今日は美味しいご飯よ。(脚本)
〇おしゃれなキッチン
時刻は17時。もうすぐ、娘の莉音が学校から帰ってくるはずだ。煮込みの時間も程よいし、そろそろ鍋の火を止めようか。
私は鍋の中をかき回していたお玉でスープを掬い、一口飲み込んだ。
うん、美味しい。珍しいお肉も用意できたし、出汁も効いていて最高だ。
ドタドタドタドタ!!!
莉音の走る音が家中に響いた。家の中で走るなといくら言われても言うことを聞かない莉音に、ため息を吐きたくなる。
莉音「ママ!どうしよう!タマがいなくなっちゃったよ!」
タマは、家の外にいつの間にか住み着いていた野良猫だ。莉音はタマをいたく気に入っていた。
毎日毎日家に帰る時に、世話をしてから家に入ってくるのが日課だったのだ。
莉音は悲しそうに眉を下げて、台所に現れた。
タマがいなくなっちゃった、もう一度小さい声で呟いた莉音に、どうしたものかと考える。
鍋の中はいまだに沸騰したままだ。お玉を握ってかき回そう。
ぐつぐつ・・・ぐつぐつ・・・ぐつぐつ・・・
莉音「ねぇママ聞いてる!?」
ママ「聞いてる聞いてる、タマがいなくなっちゃったの?」
莉音「いつもだったらほら、車庫の近くにいるでしょ?今日はいなかったの。ご飯も食べてないし・・・」
毎朝煮干しをあげてから学校に行く姿を、この家のリビングから眺めていたから知っている。
自分の娘の悲しそうな顔は見ていたくない。
我儘な子が、野良猫のお世話をするぐらいには成長もしてくれたのだ。
ここは母親としてどうにかして、気を紛らわせてあげなければ。
ぐつぐつ・・・・・・ぐつぐつ・・・
まだ鍋は沸騰している。ぷくぷくと沸き起こる泡を見下ろして、私はにこりと笑った。
ママ「そういえば、私が小さい頃はね、兎を飼っていたのよ」
莉音は口を尖らせて俯いていた視線を上げた。まだ少し、落ち込んでいるようだ。
ママ「兎のララちゃん。車庫の中で飼っていて、莉音と同じように毎日お世話していたわ」
本当はリビングで飼いたかったけれど、車庫に置いたゲージの中に入れたまま飼っていた。
母親と父親も可愛がっていた。
あの日が来るまでは。
ママ「毎日毎日三つ葉のクローバーを摘んで、ララちゃんにあげていたの。可愛かったわ、とっても可愛かった。だけど・・・」
莉音「だけど・・・?」
莉音は気付けば、顔をしっかりと上げて私を見つめていた。
タマの事は忘れてくれただろうか。
少しだけでも、気が紛れてくれたらそれでいい。私は目を閉じて、当時のことを思い出す。
ママ「・・・ララちゃんはね、いなくなったの」
莉音「え・・・!」
ママ「いつもみたいに、学校から帰ってきた時に知ったの。ララちゃんがいない、逃げたのかもしれないって、お母さん・・・」
ママ「莉音のおばあちゃんにね、言ったのよ。莉音みたいに、「ねぇねぇ!」って」
莉音は黙ったまま私を見つめていた。悲しい顔をして、涙を堪えている。
感受性豊かに育ってくれたこの子はきっと、私に似たのかもしれない。
心の中で、彼女のその思いに微笑みをこぼして、私はお玉でもう一度鍋をかき回した。
ママ「それでも見つからなかった。ララちゃんは多分、きっとどこかで幸せに過ごしてるはずだと考えるようにしたわ」
莉音「タマもかなぁ・・・」
莉音の気持ちが少しだけスッキリしてるように見えた。よかった、これで一安心だ。
ママ「そういえばね」
ママ「その日、悲しんでいた私におばあちゃんが作ってくれたご飯がとても美味しかったの」
莉音「ご飯?ハンバーグだったの?」
ママ「ううん、鍋だったわ。ちゃんこ鍋だったかな?」
兎のララちゃんが消えた食卓は、私の悲しい感情でどんよりとしていた。
今から何十年も前の話だ。落ち込んでいた私に、母はせっせと、食卓の真ん中に置かれた鍋から具をよそって食べさせてくれたっけ。
ママ「その時に食べたご飯が忘れられないの。すごく美味しくておばあちゃんに聞いたのよ。このご飯とっても美味しいけど、」
鍋の沸騰を止めるため、コンロの火を消した。
ママ「なんのお肉なの?って。おばあちゃんはね、笑顔でこう言ったわ」
可愛かった兎のララちゃん。毎日お世話をして、母親に隠れてこっそりと同じ布団で寝たりもしたララちゃん。
あの時たしかに、母親はこう言ったのだ。
ママ「兎のお肉よ、って」
ぐつぐつ・・・ぐつぐつ・・・ぐつぐつ・・・
莉音「・・・・え・・・」
莉音「ママ・・・・?」
ぐつぐつ・・・ぐつぐつ・・・ぐつぐつ・・・
鍋はまだ、沸騰している。お玉でかき回して、最後に一口味見をしよう。
うん、やっぱり美味しい。
莉音「ママ・・・・・・ねぇ、ママってば・・・!!」
ママ「なぁに?」
莉音の言葉に振り向いた。手に持ったのはお玉。一口分のスープを掬ったそこからは、湯気と香りが立ち込めていた。
莉音「今日のご飯って・・・な、に・・・?」
熱い熱いお鍋の中にお玉を入れて、エプロンで手を拭く。汚れてしまった手のひらで、エプロンはすっかりと汚くなっていた。
莉音の手が震えていた。莉音の肩も、何故か震えていた。大丈夫よ、今日の夜ご飯は豪華だから、きっと、きっと。
きっと、悲しい気持ちも過ぎ去ってくれる。
莉音の前にしゃがみ込んで、目と目を合わせて微笑んだ。口を開く。あのね、今日のご飯は・・・
ママ「秘密よ」
平和な親子の物語と思って読み進めましたが、終盤に近づくに連れて雲行きが怪しくなって、静かなホラーでした。まさかまさかそんなことはないですよね。でも日々可愛い牛さんや豚さんも頂いているのだから、美味しいお出汁たっぷりの夕飯を感謝して味わって頂こうと思いました。
まさか、鍋の中は可愛い猫の肉なんでしょうか?でも、日本人は猫の肉を食べる習慣がないでしょう。なんてリアルに考えてしまいました。どうか猫の肉ではないように!
なんとも理不尽なリベンジですね・・・。この儀式は代々継がれていくのでしょうか。母親のどこまでも優しい口調とお鍋が激しく煮立っていく反比例さから、とてつもない恐ろしさを感じました。