酒飲んでたら母さんも怒るよね。小説家って皆こうなのかな・・・」
モモ「ん?その植木鉢がどうかしたの?」
  母の趣味であるベランダのガーデニングはどれもよく手入れされている。
  弾けるような黄色のパンジー。目一杯愛嬌を振りまくピンクのマーガレット。下を向いた蕾がイヤリングみたいに揺れるフクシア。
  その中でカーリーが眺めていたのは、エーデル・ワイスという純白の薔薇の鉢だ。
  粒揃いの花弁がひしめき合うその薔薇の周りの土に、唐突に一本、場違いな草の芽が顔を出している。
モモ「ああ・・・何の芽だろうね。雑草か何かの種が風に乗って迷い込んだのかな」
モモ「薔薇が綺麗に咲いてるから、母さんが見つけたら抜いてしまうかもね」

〇団地のベランダ
  家の中が静かだと、なぜだか世界まで息を潜めているようだとカーリーは思う。
  ある日の夜、モモは遅くまで塾の講習に出ており、ピアノ教室を営んでいる母親もまだ帰宅していなかった。
父「カーリー」
  煙草を咥えた父がベランダに出てくる。
  父はカーリーの隣でふうーっと長い煙を吐いた。
父「あ、そうだ。カーリーの好きそうなやつあげるぞ」
  父がポケットから掌に取り出したのは、ファミレスのおまけで貰えるような小さな玩具だった。
  突起を指で押さえると水の中で輪っかがふわっと浮き上がり、それを輪投げのように水槽の中の棒に引っかけていく。
  カーリーはその小さな水槽に途端に夢中になった。
父「モモに?そうだな。教えてやってくれ」
父「あいつ最近、笑ってるか?」
父「俺と話すと、母親に怒られるとか思ってるんだろうからな」
父「カーリーが教えてやってくれ」
  父はカーリーの頭にポンと手を置き、そして背中を小さく丸めて家の中に入って行った。

〇街中の公園
  モモとの散歩の帰り道、家の前の公園に寄るのはいつもの決まり事だった。
  カーリーの手の中には、あの夜父にもらった小さな水槽がある。
  水の中の輪っかは魚のように勢いよく水を掻き分け上昇し、だけど途中で方向を見失って脱力したみたいにぷかぷか浮かぶ。
  沈みかけてる太陽にかざすと、小さな海がプラスチックを反射してきらきら光る。地面に光の波ができる。
  カーリーが跨っている遊具の隣のベンチに腰かけていたモモが、ふと独り言みたいに呟いた。
モモ「僕っておかしいかな」
モモ「学校の皆は、好きな女の子のタイプとか、誰と付き合ってるとか別れたとか、なんてことなく毎日話してるけど」
モモ「僕はどうなんだってなったら、話せないんだ。男子のグループも、正直苦手で・・・」
モモ「僕は女の子を好きになれないから・・・」
モモ「どんな人を好きになって、どんな自分を見てほしいのか」
モモ「それを言えない僕はおかしいのかな」
モモ「僕は嘘をついている」
モモ「・・・」
モモ「誰かと付き合いたいとか思ったことはないんだ。まだそういうのは・・・」
モモ「女の子になりたいわけじゃないし、別に何を変えたいってわけでもなくて、なんていうか・・・」
モモ「ただ自分でいたいだけなんだ」
  小さな箱の中で見えない毒に溺れながら、でもどこか諦めたような目をモモはしていた。
  今にも沈んでいきそうで、でもどこにも行けずにもがいているような。
モモ「・・・ごめん。帰ろうか」
  (モモはモモだよ)
モモ「・・・ありがとう」
  夕日が眩しいせいか、モモは目を細めながらカーリーを見ていた。そしてベンチから立ち上がり、前を歩きだした。
  モモの背中を見失わないように、カーリーは家までの距離を後ろについて歩いた。

