僕の家族(脚本)
〇本棚のある部屋
高校生三年生の夏。僕は受験勉強をしていた。複数の教科を学ぶ時、僕は切り替えの時間を設ける
短時間だけど、漫画やインターネットを見たりして
ある日インターネットを何気なく検索していると、高校生までが対象のエッセイのコンテストを見つけた
テーマは家族との思い出。最優秀賞は10万円。正直、最優秀賞は難しいと思ったが、家族のエッセイには興味をもった
僕はできるだけ昔まで記憶を遡って、このエッセイコンテストに参加してみる事にした
〇一軒家
僕の家は、共働きの両親と自分の3人家族
父の名前は野上元気。父のお父さんもお爺さんも人見知りで、物静かな人だったのだとか
それで子供にはたくさん外で遊んでほしいと思って、この名前がつけられたのだ。ただやはり遺伝の方が強かった
父もまた人見知りで、物静かな人間だった。休日は家族で買い物に出かけていたが、家族以外と出かける事は見た事がなかった
元気「だって、休みだから」
そんな感じの父親だ
〇一軒家
母の名前は「鈴」。母もまた物静かな家族の中で生まれた人だった
綺麗な音色を出して、色々な人と仲良くなってほしいという思いが込められた名前。しかし母もまた物静かな人として育っていった
自分からはあまり人と話さない母親。ママ友作りがプレッシャーとなり、僕の公園遊びは人気の少ない場所が選ばれていた
〇一軒家
僕はそんな二人の子供。両親の期待が込められた僕の名前は「走(そう)」。元気に外を駆け巡るようにとつけられたのだ
そして僕もまた、人見知りな子供であった
エッセイとして書いてみると、わりと客観的に見えてくる
僕の人見知りにしても、おそらく父も母も、遺伝ではなく「家庭環境」、育った背景が影響していたのだと思う
〇明るいリビング
そもそも父と母もあまり会話は少なかった。
ただ、ケンカや口論なども一切無かった。父は家事の手伝いもしていたし、母も父のゆったりとした雰囲気を好んでいるようだった
子供というのは好奇心旺盛なものだと言うが、物心がついた頃の僕は、すっかり静かな雰囲気に馴染んでしまっていた
あまり会話もせずに、外出も少ない。それでいて家族仲はまぁまぁだった。僕はそんな不思議な環境で過ごしていたのだ
〇明るいリビング
我が家の休日は、だいたい父も母も早起きをしている。母は朝ごはんの準備をし、父は寝室を片付けてから、洗濯を開始する
少し遅れて起きる僕。3人が揃った頃にちょうど朝ごはんとなる
朝、昼、晩、食事の時にはテレビを点けてニュースを流していた
朝食が終わると父が食器を洗い、洗濯物を干す。母親は掃除機をかける。その後、3人でスーパーへ買い物に行く
会話は少ないけど、音楽はわりとかけていた。朝は爽やかな洋楽が多い
子供の僕には理解がむずかしかったが、物心つく前からの事だから、体には自然に馴染んでいた
〇明るいリビング
とはいえ僕は子供。遊園地に行きたい、動物園に行きたい等と口走る事もあった
そんな時、両親はそれを否定する事なく、有休の調整をして、僕の気持ちにも答えてくれていた
〇おしゃれなリビングダイニング
料理は父も作っていた。料理が好きなんだとか。休日と平日の朝食は母と父が交互に作っていた
平日の夕食は帰宅の早い母が担当していた
父も母も料理が好きなだけあって、いつも美味しかった
父と母の得意料理は少し違う。そんなところもあって、二人はお互いの料理を楽しみあっていた
ただ、外食は他の家庭に比べると、多分少なかったと思う
〇明るいリビング
休日の午後は音楽を流しながら、それぞれ本を読んだりと自分の時間を過ごしていた
でも子供の頃の僕は、時間の使い方が分からない。両親はそんな僕の相手を、それとなくしてくれていた
一緒に本を読んでくれたり、時には3人でトランプをする事もあった
口数の少ない両親だけど、この頃の僕は、色々な事を両親から学んでいた
〇明るいリビング
15時の少し前になると、父はキッチンに行き、コーヒーを作り始める
豆を煎って細かく砕き、サイフォンでコーヒーを作る。小さい頃の僕には、それが魔法のように見えていた
コーヒーが出来上がると、自分と母はブラックで。子供の僕にはミルクと砂糖を多めにして入れてくれた
