ヘミングウェイ(脚本)
〇繁華な通り
会社帰り、私は一軒の店に立ち寄った。
路地裏にある小さなBARだ。
一見するとわかりづらいが、店の案内板が置かれている。
私はその案内板に従って地下への階段を降り店に入る。
〇シックなバー
ドアを開けるとチリンと心地よいベルの音が店内に響き渡る。
見渡す限りBARの店内はほぼ満席、運悪くマスターは裏に回っているのか、その姿がない。
しかし、普段あまりBARになど足を運ばない私にとってとても新鮮な体験であった。
黒とワインレッドを基調としたシックなデザイン、その重厚感のある雰囲気が気持ちを高揚させる。
女性「隣、空いてるよ」
奥のカウンター席から、まるで待ち合わせをしていたかのように彼女は私に向かってそう言った。
他に空席がなかったのもあり、私はそのまま彼女の隣に座ることにした。
マスター「ご注文はいかがなさいますか?」
私「ヘミングウェイで」
マスター「かしこまりました」
女性「ふ~ん珍しいの飲むね」
彼女は悪戯っぽく私に話しかけてきた。
歳はおそらく20代後半、顔立ちもよく美しい女性だった。
私「そうかな? まぁ確かにクセのある味だけど」
女性「私は黒色火薬入りの方が好きだな~」
私「よく知ってるね」
女性「文豪家気取りの変わり者がよく頼むやつだもん。私と同じ」
私「君、もしかしてライターなの?」
女性「あぁ~目指してはいたかな? 結局、だめだったけど・・・・・・あなたも同じでしょ?」
私「・・・・・・君、いつもここに通ってるの?」
女性「うううん、たまたま立ち寄っただけ」
そう優しく微笑み、彼女は赤いカクテルを飲み干す。
私も釣られるように自分のカクテルを飲んだ。
強烈なアブサンの風味が私の体に浸み込んだ疲労を消し飛ばしてくれる。
ただの挨拶程度の会話。
一杯飲んでそのまま帰るはずだったが、なぜだかこの女性と妙に馬が合いつい話し込んでしまった。
女性「マスター、彼にも私と同じやつお願い」
マスター「かしこまりました」
私「まだ名前聞いてなかったんだけど聞いてもいい?」
女性「へぇ~口説くんだ?」
私「いや、そういうつもりじゃないけど」
女性「じゃあ名前の代わりに――これも何かの縁ってやつで私の秘密、教えてあげる」
彼女はそう言って私の耳元で、
女性「人を殺したことがあるの」
と言った。他の誰にも聞こえないよう蚊の鳴くような声で。
私は耳を疑った。
彼女は酔っているのか? それとも自分が酔っているのか?
どっちにしろ、はっきりそう聞こえたのだ。疑う余地など最初からなかった。
マスター「お待たせしました。こちら、エル・ディアブロになります」
自分の手元に置かれた赤いカクテル。
この状況のせいか、ただの一杯のカクテルが何かの暗示に思えて仕方がなかった。
女性「あははっ冗談だよ。冗談、ねぇびっくりした?」
私「はぁ・・・・・・」
思わず、ため息が零れる。
冗談とはいえ、すっかり酔いが醒めてしまった。
それと同時に酒の席でよくそんな冗談が言えるなと感心してしまった。いや、酒の席だからこそか?
女性「比喩みたいなもんよ。えっと・・・・・・たまに乱暴になるじゃない? その、何というかほら、ね?」
彼女の視線の先、後ろのテーブル席に座るカップルが熱い口づけを交わしている。
私「あぁ・・・・・・そういうことね」
時間を確認すると時刻は23時50分頃、そろそろ出なければ終電に間に合わない。
私「ごめん、そろそろ行かないと」
女性「ならここは私が払うよ」
私「いいよ、払わなくても」
女性「話してくれたからそのお礼」
何とも情けないが、私はそのまま彼女の言葉に甘えてしまった。
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悲しさを帯びたお話でしたが、自分が感染させられたと言うなら、少し気持ちもわからなくもないです。
感染させた男の人たちも、たぶん軽い誘惑にのった人たちだと思うので…まぁ、代償が高くついたね的な。
何とも悲しい…私にできるジャッジの無いラストです。バー内での描写が心地よく、その中に突如滑り落ちてきた彼女の言葉で、時が止まるような驚きと寒気を覚えました。色々な感情の冒険ができて面白い作品でした。ライターになりたかったのは本当かな?本当なんだろうなと思いました。お話を通り過ぎてからもお酒のように彼女の余韻が残ります。
BARでの何気ない会話から彼らに何か展開があるのかと思っていたら、思わぬ結末でした。彼が6番目の被害者にならなかったのは、本当にお互い馬が合った証拠なのでしょうね。