〇男の子の一人部屋
モモ(またか・・・)
  父と母の言い争う声を聞きながら、モモは思考を意識の奥底に沈めるように目を閉じた。
  暗く深い海の水圧を感じつつゆっくり底へ沈んでいく自分を、もう一人の自分が地上から冷静に眺めているような錯覚に陥っていく。
モモ(ただそこにある草や花になりたい。誰も気にしないような・・・)
モモ(当たり前にそこにあって、何も思うことなく、誰の目にも止まらず咲いて、季節と共に朽ち、地面の養分になって)
モモ(そうやって地球に存在を組み込まれているような・・・)
  ヒステリックな響きと怒気を増していく二人の声に呼応するように、地面を叩きつける雨が激しくなる。
  今夜が台風直撃らしい。
  すると、雨音の中に微かにベランダの窓を開ける音が聞こえ、沈みかけていたモモの意識は一瞬浮上した。
モモ(カーリー?)
モモ(カーリーも実の所、わかっているんだ)
モモ(言い合ってる内容までは分からなくても、どんな雰囲気かってことをカーリーは誰よりも敏感に察する)
モモ(カーリーも辛いんだ)
モモ(だからこんな雨でもベランダに・・・)
  カーリーの元へ行かなくてはと思うものの、夜の雨は重りのように絡みついてきてモモの意識を海底へ引きずり込む。
  モモは這い上がることができず、海の泡に同化するように目を閉じた。

〇男の子の一人部屋
  ──自分はどこに存在しているんだろう。ただ僕が僕であるだけの・・・
  クラスの皆にも、まして父さんや母さんに説明する言葉なんてない。
  自分で自分を認める勇気がほしい。
  それができればきっと・・・
  ──海底の僕は必死に目を開け、地上からこちらを見下ろす自分を見つめ返そうとした。
  ──翌朝、僕はある決断をした。
  僕はスカートで学校へ行った。

〇学校の昇降口
モモ「・・・」
クラスメイト「おはよう」
モモ「おはよう・・・」

〇教室
  いつもと何ら変わらなかった。
  教室に入って自分の席へ向かう途中、皆の視線が自分に留まっている気配は感じたし時々「えっ」という声も聞こえてきたが
  自然と気にはならず、モモは凛としていた。
  教室の中の静かな驚きも最初のうちだけで、誰も何も言ってはこなかった。
モモ(こんなものか)
  そこには、ありのままの自分が世界に組み込まれる確かな実感があった。

〇学校脇の道
  帰り道、名前も知らない生徒がすれ違いざまに何か言ってきた。
通りすがりの女の子「かわいいね」
モモ「?」
通りすがりの女の子「スカーフ!かわいいね」
  弾けるような少女の笑顔に、モモは心にあたたかなものが芽生えていくのを感じた。
モモ「ありがとう」
  アスファルトの水たまりや濡れた草木を、昨夜の台風が嘘のような晴れた空が照らしていた。

〇シックな玄関
モモ「ただいま」
  ・・・・・・
母「おかえり」
  一瞬じっと凝視しただけで特段触れてはこなかった母の反応に、モモは内心驚いた。
モモ(こんなものか)
  (モモはモモだよ)
  ──多分あの時カーリーが教えてくれた。母さんも、僕のことを何も見てないわけじゃなかったんだ。
  自然と察してくれていて、分かっていてもそのままにしてくれた。ただ何も言わず認めてくれていたんだと。
  ずっと──

〇団地のベランダ
モモ「カーリー」
  ベランダには、いつも通りカーリーがいた。
  鉢植えの前にしゃがみこんでいるカーリーが手に握っているものを、モモは覗き込んだ。
  カーリーは、土の上からなにやら厚紙を切り貼りして作った小さな囲いのようなものを取り除いていた。
モモ「?」
  カーリーが守っていたらしいものは、少し前にエーデル・ワイスの鉢に生えたあの雑草だった。
モモ「!」
  そこに咲いた小さな赤い花を指さして、カーリーはにっこりとほほ笑んでくれた。
  おわり

コメント

  • すごく繊細で素敵なお話でした。
    思っていた以上に変わらない…というのが
    なんだか現実のような幻想のような、ものを
    感じました。

  • カーリーには本心を打ち明けられるのに互いにうまくコミュニケーションが取れないモモと父母が切ないですね。思い切って起こした行動に対する周囲の受け止め方でモモの心が少し楽になっていく描き方とラストシーンに胸がじんとしました。

  • モモの抱える大きな不安や憂鬱さをカーリーという存在がどれだけ癒やし、前に進むきっかけを作ってくれているかがよく伝わり、彼(彼女)のその新たな一歩に拍手したい気分です。

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