コーヒーを飲み終えると、その片付けも父が行っていた。片付けも含めて楽しいのだとか
その間で母は、洗濯物を取り込んで片付ける。
また少し、音楽の流れる自由時間を過ごした後、父はトイレとお風呂の掃除を行う。そして母は夕ご飯の準備を開始する
夕食後、再び父が片付けを行う。そこからは順番に入浴を行い、リビングでは組み合わせの違う二人がそれぞれの時間を過ごしていた
3人が入浴を済ませると、それで1日が終わる
当時の休日の過ごし方はほとんどこんな感じ。父がコーヒーを入れる以外、ほとんど必要な事しかしていないような生活だった
〇明るいリビング
会話も外出も少なかったが、優しい家庭ではあった
ただ、二人はどう考えていたのか
走(そう)「ねぇ、何でうちはあんまり外に遊びに行かないの?」
そんな事を聴いてみた事もあった
元気「走君は出かけたいの」
そう聴かれると
走(そう)「家がいいかな」
元気「良かった」
解決したのだろうか。少し疑問は残ったけれど、納得は出来ていた
〇一軒家
そんな家族だからか、とある日の休日に僕はお手伝いとして、お買い物へ行く事に立候補した
何か二人をいつも以上に休ませてあげたら、喜ぶんじゃないかと思って
両親は笑顔で僕にお願いをした。気を使ってなのか、僕の好きなカレーを作るから、それに必要な物を買ってくるよう言われた
言葉だけではなく、ちゃんとメモも書いてもらって
〇スーパーマーケット
考えてみたら、学校以外の場所へ一人で出かける事も初めてかもしれない
とはいえ毎週家族で来ているスーパーだから、それ程難しくなかった
買い物は割と簡単に終わり、家へと帰り始めた
〇ゆるやかな坂道
ただその帰り道でトラブルにあった
知らないおじさんが大きな犬を散歩していたのだが、その犬が僕に向かって大きな声で吠えてきたのだ
僕はあまりにも驚いて、思わず違う道に入って行ってしまったのだ。僕は犬が怖くなり、遠回りをして家に帰る事にした
〇住宅街の公園
僕は道に迷ってしまった。足も痛くなり、知らない公園のベンチでシクシクと泣いてしまっていた
元気「探したよ・・・走君」
父が僕を探しに来てくれたのだ。そしてその場で母にも連絡。しばらくして母も公園に走ってきた
鈴(すず)「心配したのよ、走君」
僕は大泣きしてしまった。しばらくして泣き止んだ後、僕はお店で買い物は出来た事、だけど犬が怖くて迷子になった事を伝えた
〇ゆるやかな坂道
お父さんは僕をおんぶしてくれた。買い物した袋はお母さんが持ってくれた
あまり会話はしなかったが、3人で仲良く帰宅した
〇おしゃれなリビングダイニング
帰宅すると、僕はいつの間にかソファーで眠ってしまっていた
そしてカレーの匂いが家の中を駆け巡り出した頃、僕の目もようやく覚めた
食事中、いつもあまり会話はなかった。ただその日の僕は聴きたい事が色々とあった
走(そう)「ねぇ、お父さんはどうして僕が公園にいる事がわかったの」
元気「色んな人に聴いて探したから。お母さんと手分けをしてね」
なんだか普段の両親からは想像ができなかった
走(そう)「人に聴くのって大変じゃなかった」
元気「そうだねぇ、でも必死だったから」
鈴(すず)「そうね、心配だったから」
僕は再び泣いてしまった。悲しくはなかったんだけど。子供の頃の僕には、その涙の理由はわからかった
ただ、とっても安心したのと、体中が温かくなった事は覚えている
〇一軒家
以外かもしれないけど、僕はその後時々買い物を志願した
さすがに自分がなさけなくなったのかも
両親はしばらくの間、かなり心配していたけど
〇本棚のある部屋
これがこの話の始まり
エッセイのタイトルは「水槽家族」
僕の育った家にぴったりな名前だ
独特の空気感がある語り口ですね。大きな事件のない穏やかな家族の穏やかな日常を「水槽」の中のような生活として描いたのかな。それとも、これからの展開でこの言葉が違う意味を持つのでしょうか。
水槽家族、言い回しが非常に魅力的に感じました。
人それぞれ苦手な事はありますが、それを乗り越える、それに立ち向かう時って必死になっている時が多いのかもしれませんね。